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序
最後の任務になるかもしれないと、初めて思った。
武力行使度がかなり高いと予測され、ブリーフィングでは戦闘時における注意事項についての指示ばかりが与えられた。
その割には標的(ターゲット)の情報は少なかったり信頼性に乏しかったり、明らかに調査不足であった。
諜報担当は今回の標的の手強さばかりを強調し、古参の実働担当の中には諜報担当の能力不足を嫌味たっぷりに扱き下ろす者もいたが、任務は任務である。なかなかてこずりそうな標的であることは確かだったし、再調査の為にこれ以上時間をかけるのは治安維持上不可能だと全員見解の一致を見た。
もっともそうなるまで手が出せなかったのも諜報方が無能な所為だとの怒号も飛んだが、黙殺されてしまった。
今更言っても、もう、どうにもならなかったのである。誰もがわかっていた。
事実、事態は切迫しており、掻き集められるだけの実働員が呼び寄せられていた。ひとりふたりとブリーフィングルームに集まってくる旧知同士が、知った顔が増える毎に眉間の皺を深くしていたのだ。
皮肉な話だった。
一番会いたくなかった人物の顔を確認してしまった時に、思ったのだ。
最後の任務になるかもしれないと。――もう二度と、彼と顔を会わせることはないのかもしれないと。
ほとんど閃くように。
いささか沈んだ気分で目が合った。相手は軽く目を細めただけだった。何を考えていたのかはわからない。きっと自分も同じような表情をしていただろうことだけは、わかった。
互いにすぐに目を逸らし、それから顔を合わせる機会はなかった。
搭乗するよう指示されたのは、ここ最近すっかり彼女の専用機扱いになってしまっていたモビルスーツだった。白い羽根付のそれにはかつて別の呼び名もあったのだが、現在、公式にはただ01(ゼロワン)という名称で通っている。
彼女が不在の間完璧にメンテナンスされていたようだが、やはり最後は自分で確認しないと落ち着かなかった。
そんなところは奴にそっくりだよといつも笑われる。自分でもそう思う。
いつも通りに入念にチェックしているとすぐに時間は過ぎた。
予定時刻ぴったりに搭乗した。粛々と出撃の手続きが進められる。いつも通りだ。すべて異常なし。
隔壁が開く。果てのない空間への扉が。
「01、 ・ユイ。出ます」
いつものように告げると珍しく応答があった。幸運を、とか言っている。爆音で聞こえない振りをした。出る。
発進直後のきついGはすぐに浮遊感に変わる。息を吐いた。
――隔壁が、閉じていく。
その光景を知覚するのにしばしかかった。後を振り返ってしまっていた自分に気づく。無意識だった。いつもならこんなことはしない。
閉じきる前に向き直る。もう振り返らないと心に決めた。
出てきた行政首都(ジュピトリス)が常時その足場にしている衛星(ガニメデ)が完全に木星に隠れたころ、未登録の位相差空間ゲートを発見した。とりあえずここまでは情報どおりだ。たしかに巧妙に隠されている。諜報担当が苦労したのも頷けるし標的のレベルが高いのもわかった。
しかしこれからその先に単独で襲撃をかけるには、持っている情報はあまりにも頼りなかった。それでも既に与えられた任務だ。遂行するより選択肢はない。
"これより該当ゲートに侵入する"
暗号文で報告を送信した。これより先の交信は不可能になる。
ゲートを抜けてみれば岩塊が点在する空域に出た。アステロイドベルトだ。それほど遠くと繋がっているゲートではなかったらしい。
攻撃目標は容易に発見できた。比較的大きめの隕石。空洞状になった内部に、施設が随所に点在している。
予測よりもはるかに規模の大きい部隊だった。情報を信じて行われた実働隊員の割り当てが妥当ではなかったことが早くも露呈する。既に戦闘領域(キルゾーン)に入っていた。交信はできない。
そもそも位置が悪かった。ジュピトリスに近すぎるのだ。
ジュピトリスはもともと木星への資源調達船団と現地作業用の施設を基礎にしている。移動も可能ではあるが長年にわたる増築で肥大しきっており、今ではガニメデの重力を足がかりにした衛星都市状態になってしまっている。下手に動かせばお膝元を自負するガニメデで政情不安を招く。それは避けなければならない。しかしジュピトリスが襲われればガニメデだけではなく、事実上太陽系全体に累が及ぶ。
やるしかなかった。
少しでも叩いて騒ぎを起こせば、増援が期待できる。
単独で乗り込むには規模が大きすぎるが、やるしかない。それも、できるだけ粘らなければならない。
いくつかの要所に爆発物を仕掛けた。何しろ広い。それでもひとりである以上必要な作業だった。
できるだけ迅速に、しかし可能な限りの時間をかけた。
前準備を完了させて、出るタイミングを見計らう。
大きく酸素を吸い込み、目を閉じた。聞こえるのは自分の心音だけだ。
落ち着いていた。
息を吐き、目を開く。操縦桿を握り締めた。
――任務、開始。
***
以前に比べて格段に辿り着くのが容易になった星読みの丘(スターヒル)で、彼は眉を顰めていた。
強い風に雲は飛ばされ、見極めるべき星を遮るものはない。
この場所で星読みを再開してから数ヶ月。初めに、幽かだが異変は感じた。しかしそれは十三年に及ぶ自らの不在期間での変化と、度重なった聖戦の影響が残っているのだろうと読んでいたのだ。
だが微弱に見えていた星の徴は日々強さを増していき、自分の読みは誤りであったと悟った。
そして今日、それは決定的な光を彼に投げつけていた。
「やはり、予兆であったか」
見上げる先には火星が赤く輝いている。血と炎を連想させるその星は軍神アレス――ローマ神話におけるマルス――の名を冠し、古来より凶兆とされている。
「しかし、悪い兆しではない」
数歩後ろで跪いて控えていた青年を振り返って、声をかけた。かつてこの地は教皇たる自分にしか開かれていない場所だったが、そんな掟はあの時に既に意味をなくしている。逆に今では彼を必ず同伴させるようにしていた。
「お前はどう読む? サガよ」
青年――サガも同じ星を見上げていた。呼ばれて空から視線を外す。難しい顔をしていた。普段なら打てば響くように明晰な答えを返してくるのだが、少し待っても口を開かない。明らかに答えあぐねていた。
しばらくの間、己の法衣とサガが纏ったマントが風を受けて乱暴にはためく音だけが聞こえていた。
もう一度見上げて、サガが口ごもる原因がわかった。問題の火星の背後に、双子座(ジェミニ)があったのだ。サガの守護星座が。
なるほど。正規な形ではないのに十三年もの間この聖域を率いてこれた思慮深さだ。
少しばかり考えすぎのようではあるが。
答えを促してやる。
「火星の話だ――そもそもいつからだった? いつから、異変が現れ始めた? お前のことだ、気づいておったのだろう」
重ねて問えば、サガは記憶を掘り起こすためか、しばし瞑目した。強風にあおられた長い金髪がその表情を隠す。
「……十年ほど前だったかと」
「その時は、どう読んでいた?」
「……教皇のおっしゃるとおり凶兆ではなかろうと判断致しましただけにございます」
サガは項垂れるように頭を下げた。髪に隠されたその下では、おそらく苦悶の表情を浮かべているだろうことは想像に難くない。
「あの頃の災いは、私自身でした。――それ以上の凶兆ではなかろうと」
言葉の最後はほとんど呻くようだった。
教皇シオンはその姿を痛ましく見つめた。それでも声には感情を乗せない。乗せてはならない。
そのことで哀れみをサガに施すことは、シオンにはできないのだ。
「つまり聖戦の気配は、その頃にも感じなかったということだな」
「はい」
「神々の関わる災いではない。しかし、何か大きな異変の予兆ではある。……私はそう読むが、サガよ、お前は今あれをどう読む?」
シオンは執拗にサガの見解を求めた。
この生真面目な男は、己の過去を悔いるあまりに消極的に過ぎる。
もちろん過去の所業は大罪だが、それを彼は一度は自決して清算し、更にシオンの呼びかけに応えて己の正義を全うした。女神もそれを認めたからこそ、彼は今、ここに在るというのに。
「――私ごときには如何とも判じかねます」
たとえばこんな風に、サガは自らを蔑み続ける。
「何故だ」
シオンが初めの被害者だったからかもしれない。――だが己にも一因があったのだと、シオンもまた悔悟の念を抱き続けている。
「私が偽りの座に就いておりました頃には、あのように強い輝きはなかったのです」
何故なら、シオンは見抜けなかったのだ。サガが内に抱えていた闇を。
「今日は、また特別だ」
「いえ、そうではなく――教皇がお戻りになってから、星の輝きは以前と比べて格段に強くなったのです」
そして、対処を間違った。
その結果こそが本当の災いだったのかもしれない。
己の死。為すべきことを為せないままの。
守るべき女神の長きに渡る不在。圧倒的な劣勢のまま突入せざるを得なかった聖戦。
――目の前の男の、消せぬ悔恨。
勿論、罪の根本はサガ自身に在る。己の暗部を御し切れなかった弱さか、それとも極限まで溜め込むことができてしまった強さか。どちらの所為なのかはわからない。
ただあのとき、気づいた。
どこかでひびが入ったのだ。ひびはやがて大きな亀裂となり、決壊した。壊れてしまったその壁の名は、自我。もしくは理性。
気づくのが遅すぎた。気づいたとき、シオンは既に死出への道を歩き出していた。そうなってしまうまで気づけなかったのだ。
死に絡み捕られながらシオンは己を笑った。人より長く生きて、全てをわかっている気になっていた。己の慢心を心の底から嗤った。
――問題はサガ自身に在った。
しかし、ひびを入れた内のひとりは、恐らく自分だ。
既に入っていた無数のひびに決定打を与えてしまったのは、恐らく自分だったのだ。
だから、これは罰なのだろうと思う。
「――私には読み解きをする資格すらないと、そう言われている様に思えるのです」
こんなにも苦しい言葉を聞かなくてはならないのは。
きちんと伝えなければいけないことがあった。それを為さなかった自分への、罰。
シオンは息を吐いた。
言わなければならない。今度こそ。あのときに、言えなかった言葉を。
常人の何倍も生きた。正直言って、もうやすみたかった。だが、若い肉体を与えられた。――まだ、生きろと言われた。
最期に犯した罪を、生きることによって償えと。
そこから、改めて始まるのだ。
そうすればサガも、きっと始めることができる。
以前はできなかった、生きる喜びを感じること。生を与えられた意味を自ら見出していくこと。精一杯、生きてみようとすること。
女神(アテナ)は恐らくそうあれと望み、我々に生を与えた。
あの優しい女神は、我々にそれを許した。
――我々は、許されているのだ。
それを伝えなければならない。言わなければならない。
サガが待ち望んでいた言葉を。
***
予測していたよりも撃墜率が高かった。
戦闘開始から数時間。ひとりで突入したにもかかわらず、ダメージはほとんど与えられていない。
気を抜くことはできないが、 の攻撃力は圧倒的といえた。
普通ならああよかったと胸を撫で下ろしてもよさそうなものだが、向かってくる量産機(トーラス)を一機、また一機と墜とすたびにむしろ不安が込み上げてくる。
――あっけなさすぎる。
呆れるほど次から次へと出てくる"トーラス"。そのパイロット達はあまりにも未熟だった。しかも"トーラス"の数だけパイロットがいるのだ。それだけの人員がどこから調達されているのか。
やはり諜報方の能力不足だ。近年、新たに雇用される彼らの力量不足は目に付いていた。それも極まったという所だろうか。
当然だった。――"平和な世界"に生まれ、生きてきた者たちなのだから。
それが を含む古株のメンバーが尽力してきた結果だ。
通信回線はオープンにしてある。傍受し続けているやり取りが次第に悲鳴じみたものに変わりつつあった。
テロリスト達の大半も結局は諜報方と同レベルであるらしい。
標的施設のほとんどが大破し、向かってくる"トーラス"も確実に減ってきている。結局増援が来なかったことに は気づいた。
これだけ壊滅的な被害を受けながら、彼等は外部に援護を求めなかったのだ。だから外では騒ぎになっていない。
――おかしい。
明らかに戦意喪失してこちらに背を向け逃走を図った一機を難なく追い詰め、背後からビームサーベルで叩き切った。
それを確認したのか一斉に退避を始めた"トーラス"の一団に、今度は追うことなくバスターライフルを向ける。
トリガーを引いた。同時に短く警報が響く。
自ら引き起こした爆風と衝撃波を回避しながら確認する。――新たな敵影を認めた。"トーラス"が十機、型式不明機が三機。
「まさか…新式?」
01の既存データでは照合できない機体。これまで には交戦経験のないMS。
思わず舌打ちが漏れた。
機影は高速で遠ざかっていく。このベースを放棄するつもりなのだ。
先ほどのバスターライフルの一撃で の周囲に敵影はない。残骸を踏みつけつつバーニアを全開にした。天蓋を抜けたところで飛行形態を取り、追跡を開始する。
しばらく追跡して、なんとか機影が確認出来るまで接近できた。映像をズームアップする。
「"マヒロー"……」
呆然と はつぶやいた。実物を見るのは初めてだった。月面でのみ発掘される比較的新しい時代のMS。百年ほど前に月と地球間で抗争があったときに実戦で使用されたとのデータを見たことがある。
未確認機体の情報を登録するかと01がうるさく聞いてくるので登録してやった。またすぐに警告音が響いて今度は何だと目を遣れば、進行方向にゲートが見えていた。
位置を確認する。ここへ来たときとは座標が違っていた。別のゲートだ。
先行する敵機との距離がまたわずかながら開いた。加速したらしい。意図は明らかだった。ゲートに逃げ込むつもりなのだ。
かなり古い型のゲートだった。いったいどの程度の移動能力があるのか皆目見当がつかない上、未登録なので当然行き先は不明だ。逃がすわけには、絶対にいかなかった。
もまた加速する。後方のモニタを切り、対G用の機構を遮断してできる限り速力を出した。肺が押しつぶされたように呼吸がしにくくなった。
浅い息をつきながら見据えた先で、鈍い光の輪が回り始める。――ゲートが、稼動する。
最後尾の"トーラス"に半ば体当たりするようにして、何とかゲートに飛び込むことができた。
一斉に敵機が身構えたが、どうせ攻撃などできないと全員が知っている。これ以上ないほどの緊張感に包まれた、ほんのひと時の休戦。 はモニタを眺めた。ゲート内部独特の、星の流れる風景。きれいだと思う。
宇宙は、とてもきれいだ。いつも。いつでも。まるで不変であるかのように。
しばし見惚れていた。異変に気づいたのはそのお陰だ。
星の流れが速くなったように感じた。
周囲の敵機を窺えば、今にも飛び出さんばかりの体勢で待機している。出口が近いのかと思った。それにしてはモニタ越しの風景に違和感がある。ゲートが古い所為だろうかと は考え、敵機に習って身構えた。
そのときだった。
流れる星が何条もの光線になった。光は次第に膨張していく。
モニタの自動光量調節機能が追いついていない。あまりの眩しさで直視に耐えかねた。瞳を閉じる寸前。
星々が、砕け散ったように見えた。
意識が急速に遠のいていく。なんともいえない不快感だった。
朦朧とした状態のまま移動は唐突に終わり、ゲートから吐き出された。
必死で意識をはっきりさせようとしている間に、だいぶ距離を開けられてしまった。攻撃されなかったのは幸運だ。
そんな頭を急速に元に戻したのは、モニタいっぱいに広がる青い光。現在位置を把握する。
目を背けようと咄嗟に反転したのはほとんど無意識だ。同時に警報が鳴って、メガ粒子砲の光がすぐ脇を通って消えていく。
"マヒロー"が三機とも向かってきていた。"トーラス"は来ない。月の方向へ向かっていると01が教えてくれた。
むやみやたらにメガ粒子砲を放ってくる。後退しながら回避した。月に向かわせたくないのだと思った。少しの間、回避に専念する。
の背後の青い光を受けて、"マヒロー"がぼんやりと白く光って見えた。攻撃は続く。
避けた光線を目で追ってしまった。――見える、青。
何故、"トーラス"は追ってこなかったのだろうか。
――青い星。
どうして"マヒロー"が来る?
舌打ちが漏れた。
"マヒロー"隊の意図を理解した。月に行かせまいとしているのではない。
――堕とそうとしている。
地球に。
堕として、燃え尽きさせようと。
だが"マヒロー"は燃えない。単独での降下能力があるからだ。だから"マヒロー"隊が来た。
今度はため息が漏れた。心底忌々しかった。理由が、できてしまった。
反撃を開始する。連射してくるメガ粒子砲を躱しつつ突っ込んでいく。一機にぎりぎりまで接近してしまえば他の二機もメガ粒子砲は使えない。同士討ちは誰だって嫌だろう。
間合いを詰められた"マヒロー"がハンドカッターで応戦してくる。それが狙いだ。相手から接近してきてくれる。避ける振りをして背後をとった。羽交い絞めにする。
"マヒロー"の背中越し、まともに地球が目に入った。
すでに重力に引かれ始めている。他の二機も攻めあぐねていた。おとなしく重力に引かれながら。
を振り払おうともがいていた"マヒロー"も諦めたように降下の体勢をとり始める。
すこしがっかりした。もっと必死に抵抗してくれてもよかったのに。半ば本気で思う。そのくらい、行きたくない。しかし、自分から拒否することはできない。行かなくてはならない理由がある。
――地球には、何がある?
降りて、確かめなければならない。
何故"マヒロー"隊が地球へ向かおうとしているのか。
降下体勢を解除するや否や、 が寄り代にしていた"マヒロー"が猛然と抵抗を試み始めた。押さえ込もうなどと無駄な努力はせず、あっさり放してやる。ここまでくればもう用はない。勢い余ってつんのめるように無防備に落下したところをバスターライフルで破壊した。
人質がなくなって、残りの二機が攻撃を再開するのは予測の範囲内だ。動かれる前にビームサーベルを抜く。上から撃ち込まれるメガ粒子砲を回避しながら上昇した。情報を得るだけなら、一機残しておけば十分だ。ひるんだ隙に躊躇いなく斬りつける。
重力を考慮に入れていないわけではなかったが、ここまでまともに爆風と残骸に襲われるとは思っていなかった。視界が回復するまで数十秒。その間に攻撃されたらさすがに無傷ではすまないと戦慄したが、爆煙が収まってみれば最後の一機はさっさと逃走を図っていた。たった今、自ら破壊した"マヒロー"のパイロットが哀れにすら思えるすばやさだ。追う。
大気圏内での飛行形態は の予想以上に有効だった。難なく追いつき、下降を急ぐ"マヒロー"の上方で速度を合わせる。
ただ下だけを向いていた"マヒロー"は慌てて反転した。向き直った一瞬は無防備になる。そこが狙いだ。 の方では既にMS形態にシフトしている。反転のために大きく振りかぶられた四肢を01のそれで押さえ込む。完全に動きを封じ込めて、更に機体同士をぎりぎりまで接近させた。
コックピットの障壁を開く前に、脇下の銃に触れる。慣れた感触を確かめて、障壁を開いた。
途端に包み込まれる。厚い風。濃い大気。息が詰まるほどの。――眩暈がしそうだった。
二機は絡み合ったままゆるやかに落下を続けている。風が強いことを除けば無重力下のようだった。飛ばされないように注意しながら は"マヒロー"の上に降り立つ。呼吸がしにくいのは、上空で酸素が薄い所為だけではないだろう。慎重に移動する。
"マヒロー"のコックピットの外部ロック解除キーを捜すのに多少手間取った。変わった位置にある。ロックを解除する前にもう一度銃に触れた。
突き出されるように現れた"マヒロー"のパイロットは恐慌をきたしていた。コックピットはよくある開閉式ではなくシートが突出するタイプで、 も見るのは初めてだ。パニックのあまり硬直してしまっているパイロットに銃を向ける必要はなかった。暴れだす直前に鳩尾に蹴りを入れる。大人しくなったところでシートから引き剥がした。突き落とす。撃ってしまったほうが彼にとっては良かったのだろうかと考えかけて、やめた。今更どうしようもないことだ。
空になったシートに身を滑らせ、コックピットに格納した。初めての機体だがやりかたはそう難しくない。内部をざっと見回してみても操作はあまり煩雑ではないことがわかる。多層ホロの一番上に現在の落下スピードと高度が表示されていた。手でくしゃりと握り潰すようにするとウインドウが閉じた。するとその下にあったウインドウが上に来る。あまり有用なデータではない。また潰した。
何度か繰り返すと、また現在の高度が表示された。警告の表示付だ。そういえば落下している最中だったことを思い出す。"マヒロー"を抱えたまま地上に降りる気はなかった。厄介な上にリスクが大きすぎる。
少し上昇させようかとと操縦桿に手を伸ばして、それに気づいた。データディスクが挿入されっぱなしになっていた。取り出して、探索を終了した。
01に戻って"マヒロー"から離れた。パイロットを失った機体が抜け殻のように落ちていく。真下は海だった。落ちてしまえば衝撃でばらばらになるかとも思ったが、やはり規定に従う。不要な兵器は残しておいてはならない。
MSの残骸が炎に包まれて遠ざかっていく。 は滞空したまま漆黒の地表に吸い込まれていく赤い火をしばし見つめた。――夜の側に入り込んでいる。宇宙に戻ったような錯覚を覚えた。それでも重力に絡め捕られていると身体は感じている。蟻地獄のように抜け出せない引力の渦中に居るのだと。
どこへ行こう? 思案しながらもとりあえず移動する。このまま夜の面を進もうと思った。
回収したデータディスクを早急に解析しなければならない。当局にも一報を入れる必要があるが、それには先ずどこか通信施設の整備された地域に行かなくてはならない。"トーラス"部隊が向かった月にも何かあるのだろうから、また宇宙へ上がらなければならない。それには宇宙港のあるところへ行かなければ。
やることはたくさんある。しかし何をするにも、先ずどこかに一度降りることが必要だった。短時間のうちで二度にわたるゲートでの移動に耐え、さらに長時間の戦闘でさすがに疲れきっている。
は溜息を吐いた。通信施設と宇宙港が揃っている地域といえば月と親密な交流のある北アメリアか、L5コロニー群と親交の深いエージアの二箇所に限定される。そしてその条件からすると、どちらの地域も不用意に近づくことは躊躇われた。ターゲットのベースが存在する可能性が高い。
――どこへ行こうか。
はシートに凭れて天を仰いだ。モニタには月が輝いている。少しの間見つめ続けた。満月だった。地球から見る月は、意外と大きい。月面の海まではっきり見える。輝く月面。少し暗い、海。
――それだけ?
変だと思った。次の瞬間には弾かれたように身を起こして、画像をズームアップした。
モニタいっぱいに月が広がり、眩しい。それでも は食い入るように月を眺める。
「銀の縫い目(シルバーステッチ)がない……」
呆然とつぶやいた。
月の民(ムーンレイス)の生活を支える命の水。太陽光を取り入れ有害な宇宙線を減少させる役目も担う、月の運河。
地球からも見えると聞いていた。こんな満月の日なら、なおさら。
震える手でモニタのズームを解除した。月から目を逸らす。俯いた。
「…………」
追い討ちを掛けるように目に飛び込んできたのは、星の海だった。宇宙のそれよりも密度の濃い、地上の光の洪水。――人の作り出した灯り。その集合体。
信じがたい光景だった。ここが地球である以上、在り得ないはずの。或いは北アメリアの、それも最も繁栄しているという東部でならこういう状態になっているかもしれない。だがここはアメリア大陸から東へ海ひとつ隔てた別の大陸――ガリアであると01は告げていた。ガリアは人口も少なく、月はともかく地球上の他地域とも極端に交流が少ないと聞いている。そして旧文明を取り入れることに、あまり積極的ではないとも。
――どこへ、行こう?
迷いながらも進んでいる。それ以外の対処法が浮かばない。こんなに困ったのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれなかった。
知らない月。知らない地上の光。
上から下から照らされて、いたたまれないほどだった。
――どこへ行けばいいのだろう。
この、知らない地球で。
どこへ。
***
風はようよう収まりつつあった。夜空には変わらず撒いたように星が散りばめられ、果たして見ているのか見られているのか、判然としない。
だがふたりの他にその会話を聞くものはいない。
あの、罪の夜のように。
同じふたりがいて、同じく星が瞬いている。
違うのは、待ち受けている彼らの未来。
彼等に約束されているのは、死でも戦いでも狂気でもない。
それは十三年という月日の中で、彼等自身が勝ち得たもの。
「星はただそこに在り、輝くのみ。我等はただ、それを見上げる者。星から見れば我等の間に差などなかろう。立場も……罪も」
シオンも跪いた。ようやく顔を上げたサガと目線を合わせる。
「余もまた、罪を犯しておった。……こうしてお前と、真っ向から向き合うことをしなかったことだ」
「教皇……」
いくら最高位の黄金聖衣を拝領していたとはいえ、あの時はまだほんの少年でしかなかったサガ。もっと気に掛け、見守る義務がシオンにはあったはずだった。
今、サガは既に立派な大人の男に成長していたが、シオンを見上げるその表情はあのころのままだった。
許されるべきだ。
そして、進まなければならない。
共に同じものを目指していくために。