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めぐりあい1
その日は、そもそもおかしな日だった。
普段顔を会わせる機会に恵まれない人間同士が鉢合わせする確立の一番高い教皇の間ではなく、野外の、しかも闘技場でもないただの荒地で出会ってしまったところから、まずおかしかったのだ。それなりに広いこの聖域にはちょっと開けた荒地など無数にある。そのどれかで行き会うなど、まずそこからおかしかったのだ。
「……おはよう。ずいぶん早いのだな」
とりあえず挨拶などしてみた。相手は普段、動じることなどありえないといった雰囲気を醸し出している男だが、今朝はさすがに驚いたらしい。歯切れの悪い話し振りは、この男にしては珍しかった。
「……貴方こそ早いではないか……念の為聞いておくが、貴方はサガではなく、カノンの方だろう?」
カノンはなんとも言えない表情をした。それは目の前の男に、果たして見えているのかいないのか。大体、目も開かずにどうやって双子を混同、もしくは区別しているのか甚だ疑問ではある。
「ずいぶんなご挨拶だな、シャカ」
「それは失礼をした」
さすがは礼儀を重んじるシャカである。しかし詫びの言葉は出ても、全く悪びれた様子はない。いっそ爽やかですらある。これでは気を取り直すしかない。
「朝から訓練か?」
「日々の鍛錬を怠れば、小宇宙はともかく体の方はすぐに衰えてしまうからな」
「……毎朝やっていたのか? それにしては今まで見かけなかったが」
「場所はランダムに変えているし、昨日までインドに戻っていた」
ああなるほど、と頷くカノンに今度はシャカが質問を向ける。
「貴方も訓練か?」
「ああ。俺のじゃないがな」
シャカが首を傾げた。思ったより子供っぽい仕草をするものだとカノンは変なところで感心し、付け足した。
「訓練生の様子見と雑兵たちの定期訓練を頼まれたんだ」
「なるほど」
例の十三年間の所為というかお陰と言うべきか、カノンは人を纏め、指導することが上手かった。それとも元々そういう適性があったのか。どちらにしても教官向き、上司向きな男であるというのが現在、聖域におけるカノンに対する評価だった。
得心がいったようにシャカは頷き、申し出る。
「見学させてもらっても構わないだろうか?」
「……」
まさかこの男の口からこんな台詞が出てくるとは思わなかった。
迂闊にもカノンは一瞬ぽかんとしてしまった。返答までにわずかな間が空いた筈だが、シャカは気づかなかったようだ。とりあえず断る理由もないので承諾しておいた。
目を閉じたままの飛び入り見学者は、相変わらず何を考えているのかわからない顔で礼を言った。
***
黄金聖闘士直々の指導を受けられる機会は滅多にない。喜び半分緊張半分で集合した彼らの心中の八十%は、いまや緊張に占められていた。原因は黄金聖闘士の中でも遭遇率が極端に低いと噂の乙女座の所為である。
瞼を閉じたまま静かに座して、果たして見学の意味があるのかないのか。指導員を含む全員、やりにくいことこの上なかった。瞑想するなら自宮でやれと喉元までせりあがった台詞を指導員が何とか飲み込めたのは、時折乙女座が発するアドバイスのようなものがあったからだ。ちゃんと見ているらしいことはわかったが、却って訓練生(子供)達の集中力は落ちてしまった。一方で雑兵(大人)達は緊張しすぎてしまうのか、動きが悪くなった。これでは逆効果である。言いたいことは言いたいときに言ってしまうべきだったと悔やんでももう遅い。勢いに任せて言ってしまったほうが楽だったのにと、カノンは己の慎ましさを恨んだ。
「全員、組み手止め」
このままではどうやら予定のカリキュラムをこなすのは無理らしいと、早々に決断した。
「外周コースランニング――1時間以内に戻って来るように」
聖域結界内側ぎりぎりの広範かつ急峻なコース、しかも時間制限付を宣告されて、通常なら溜息のひとつも聞こえてくるところだ。しかし今日のこれは指導員の温情の賜物である。誰もがその意図を正しく理解し、我先にと走り出した。
そそくさと遠ざかっていく一団のの背中を見送りながら、カノンは腹を括った。座したままの見学者の元へ向かう。タイムリミットを設けた以上、1時間以内になんとしても撃退――もとい、お引取り願わねばならない。
辛い戦いになりそうだと、彼は悲壮な覚悟でシャカと向かい合った。
時間にしておよそ三十分経過後。押し問答は禅問答の様相を呈してきていた。
常日頃、兄によって鍛えられているのが裏目に出た。口論を継続させる忍耐力が無駄についてしまっている。これではいかんと、仕切り直しを図ろうとしたときだった。
「……なんだ?」
大気が震えたように感じた。遠くから何かが高く低く響いてくる。
カノンは眉をひそめた。
振動や轟音は、ここ聖域では別段珍しい現象ではない。己の力のみで空を裂き、地を割る聖闘士が集い、また聖闘士を目指すものが学ぶこの地では、むしろ当たり前のことだ。
だが、今のは違う。
証拠に、シャカも微かに顔をしかめている。言葉を途切らせたカノンを訝しんでいるわけではないと、閉じた瞳を空に向けていることからわかる。ぽつりと呟いた。
「小宇宙は感じられんが……」
カノンも空を見上げた。確かに小宇宙は感じない。初めは振動だと思ったが、これは音だ。戦闘機のエンジン音に似ていると思った。
「近くで、どこかの軍が演習でもしているのか?」
ひとりごちたその言葉は、すぐに否定されることとなった。
――それは上空から落ちてきた。
凄まじい勢いで、合計三つのものが落ちてきたのだ。
ひとつはそのまま地面に激突して巨大な火柱を上げた。ほかのひとつは寸でのところで上昇に転じ、ひとつは地面すれすれを這う様に飛んで墜落を免れる。上昇した方が下をいく方を追っているように見えた。――問題はそれらが向かう方向だ。
「今頃あいつらが差し掛かっている辺りだ」
カノンは走り出した。シャカも即座に立ち上がり、追随する。
たとえ聖域の結界内でなくとも、放っては置けない事態であることは明白だった。
めぐりあい1 END