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夜が明けた。長い夜が。
まんじりともせずに一夜を明かしたはずのカノンは、それでも知らぬ間に少しばかりうつらうつらしてしまっていたらしい。
差し込む朝日で目が覚めた。
低い位置に設けられた明り取りの窓から入り込む光がカノンを直撃し、せっかく開いた瞼はまた反射的に閉ざされてしまう。
カノンは少し身体をずらし、目を開けた。疲れた瞳に朝日が染みる。
身体は疲れていたが、不思議なほどに気力は充実していた。ずっと繋がっていた手から、それはたゆまぬことなく供給され続けているのだから当然だ。
ゆるやかに、だが一定の強さを維持したまま注ぎ続けている小宇宙の代償とばかりに、その手のぬくもりはカノンに穏やかな充足感をもたらしている。
眩い陽の光に照らされた の顔は、未だ血の気が足りずにひたすらに白い。だが表情には苦悶の色はない。そして規則的に上下する胸と、そこに手を当てれば感じる鼓動は、昨夜に比べれば力強さを格段に増していた。
静かな寝顔を見つめるうちに、胸に湧き上がって止まなかった暖かい気持ちが、徐々に熱を上げてくる。それがなぜなのか、今のカノンは正確に理解している。
いとおしかった。愛しくてどうしようもない。
世界を疎み、世を人を恨み、それらすべてに向けて牙を剥いた自分がまさか、他人にこんな気持ちを抱く日が来るなどと。考えたこともなかった。
こんな気持ちを知ってようやく、カノンは理解することができたのだ。
世界とは、世界中どこにでもいる人々とは、各々がどれほど多様であろうとも、恨みや憎しみだけで損ねてはならないものなのだと。
きっと誰にでもこんな風に大切で仕方がない相手がいたり、今のカノンが に向けているのと同じような気持ちを向けられる誰かがいる。
そんな簡単なことに、やっと気づいた。
馬鹿なことをしたものだと。ずいぶんと、本当に馬鹿なことをしたのだと。
輝かしい朝日の中で、カノンはようやく目が覚めるように気がついた。
握りこんだ手を撫でる。白い肌に浮かぶ、赤い傷。意識が戻れば、きっとずいぶん痛むだろう。
だが、目を開けて欲しい。カノンは祈る。
深い空のような色の瞳で、はやくカノンを見て欲しかった。――この愚かな男を。お前に恋焦がれて止まない存在を。
すぐ傍にいるのだと。気づいて欲しい。
願いを込めて、くちづける。
そっと離れたところで、果たして伏せられ続けていた睫がついに震えた。離れていったぬくもりを惜しむかのように。
見守るカノンの視線の先で、待ち焦がれていた青い瞳が開かれた。
焦点が合わないのか不安定に揺れたまなざしは、カノンに向けられてようやく止まる。それは笑むようにわずかに細められ、次いでくちびるがわななく。なにか言葉を発しようとしているようだった。
だがカノンはそれが声になる前に、もう一度屈み込む。くちびるを触れ合わせた。離しては、角度を変えてくちづけることを繰り返す。満足するまで、繰り返し。何度も。
ようやく唇を離した頃には、 の口からは長い吐息が漏れ出るだけだった。言葉は、カノンが呑み込んでしまった。
代わりに呼びかける。――代わりに告げる。
「………… 。愛している」
陶然としたままカノンを見つめていた の瞳が見開かれた。まるで信じられないとでもいった風情だ。次いでわずかに眉がひそめられる。ようやく声を発した。
「まだ……夢を見ているのかしら? それとも私、やっぱり死んでしまったのかしら……?」
呆然とした口調は、それこそ夢を見ているようだった。
カノンは の背に腕を差し入れる。上体を抱え上げ、抱きしめた。後ろ頭を引き寄せ、肩にもたれかけさせる。そうすると、ちょうど耳元で囁くかたちになった。
「夢などであってたまるか。お前は生きてる。――ここでこうして、生きているじゃないか」
「だって」
されるがままにカノンの肩に頬を預け、 はつぶやく。
「夢みたいなんだもの……カノンが、あんな言葉を言ってくれるなんて」
カノンの肩に流れる髪に鼻先を埋める。声がくぐもった。
「嬉しすぎて、あんまり嬉しくて、まるで夢みたいなんだもの。……ああ、そうね……本当だわ。生きてる。だってこんなに胸がどきどきしてる。……生きているのね。でも、どうしよう」
困惑を隠せない声。カノンは暫時身を離し、 の顔をのぞき込む。どんな表情でこんなことを言っているのか、見てみたかった。
「どうしよう――生きているのに、カノンがこうして傍にいてくれて嬉しいのに――幸せすぎて死んでしまいそう……。でもその前に、どうしても言っておかないと」
潤む瞳がまっすぐにカノンを見上げていた。射貫かれて、息が詰まる。これではカノンのほうが死んでしまいそうだ。
「――あなたが好きです。カノン」
こんなことを言われてしまえば、本当に。
***
その報せは、まるで先程迎えたばかりの払暁のように、神聖なはずの神殿に立ち籠めていた暗く沈鬱な空気をきれいさっぱりと払い去った。
「では、カノンも さんも、無事なのですね?」
心配で一睡もできなかったのだろう。麗しくなくてはならないアテナのかんばせは、残念なことに血色があまり良くない。だが知らせを聞いて、精彩を取り戻していた。
喜色に弾む声に、は、と頭を下げたのはサガである。休んでいないのはアテナと同じだが、こちらは疲れた様子など微塵も窺わせずに端然と女神の前に膝をついている。
「少なくともカノンはほぼ無傷の様子。ですが は――」
わずかに言い淀んだサガを見て、アテナの声がまた萎む。
「怪我が……ひどいのでしょうね」
沈痛につぶやいた。だが次の瞬間には、きりりと顔を上げる。きびきびと質した。
「治療はどうしているのでしょうか?」
「小宇宙によるヒーリングを行いつつ、ナノマシンによる医療器具を使っていると」
「近くに、近代的な設備の整った病院などは?」
「現在地はあの拠点から少し離れた、国境を越えた寒村のようです。病院の有無以前に、今はあまり動かすべきではないだろうとカノンは申しておりますが。それに怪我が怪我です。下手に医療機関に運び込んで、あらぬ嫌疑がかかるのもいかがなものかと思われます」
サガは先程カノンから念話で伝え聞いた限りを、要点をまとめ私見を交えて奏上する。少し黙考して、アテナはまた口を開いた。
「カノン一人で動かすのが難しいのならば、迎えをやるというのはどうでしょう?」
「あれ以来沈黙を保っているとはいえ、NEOS・COSMOSの拠点からさほど遠くない場所です。あまり目立つのは得策ではないというのが、私とカノンの一致した意見です」
「……では、誰かテレポーテーションの能力に長けた者をやるのでは?」
「私の経験から申しますと、怪我人にそのような移動方法は禁物です、アテナ。大抵、傷が広がります。どういう理由かは存じませんが」
そこまで言われてしまえばもう打つ手がなかった。アテナは深く嘆息する。
随分と心を痛めている女神の様子に、サガも胸が痛んだ。なんとか安心させることのできる言葉を選ぶ。
「人目につきにくく、またある程度の居住性も備えた隠れ場所を得ているようです。ナノマシンによる治療の効果は出るのが早いと、カノンは申しておりました。早ければ十日ほどで、何とか移動できるようになるかもしれないとのことです」
「十日……」
多少は納得したようだが、まだ得心のいかない顔をしている。そんなアテナへ、サガは何を言えばいいのか。少し悩んで、不意にひらめいた。
「アテナ。カノンは私以上に外の世界を色々と経験してきている男です。しばらくは単独で何とかできると言っている以上、信用してやってはいただけないでしょうか」
果たしてアテナははっとしたようにサガをまじまじと見つめた。やがて恥じ入るようにうつむき、薄く笑みを浮かべる。多分に自嘲気味なそれを。
「そうですね。カノンは、しっかりしていますものね。それに さんがいるのですから、きっと悪いようにはしないでしょう」
ようやくわかってもらえた。サガはほっと胸を撫で下ろす。アテナには、無駄な憂いを抱いて欲しくはないのだ。――かつて自らの行いのせいで、散々心痛を与えてしまった身としては、切実に。
吹っ切れたような微笑を浮かべ、アテナは穏やかな口調で言いつける。
「カノンによろしく伝えて下さい。聖域は、一刻も早い二人の帰還を待っていると。それから、入り用のものがあるのなら手配するくらいはできますね?」
「はい」
「では、そのように。頼みましたよ、サガ」
「は」
一礼し、サガは御前を辞すべく立ち上がる。背を返したところで、ちいさな声が投げかけられた。
「カノンは、見つけることができたのでしょうか。……気づくことが、できたのかしら。なによりも大事なものを。心の底から、守りたいと思えるものの存在に」
独白なのか、サガに語りかけているのか。
一瞬立ち止まってしまった。しかしサガは前者であると解釈し、粛々と退出することに決める。
なぜなら、それはサガの知るところではないし、なによりサガ自身が知りたいことでもあった。
もしも本当にカノンがそうしたすべてを掴むことができたのなら、もしかしたらサガはカノンに、もう永遠に敵わないのかもしれない。
とうの昔に別れていた兄弟の道は、さらに別の方向へと離れていったのだと、そう思えた。
***
眠って、起きて。
気づくと夜になっていて、また目を開ければ朝日が眩しい。
そんな日々を数日繰り返すうちに、徐々に目覚めている時間が長くなっていった。
怪我の割には回復が異様に早い。 がようやくそう気づいたのも、もう何日がたった後だっただろう。
ぼんやりと目を開ける。自由になる左手を上げた。まじまじと眺めれば、負っていたと思われる外傷が大きいもの以外はほぼ消えているのがわかる。傷口に貼られているテープは元の世界で見慣れていたもので、これなら通常よりも早く治癒するのも当然だ。
だがこんなものを、少なくとも は持っていなかったはずだ。
他の傷――右腕が特にひどいが――も、おそらく医療用のナノマシンの効果と思われるめざましい回復を見せている。
横たわったまま、 は上げていた左手で脇に散らばる自分の髪をつまみ上げた。窓から差し込む陽光に照らされて、暗めの金色が少しだけ白っぽく見える。ずっと常駐させていたナノマシンが完全に死滅した証だった。
それなのにどうして。 は一人、首を傾げる。カノンはどこでこんなものを手に入れたのだろう?
あたりをくるりと見渡したが、カノンの姿はなかった。大抵 の近くにいるのだが、時折なにかを調達しに出かけているようだった。当たり前のことだとわかってはいたが、少し寂しい気がした。こんなところに、一人で残されているのは。
とろとろとまた眠りに落ちていこうとする意識の中で、 は思う。カノンが戻ってきたら、聞いてみよう。
だから次に目が覚めたときには、隣にカノンがいてくれるといい。
***
あの日以来、どこかの街のうち捨てられた教会にカノンと は居座り続けている。
頑丈な鍵で閉ざされていたそこは、長い間とくに荒らされた様子もなく、また周囲に人影も少ない。聖堂の奥には、かつて神職者が住んでいたのだろう部屋があり、幸いなことに家具もそのまま残されていた。
夜の灯りと、出入りする際に注意を払いさえすれば、ここは実に理想的なセーフハウスたり得た。
だからカノンも落ち着いて の世話ができている。 もまた安心してそれを受け入れているようだった。
決して望ましいかたちでの隠遁生活ではない。しかしなぜか安らぐ日々。
絶対に通じることなどない。間違っても報われる日など来るはずがない。そうであるはずだった互いの想いが通じ合い、これ以上ないほどに満ち足りた時間。そして他者の入り込まない、二人だけの空間。
それは信じられないほどに穏やかで安逸な日々だった。これまでずっと、戦いの中に身を置いてきた二人にとっては、まるで夢のような。
帰路を辿るカノンの足は自然と速くなる。 が眠っている隙に所用を足しに出たのだが、思ったよりも時間を取られてしまった。もう目覚めているかもしれない。
ナノマシンによる傷の回復は目覚ましかったが、代償のように は眠り続けていた。その間は痛みもないようだし、もしかしたら傷の修復作業中のナノマシンは麻酔のような作用を持つのかもしれない。さすがにカノンもそこまでの詳細は知らなかったが、とりあえず順調に回復しているようなので文句はない。
だが気がかりなこともあった。
カノンは出たときとは違う場所から、聖堂の裏側に位置している居住部分の柵を跳び越える。根城にしている教会へは、毎度違う方向から戻ることにしていた。人に見られないように留意してはいるが、万が一ということもある。注意は払いすぎていても問題はない。
部屋へ入る。 はまだ眠っていた。出たときとは体勢が変わっている。もしかしたら、一旦目が覚めたのかもしれない。寝顔が少し寂しげに見えた。書き置きを残しておくべきだっただろうか。
荷物を置いてベッド脇の椅子に腰掛けた。眠る の額に触れる。外気で冷やされたことを差し引いても、手に感じる温度は異様に高い。
「また熱が上がったな……」
独りごち、首筋に手を滑らせた。たいして汗ばんでもいない。つまりこれからもっと体温が上昇することを意味している。
冷えていた手がみるみるうちに温められていく。水瓶座のカミュのような技が使えたらいいのにと、ふと思った。どうやったらあんな冷気が生み出せるのか。恐らく小宇宙で、物質の電子の動きを制御するのだろうが――
「……カノン?」
掠れ気味の声で呼ばれて、 が目覚めたことに気づいた。首筋に当てた手に頬擦りするように顔を寄せ、カノンを見上げてはにかむように微笑っている。
「おかえりなさい」
やはり一度目を覚ましていたらしい。頬を寄せられた手で、髪を撫でてやった。額にキスをひとつ落とすと、くすぐったそうに身を捩る。くちびるが触れた額は驚くくらい熱かった。
「黙って出かけて悪かったな。調子はどうだ?」
「痛みはないわ。でも、少し寒い」
「だろうな」
やっぱりだ。肩をすくめ、カノンは毛布を取りに立ち上がる。その背に声が掛けられる。
「カノン」
「なんだ?」
珍しく声がはっきりしていた。振り返ってみれば、カノンへと向けられるまなざしもしっかりとした光を湛えている。ほとんど意識が混濁していたような状態だったから、こんな を見るのはずいぶんと久しぶりな気がした。
「あれから、どのくらい経ったのかしら?」
こんな質問は初めてだった。回復ぶりがうかがえる。ふっと安堵の笑みが漏れた。
「5日だ。やっとばっちり目が覚めたか? 寝坊もいいところだぞ」
毛布を手に の元へ戻る。掛けてやりながらからかい気味に答えれば、 は苦笑した。
「ええ、ごめんなさい。なんだか今までにないくらい頭がすっきりしているわ。今なら何でも冷静に考えられそう。――寒いし、だるいけれど。それにしても5日も経っているのに、まだ熱が下がらないなんて……」
が言っているのは多分、侵襲熱というもののことだろう。確かにそれもあったが、今のはおそらく違う。
「怪我した後から、当たり前だが発熱していた。それはいったん少しは下がったんだが、また昨日あたりからぶりかえした。ここはそうそう不衛生な環境でもないし、聖域から持ってこさせた抗生物質も使っている。まさか敗血症というわけでもないだろう。大方、これまでナノマシンに頼りっきりだったツケが回ってきたんだろうさ」
「……きっとその通りなんでしょうね。あの……カノン?」
すっきりしているという割には、やはり受け答えにいつものような明瞭さがない。毛布を整え終わるとカノンは椅子に座りなおす。顔を覗き込めば、相変わらず血の気が乏しいくせに妙に上気したような頬の色がアンバランスだった。
「今の話を聞く限り、やっぱり私が持っていたナノマシンは死滅したと考えていいと思うのだけれど、でもそれにしては怪我の回復が早いような気がするの」
気づいたか。カノンは更に安堵する。口調に切れがないのは、単に熱のせいらしい。本人申告どおり、確かに思考ははっきりしているようだ。
すべてを言わせず、端的に教えてやる。
「デュオ・マックスウェルに会った」
それだけで、 は何もかもを諒解した。
「デュオに……ああ、そうだったの……」
どこかぼんやりと夢見るようにつぶやいて、 は遠い目をした。それきり黙る。なんの思いに耽っているのか、カノンにはわからなかった。少々面白くない。
やがて は聞いた。ひそやかな声で。
「デュオは、なにか言っていた?」
叱られる前の子供のような顔をしていた。カノンは手を伸ばす。軽く肩をすくめる の頭を撫でた。デュオが、別れ際にそうしていたように。
「生きていて良かった、と」
静かな声に、 は軽く目を見張る。わずかに瞳が潤んでいた。
「そう……」
それだけつぶやくと、また黙ってしまう。きっと他にも聞きたいことは沢山あるのだろう。だが、言葉にならないようだった。気持ちの整理がつかないのか、それとも尋ねることを憚っているのか。それはカノンにはわからない。元の世界に通ずる事項など、聞かれない以上、答える必要も感じなかった。ただ一つだけ告げてやる。
「NEOS・COSMOSに関しては、しばらく自分達に任せてくれといっていた。作戦が進行しているそうだ」
「そうでしょうね。あの介入の仕方は確信的だったわ。……私のすべきことなんて、もうないのでしょうね……」
あまりにも寂しげにつぶやいたことよりも、その内容にカノンは呆れた。
「まさか、まだなにかやらかすつもりだったのか?」
その口調には、さすがに傷ついたらしい。 はしょんぼりと目を伏せてしまった。
「それこそまさかよ。――あんな最終手段を使った人間が、その先なんて考えていたわけがないでしょう」
カノンは眉をひそめた。 の口からこうもはっきりと、あの自爆について語られるとは思わなかった。
「私はもう、死んだようなものだもの……」
息が詰まった気がした。その話は、とっくの昔に終わっているはずだ。自虐的な言葉など、もう聞きたくはない。
「おまえは! まだそんなことを言って――」
少しばかり荒くなったカノンの言葉は中断を余儀なくされた。
「馬鹿なことをしたわ。本当に、馬鹿なことを」
自由になる左手で、 はカノンの手に触れる。指先だけはなぜかひどく冷たかった。それでも感じる。確かな存在を。
「あなたとこんなふうに触れ合える幸せを、私はもう少しで失うところだった。本当に、なんて馬鹿だったのかしら……」
まっすぐにカノンを見上げるまなざしが少しばかり潤んでいた。
「こんな駄目な私はもう使い物にはならないわ。だからもう死んだも同じこと。きっとそう判断されてる。私のすべきことなんてもうないし、なにもさせてもらえない。でもね、カノン」
きゅっとカノンの指を握り、 は言い募る。
「それでもね、思っているの。心から。本当に、生きてて良かったって。死ななくて良かった、って。――助けてくれて、本当にありがとう、カノン。でも」
は不意に握りしめていたカノンの手を離した。目元を覆う。凝視するカノンの視線から、逃れるつもりなのだ。次の言葉でそう知れた。
「同じような状況になったら、きっと私はまた同じ選択をするわ。凝りもせず、あの方法しかないのだと疑いもせずに。――私ね、カノンを好きになって、この世界も好きになったみたい。だから嫌だったの。この世界が変えられてしまうのを見るのが。だからきっと、同じようなことが起こったらまた同じことをしてしまうんだわ。なんで私、こんなに馬鹿なのかしら。せっかく助けてもらったのに、こんなことを考えているなんて。ごめんなさいカノン、ごめんなさい――」
横たわったまま意固地に顔を隠し続ける の手を、最初は引きはがしてやろうと思った。目を合わせ、本当に馬鹿だと叱ってやろうと。
だがカノンは結局そうしなかった。
首の後ろから腕を差し入れ、肩を引き上げて上体を起こす。急に動かされてどこか痛んだのだろう。 は微かな呻き声を上げたが、構わなかった。報いだ。カノンはこんなに胸の痛む言葉を聞かされたのだから。
「いくらでも気の済むようにすればいい。ただし、そのときには俺も一緒だ。また黙って、一人でやるなど許さん。一人で逝こうとするなど――絶対に、次は許さん」
「でも、カノン」
いつの間にか顔を覆っていた左手は落ちていた。起き上がった状態で目を合わせるのは、ずいぶんと久しぶりな気がする。
困ったように瞳が揺れていた。首を傾げるしぐさも、本当に久しぶりだった。
「許さないって……どうやって?」
どこか気弱そうな声に慣れるのには、少し時間がかかりそうだ。だがこれこそが、 がカノンの前では虚勢を張るのをやめたということの証に他ならない。――だから決して、悪くはない。
カノンしか知らないのだ。こんな声も、こんな表情も。
そう考えると、なんとも言いようのない不思議な気持ちになった。自分だけだという満足感と、それでもなにかを掌握し切れていない不満がない交ぜになっている。いったい、なにがまだ足りないというのか。
じっとカノンを見上げる の瞳に映り込んだ自分が見える。もの言いたげに、だがカノンの答えを待っているくちびるは閉ざされたままだ。
きっと、足りないものはまだ の中にある。それを暴き出し、取り出したいと思った。カノンの知らないことがあり続ける限り、この不満は解消されない。これは確信だ。
「――こうやって、だ」
だから明らかにする。 のなにもかもを、把握したい。そうしないとこの不満は――不安は、消え去ることはない。
くちづけた。
閉ざされたくちびるをこじ開けて、その奥にまだかたちにならずに眠っている言葉を、想いを引き出すために。
融けあう宇宙:Re-Unite 7 END
15章目にしてようやく『夢小説』らしい内容になったのではないかと自分では思っているのですが、いかがでしたでしょうか。
ここまで来たら終わりがそろそろ見えてきそうなものですが、やっとGW勢が出てきたところですので、今度はそちら方面を強化して引っ張りたいと思っております。
せっかく気持ちを通じ合わせた人たちには、どこかでバカップルっぽい言動をさせてみたいという野心もあります。
というわけで、まだ続くみたいです。
今後もよろしくお付き合いいただければ幸いです。
|ω・)。oO(一応ラストは決まっているけれど、いつ日の目を見ることになるのかわからないなんてとても言えない……)