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Side-S:16章 Promised Reunion 3


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 聖域中が静まり返っていた。
 全ての者へ、主神自らが急遽申し渡した奇妙な謹慎令によって、出歩いているものは皆無だ。
 ただ一人、例外を許されたサガは人気のない教皇宮を歩く。迷うことなく道を辿り、奥まった場所にある扉の前でその歩みを止めた。
 今朝にも叩いた扉だった。しかし閉ざされた扉は、今は恐らくサガを歓迎はしていない。この向こうにいる女が待つのは彼ではなく、彼の弟なのだから。
 だがサガは躊躇うことなく扉を叩いた。彼にはそうする義務がある。まだ本調子ではないと聞いていた。返答もなしに踏み込むことは、できれば避けたい。
 サガの憂慮をよそに、果たしてすぐに応えがあった。
「はい? どなたでしょうか?」
 久しぶりに聞いた の声。思ったよりも張りがある。良かった。起きていたようだ。急いで尋ねる。
「入っても構わないだろうか?」
 聞いてしまってから、名乗るのを忘れたことに気づいた。だが は間違えたりはしなかった。
「サガ? どうぞ。開いています」
「では失礼する」
 入る。陽光の差し込む明るい室内に、暗い廊下から入ってきた目が慣れるのに数瞬を要した。
「なにかあったのでしょうか? なんだか……様子が以前と随分違うようですが」
 開いた窓にもたれ掛かり、 はサガを見ていた。この部屋は十二宮の方ではなく、アテナ神像に向けて開かれている。そこから外の様子を窺っていたらしい。
 外の風に揺れる髪が、光を透かして金色に輝いていた。サガは眼を細める。話には聞いていたが、どうにも見慣れなかった。しかもどういうわけか白いキトンを纏っている。イオニア式のそれは腕までも覆っているから、もしかしたら怪我を隠すためなのかもしれなかった。
 何もかもが以前の と違っている。目の前にいるのは本当に なのだろうか。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、サガは疑念を抱かずにはいられない。
「カノンも出て行ったきりだし、他の方もみんな引き上げてしまいました。まるで戒厳令でも出ているかのようです。昨日は何事もなかったと思うのですが……」
 しかし抑揚の乏しい口調は相変わらずだった。
「……あの、サガ?」
 わずかに首を傾げて見上げる仕草も、記憶にあるとおりだ。ぱっと見の印象は違っていても、確かに だ。サガは密かに苦笑する。
「私と一緒に来て欲しい」
 窓辺から離れようとしない へと歩み寄る。おそらく は先程、闘技場へと降り立った小型艦の音を聞いたのだ。様子からしてその正体には思い当たっていないようだが、訝しんではいる。
「どこへでしょう?」
 少し困ったようにサガを見返すその瞳が随分と穏やかになっている。それが一連の違和感の決定打なのだとわかった。
 あの大規模な作戦を自爆で締めくくった後、一体なにがあったのかはサガの知るところではない。だがこの変化が悪いこととは思わない。
 だから、ふと迷いが生じた。サガがこれから行おうとしていることは、もしかしたら を元の に戻してしまうことになるのかもしれない。それは果たして良いことなのかどうか。
 サガが答えあぐねたのはそう長い時間ではなかったはずだ。だがその隙を見計らったかのように、それは起こった。
 唐突に女神の小宇宙が大きく膨らんだ。
「……なんだ?」
 見回してどうなるわけではないとわかってはいるが、そうせずにはいられなかった。切羽詰まっているだとか、攻撃的なそれではない。だからそう警戒はしなかったが、それでも異変には違いない。
 サガが身構えたのと同時に、 もまた怪訝な顔をして窓の外へ目を向けた。
「なんでしょう――この感じ」
「わかるのか?」
 小宇宙を感じ取っているらしい。そのことに驚いてサガは聞いたのだが、答えは得られなかった。
 突如起こった鈍い振動に建物が揺れる。地の底から響いてきた弾けるような音は、まるで神殿の地下深くで爆発でも起こったかのようだった。
  が身を強ばらせる。悲鳴を上げるのではとサガは危惧したが、さすがにそのような失態は犯さなかった。だが明らかに脅えている。
 思わずサガは手を伸ばす。縮こまる を捕まえ、抱き込んだ。安心させようと背を軽く撫でる。
「大丈夫だ。音は神像の方から聞こえた。あの下には封印の間がある。なにかが、解き放たれたのだろう」
 宥めるために紡いだ言葉は、図らずもサガ自身を納得させた。
「彼等はおそらく、それを受け取るために来たのだ」
「彼等?」
 どうやら落ち着いたらしい。 はサガを見上げた。ずいぶんと慣れた様子でサガの腕の中に納まっている。なにやら不思議な気がして、サガのほうが落ち着かない気分になった。
「客人が来ている」
 口早に告げる。多分、急いだほうがいい。そう自分に言い聞かせて、 を抱き上げる。小さく驚きの声を上げてしがみついてきた に、既に歩き出してから教えてやった。
「お前の仲間だ――お前に投降を命令した男もいる」
 サガの肩を掴んだ手をびくりとこわばらせながらも、 の声は落ち着いていた。
「――そうですか」
 それだけ言って口を噤んだ。会いたいのか、そうではないのか。それきりうつむいてしまったので、 が何を思っているのか、サガはついぞ知ることはできなかった。


 ***


「待て、ヒイロ・ユイ!」
 そのまま黙って行かせてしまうわけには、断じていかなかった。
 断固たる決意を持って、カノンは前に出る。女神の前でこのような勝手、本来ならば許されるものではない。
 だがカノンは感情に従った。決めていたのだ。もしも顔を合わせることできたなら、そのときには言ってやろうと。 の記憶を垣間見た、あのときに。
 フルネームで呼びかけられたヒイロはカノンの目論見通りに足を止めた。鋭い視線をカノンに投げかける。
 先程女神は、彼をヒイロとしか呼ばなかった。この場で彼のフルネームを知っている者はいないはずなのだ。そのことに気づけばいいと、あえて呼びかけた。
 実際、突然声を上げたカノンに対して驚きの声が上がっている。隣にいるデスマスクなど、マントを引っ張って静止しようとしているくらいだ。
「おい、どういうつもりだよ」
 答えずに振り払う。その後ろで、冷静な声が聞こえた。
「ユイ、と言いましたね。……もしかして彼は」
 ムウがこちらを向いたヒイロをまじまじと見ている。同じような声が他の場所でも上がっていた。聡い者ならばそれらのつながりなど、簡単にわかることだ。
 だから同僚には応えず、カノンはそのままヒイロの方へと向かっていった。ヒイロは黙って立ち止まっている。待ち受けているようだった。
 あと数歩という距離で、カノンは足を止める。こちらに向き直りもしない相手をしげしげと眺めた。目の前に立てば、思っていたよりも背の低い男だった。勿論カノンに比べればという話だ。だが、もっと大きな男だという印象があった。幼い の記憶を覗いたせいかもしれない。
 ヒイロもまた、脇まで歩み寄ってきたカノンを顔だけ向けて頭から足もとまでざっと検分していた。自分の名を正確に呼んだ人間が誰か、確認していたのだろう。勿論すぐに結論は出された。
「――おまえは?」
 低い声で尋ねる。敵意すら籠もっていそうな、剣呑な声だった。恐ろしいほどの気迫がある。頭一つ分以上の身長差のせいで、上目遣いでカノンを見上げながら睨みつけていることを差し引いても、随分と機嫌が悪そうだ。
 だがカノンにも相手の気分を忖度するような余裕などない。そして質問したいのはカノンの方なのだ。だから呼び止めた。
「どうして、あんな指令を出した?」
 ヒイロの問いには答えなかった。ただ聞いてやろうと思っていたことだけをストレートにぶつける。
 鬱陶しげに溜息をつき、ヒイロはようやくカノンの方へ身体ごと向けた。まともに相手をするつもりになったらしい。
「――なんのことだ?」
 さらに鋭さを増した眼光に怯むことなく、重ねてカノンは問う。
「何故、 にあんな指令を出したのかと聞いている」
「……!?」
 ヒイロが息を呑んだ。 の名を聞いての反応であることは明白だ。きつく吊り上げられていただけの目が、わずかに見開かれている。
 だがカノンはそんなヒイロの様子に頓着することなく、さらに詰め寄る。
「あのとき、何故おまえは に自爆を示唆するような指令を出したりした!?」
 叫ぶのではなく、低く恫喝するような調子の声になったのは意図したわけではない。それほどこの憤りの根は深いところに沈み込んでいる。
「答えろ、ヒイロ・ユイ!」
 怒りを募らせるカノンとは対照的に、ヒイロの目つきがわずかながらも和らいだ。
「おまえは…… を知っているのか……?」
 見た目からは気づきにくくとも、口調がヒイロの動揺を如実に現している。このように口ごもるなど、もしかしたらほとんど異常事態であるのかもしれなかった。証拠に、入り口付近で待機していた彼の仲間が二人とも硬直している。そのうちの一人がにやりとほくそ笑んでいたことまでは、いかなカノンといえども察知できようはずもない。
 ヒイロの困惑気味のまなざしにさすがに気づき、カノンは少しばかり口調を改めた。ようやく名乗る。
「俺はカノン。――こちらの世界での、 の特定協力者を引き受けている」
の……!?」
 一瞬言葉を詰まらせ、ヒイロはまじまじとカノンを見上げた。
「―― が、おまえを協力者に指名したというのか……?」
 懐疑的ながらも、どこか諦観の響きがある問いかけだった。鋭さは相変わらずながらも、ヒイロの気配からは先ほどの険しさなくなった。
 そのことにむしろ内心で怯みながらも、カノンは虚勢を崩さない。
「そうだ」
「………………」
 だがヒイロはそんなカノンを無言で見上げるだけだった。それきり口を開く様子はない。
 じれったくなり、カノンは再び詰め寄った。
「そんなことはどうでもいい。さあ答えろ。なぜ、 にあんな……!」
 ヒイロに向けて、一歩踏み出したときだった。

「やめて、カノン!」

 高い声が割り込んだ。カノンにとっては聞き慣れた。そしてヒイロにとっては、恐らくひどく久方ぶりの。
 ヒイロとカノンに集中していた視線が、一斉にそちらへ向けられる。アテナの玉座のほど近くにある、教皇の出入り口へと。
 この場のほとんどの者が、随分久しぶりにその姿を目にした。本当に生きていたのかとか、よくぞ無事でとか、そういう感想を誰もが抱いたはずだった。
 しかしサガに抱えられ、白いキトンを纏った に、それでも誰も声をかけることはできなかった。
 対立する格好の弟と客人を目にして眉をひそめ、サガは抱えていた を床に下ろす。自らの足で立った は上段に坐すアテナに一礼するやいなや、黙って自分を見ているヒイロへ、そして険しい表情を崩さないカノンの元へと半ば駆けるように向かった。
!」
 舌打ちし、カノンはアテナの近くで動こうとしないサガへと目をやる。睨みつけた。そしてヒイロから離れ、小走りにやってきた を迎える。抱き留め、それ以上ヒイロの方へ向かうのを許さなかった。
 その様子をヒイロはやはり無言のまま眺めていた。
「なぜ来た? 部屋にいろと言っただろう」
 半ば押し戻すように の動きを封じ、カノンは幾分声を潜めて叱責する。 はされるがままになりながらも、恨めしげにカノンを見上げた。
「どうして教えてくれなかったの?」
「俺だって知らなかった。――知っていても、教えなかったがな」
 その物言いに眉根を寄せ、 はうつむいた。一旦口を開きかけて、結局閉じる。どうやらここで言い合っても仕方がないと諦めたようだ。ややあって顔を上げた。やけにきっぱりとしている。その表情を目にした瞬間、抑えつける腕に思わず力が入った。尤も、カノンの腕からそう容易く逃れるなどできるはずもない。 もそれはわかっているのだろう。無駄な抵抗はせず、顔だけをヒイロの方へ向けた。
「――長いこと、連絡を取らず申し訳ありませんでした。通信手段を失っていました」
 杓子定規の報告はひどく頑なな口調でなされた。これを聞くのは久しぶりだとカノンは思い、だから嫌だったのだと舌打ちが漏れる。
「……生きていたのか」
 しかし掠れ気味のヒイロの声に、カノンは思わず目を瞠った。本当に知らなかったとは思わなかった。しかも今のヒイロの様子はどうだ。たった今の よりは余程、感情を露わにしている。
 ヒイロは改めてカノンに目を向ける。
「カノンと言ったな。お前が、助けてくれたのか」
「……そうだ」
 カノンの返答に、ヒイロはわずかに眼を細めた。ちらりと を見る。すぐにカノンに視線を戻した。
「礼を言う」
 口調は淡々としていたが、まっすぐにカノンを見据えたその態度に真摯さは感じ取れた。だがカノンは素直にそれを受け取る気にはなれない。
「それは、 の上司として言っているのか? それとも――父親としての言葉か?」
 どうしても確認したいことがある。気を許すわけには、断じていかない。
 カノンの一言に、場が一気にざわめいた。納得の言葉が多く飛び交い、 とヒイロに視線が集中する。カノンの腕の中で、 が気まずげにうなだれた。
 だがヒイロは臆することなく、カノンの質問に答える。
「両方だ」
 堂々としていた。
 カノンの額に青筋が浮かぶ。張り上げたくなる怒声を抑えるのは大変だった。
「では改めて聞く。――何故、自爆を命じたりした?」
「カノン、やめて。違うの!」
  が慌てて制止に入る。身体に回されて離れないカノンの腕を掴み返した。だがカノンはそんなことで心を動かされたりはしない。それほどに怒りは深い。
「何が違う? 実際おまえは――」
 しかし も必死だ。
「違うの。あれは私が勝手に」
「違わない。たとえこいつに」
  の言葉とヒイロへ向けられた視線を遮り、代わりにカノンがヒイロを真正面から見据えた。
「そういう意図がなかったとしてもだ」
  を背中から片手で抱きしめるように抱えたまま、カノンはヒイロに向けて言い放つ。
「モビルスーツは渡さない。貴様は確かにそう言っただけだった。聞きようによっては、モビルスーツで逃げろとも取れた。実際貴様はそのつもりで言ったのだろう。だが――」
  が呆然とカノンを見上げた。全部わかっていたのかとその瞳が問うている。 のために彼は怒っているのだと、やっと理解したのに違いなかった。
「他でもない、貴様だけはあの言葉を言うべきではなかった」
 ヒイロの目が、ついに逸らされた。それでもカノンの追求は止まない。
「かつて同じ指令を出されて、やはり自爆を選んだ貴様には、あんな指令を出す資格はなかったんだ! 違うか!」
「カノン……」
 小さく名を呟いて、 はそれきり口を閉ざしてしまった。腕の中からわずかに打ち震える気配が伝わってくる。こんなに近くにいるのに、なにを思っているのかまではわからない。それが酷くもどかしかった。今、自分がやっているのは にとっては恐らく余計なことだろう。わかっている。だがそれでも、カノンは知りたいのだ。あのとき、 にそこまでの覚悟を強いた理由の一端を。 本人に聞いても埒の開かない部分の答えを、目の前の男は間違い無く持っているはずだ。
「良くも悪くも、 は確かに貴様の血を引いている。そのうえ更にピースクラフトの呪縛に絡め取られていたのだ。たった一人でずっと戦い続けて追い詰められて、最後にああいう逃げを求めていた。 一人きりでは、もうあれ以上戦い続けることは不可能だったからだ。貴様らが来なくても、 は結局同じことをしただろう」
 ビクリと の体がこわばるのをカノンは感じた。目を向けなくとも、俯いてしまったこともわかる。もしかしたら浮かんだ涙を隠しきれなくなったのかもしれない。
「だが貴様らは現れた。最後の最後で、間に合ったんだ。あの瞬間、 はもう一人ではなくなった。なのになぜ――なぜあんなことを言ったのだ!」
 ついに は両手で顔を覆ってしまった。こらえきれなくなったものを、必死で押しとどめようとしているようにも見える。
  の心情も顧みず、勝手に激昂してしまったことをふと恥じた。守ると決めていたのに、これでは反対ではないか。後ろ頭に手を添えてやる。反省の意を込めてできるだけそっと、包み込むように。
 そんなカノンや を、ヒイロ・ユイはただ眺めている。カノンの糾弾に答える気が果たしてあるのか、ないのか。やがて一言も発しないまま、目を逸らす。
 おい、とカノンが返答をもぎ取ろうとした矢先だった。
「……返す言葉もないな」
 ようやく絞り出した言葉だと、嫌でも知れた。どこか投げやりな響きは隠しようもない自嘲を孕んでいる。言い訳もなにもするつもりがないということか。
 成程、これでは仕方がない。カノンは舌打ちを寸での所でこらえた。ヒイロ・ユイという男は恐らく、そういう人間なのだ。悟るしかなかった。
 ――この場でカノンの問いに答えられる器用さをヒイロ・ユイが持ち合わせていたならば、あのような言葉をあの場面で言うような愚を犯したりはしなかっただろう。
 ヒイロが完全に言葉を失って、カノンもまたそれ以上の責めの言葉を失ってしまった。気不味い沈黙が落ちて広がる。
 その暫時の重い静寂を打ち破るかのように、突然手を叩く音が響いた。


Promised Reunion 3 / To Be Continued

2012/04/20


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