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報告1
「怪我をされたという方は、大丈夫なのですか?」
それにカノンも、と続ける涼やかな声に、サガは慌てて膝を折って礼を取る。
数段高くなっている教皇の玉座。その豪奢な椅子の肘掛に横から手を添えて、立ったまま女神はサガを出迎えた。教皇本人はどことなく居心地悪そうに玉座に収まっている。いつものことだ。上背のあるシオンを見上げるのに首が痛くなってしまうからと、女神は頑として席を譲られようとしない。
教皇の間に急ぎ戻ってみれば、いつのまにか人数が増えていた。そういえば双児宮からここまで、誰にも会わなかったと今更気づく。今聖域にいる、カノン以外の黄金聖闘士が全員揃ってしまっていた。
しかも女神(アテナ)までお出でになっているとは。
少々意外だったが、却って良かったのかもしれない。これなら話も一度で済む。
「怪我人の方は今の所、命に別状はないようです。まだ意識が戻っておりませんが。現在はカノンと共に双児宮におります」
覚悟の上の事後報告に、予想通りシオンの声が険しくなった。
「十二宮内に入れたというのか」
「申し訳ありません。ですが、治療をするのに他に適当な場所を思いつきませんでしたので」
用意していた返答に異議を唱えたのはミロだった。
「癒すならその場でさっさとやってしまえばよかっただろうに。なぜわざわざ十二宮に入れる必要がある? カノンはヒーリング、別に下手じゃなかっただろう」
口を挟んでぎろりと教皇に睨まれながらも全く意に介さないあたりはさすがである。シャカの次にここに乗り込んできたのはきっとこいつだと、サガは妙な確信を持った。そしてミロの次は、たぶん興味しんしんに口を開いたこいつだ。
「若い女だったって? 連れ込んで一体何の治療をしようってんだ?」
「デスマスク! アテナと教皇の御前だぞ! 口を慎め」
お約束の軽口でも許せなかったのか、アイオリアが怒鳴る。普段はここまで固い人間ではないが、女神の前ではあくまで真面目だ。一番最後にやってきたのは彼に間違いないだろう。
そんなことを思いながらサガは沈黙を決め込んだ。今報告すべきは教皇と女神である。わいわいとうるさい同僚に答える義務はない。彼らをじろりと一瞥してから、ちらりと目を上げてみれば、曇った表情のアテナが彼を見ていた。
「カノンやあなたのヒーリングでは駄目なほどの重傷なのですか?」
純粋に心配して下さっている。サガは女神の慈悲深さに頭を下げた。不要な憂いは早々に取り去って差し上げなくてはならない。
「いえ。かなり出血したようですが、早めに止血が施されておりましたので失血によるショック死の危険性は、もうないでしょう」
そうですか、とアテナは心底ほっとした笑みを浮かべた。それに反してシオンの表情は硬いままだ。
「では、なぜ双児宮にまで入れる必要があった? ミロの言うとおり、その場で癒してしまえば良かったであろうが」
「初めにヒーリングをしなかった理由は、私にも分かりません。カノンの一存です。しかし奴が言うには、それで良かったのだと」
「良かったとは、何がだ?」
「急激に癒しを施してはならないそうです……よく分からないのですが。"ナノマシン"がアポトーシス(死期)を迎えるとか」
「…………なんだそれは」
シオンはなんともいえない顔をした。先ほどの自分もあんな表情をしていたのだろうかとサガは思い、同時に発せられた女神の呟きに耳を囚われる。
「ナノマシン……」
「ご存知なのですか?」
尋ねてみた。難しい顔をした女神は悩むように首を傾げて、それでも否定はしなかった。
「そんな研究がされているという噂は、聞いたことがあります」
「そもそもなんなのだ、それは?」
ミロの大きな独り言に、隣にいたアフロディーテが答えた。
「極小の機械のことではなかったかな。顕微鏡でも使わないと見ることができないという」
一同の視線が彼に集まる。女神もにっこりと微笑んだ。
「よくご存知ですね、アフロディーテ」
「いえ。何かで読んだことがあるだけです……浅学ゆえ、それ以上のことは存じません」
恐縮して頭を下げるアフロディーテに、女神はもう一度微笑む。サガに向き直った。
「その"ナノマシン"のことはカノンから聞いたのですか? ご本人はずっと意識を失っていらっしゃったのですよね……?」
「はい。私はカノンからそう聞かされたのですが」
「では途中で一度、気が付かれたのでしょうか。それで、ヒーリングをしないよう頼んだのかしら? ……いえ、そんなはずはありませんね。それはおかしいもの」
話しながら考え込んでしまった。見かねたシオンが声をかける。
「アテナ。何を気に掛けておいでです?」
「普通、ヒーリングなんて言われても何のことだかわからないでしょうし、それをわざわざ拒否するなんて考えられないでしょう? それに――そんなものは、まだこの世には存在していないのです」
「……そんなもの、とは?」
訝るシオンに、女神はきっぱりと告げた。
「ナノマシンのことです。あれは研究段階で、まだ完成したものはない筈なのです」
女神の言葉にアフロディーテも頷く。
「確かに。そういったものが開発されれば、科学は飛躍的に発展するだろうという、そういう内容でした。私が読んだものは。それもつい最近のことです」
「しかもサガの話からすると、それはその方の体内に在って、何らかの働きをする――いわゆる医療用ということですよね? ありえないわ。その上いきなりそんな話をされたって、カノンが信じるとも思えません」
今だ、と思った。サガは溜息をつく。非常に気が重いが、言わねばなるまい。言うなら今だ。
あの愚弟めと心中で毒づき、前振りなど引き受けてしまった自分の甘さを恨む。やはりさっさと着替えだけさせて、自分が双児宮に残ればよかった。――などと、今更言っても仕方がない。もう一度軽く溜息をついて、顔を上げた。
「アテナ。実はカノンも"聞いた"わけではないのです」
女神はきょとんとしてしまった。隣ではシオンも盛大に眉をしかめている。サガと同じく下座に立つ黄金聖闘士達も怪訝な顔をしていた。全員次の言葉を待っている。
その中でひとりシャカだけは、眉根を寄せながら口を開いた。
「なるほど。それではカノンも、サガ、貴方も信じないわけにはいかなかったということか」
「……そういうことだ」
シャカにはサガが言いたかったことがすべて伝わったのか。その口調には明らかな懸念が見えた。
だが、伝えなければならない対象には全く通じていない。
「どういうことです?」
問いかける女神に、サガは正直に答えるしかなかった。
「大変申し上げにくいのですが」
深く頭を下げた。
「失血により意識を失った彼女から手っ取り早く情報を得ようとしたカノンは、彼女の精神に直接接触しようとして――失敗したようです」
「失敗? どういうことかね?」
真っ先に反応したのはシャカだった。それで、やはり彼にも全てが伝わったわけではなかったのだと悟る。シオンも玉座から身を乗り出さんばかりにしているのが気配で分かった。
「――同調してしまったらしいのです。接触ではなく」
とんでもない爆弾発言だったのだが、息を呑んだのは二人だけだった。すなわち教皇シオンと、シャカだけである。女神を含め、他の者は皆一様に戸惑いの表情を浮かべていた。
それでも理解したシオンによって、話は着実に進んだ。
「ならば、得た情報は、確かだということだな」
「はい」
「そしてこちらの情報も、カノンが持っている限りとはいえ、その娘に流れたというのだな」
「……おそらく」
そこでやっと一同から驚愕を多分に含んだどよめきが起こった。構わずサガは続ける。
「そうなった以上下手に放置しておくわけにも行かず、監視も兼ねて双児宮にまで入れた次第でございます」
そうか、とだけ言い、大きく嘆息して、シオンは玉座の背凭れに軽く寄りかかる。わずかに上を向いて、なにやら思案していた。
その横顔をちらりと眺め、女神も思い悩むように目を伏せる。しかしこちらはすぐに何かを思いついたらしい。顔を上げた。
「カノンは今、どうしているのですか?」
心配そうな口調だった。サガは女神の配慮の篤さに改めて畏敬を覚えた。
「まだ少し混乱しているようでしたので、とりあえず休ませております。後ほど改めて報告に参らせます」
「そうですね。頼みます」
女神が満足げに頷いてみせるのを待って、シオンが身を起こした。
「サガ。先ほどシャカが言っておった、人型の機械とやらはどうなっている?」
「人型の……機械?」
実に年相応な仕草で女神が首を傾げた。初めにシャカがこの話をしたときにはシオンとサガしかいなかったのだ。サガは補足しながら説明する。
「全長二十メートル弱といったところでしょうか。人型の、兵器です。人が乗って操縦するものらしいので、戦闘機や戦車に近いものなのかもしれません。――モビルスーツ、というそうですが」
兵器と断定した所為だろうか、女神は微かに眉をひそめた。なるほど、無手の戦いを推奨する女神だ。
「周囲を異次元の殻で包むような形にして人目に付かないようにしてあります。先ほどカノンから引き継ぎましたので、今は私の制御下にあります。――いかが致しましょうか」
「どうするかと聞かれても、先ずはその娘をどうにかしないとどうにもならんな」
渋い顔をしてシオンは唸った。少し考え込んで、横に立ったままの女神に伺いを立てる。
「後ほどカノンから直接事情を聞いて、それからその娘の処置を決めるということでよろしいですかな、アテナ?」
「……処置、だなんて。無体なことは許しませんよ、シオン」
女神は軽くシオンを睨みつけた。
「でも、そうですね。カノンから先ずお話を聞いて、それから本人に会ってみましょう」
「本人に会うとは、アテナ御自らという意味でしょうか?」
「当然です」
つんとすまして言い切る女神に、シオンは思わず額を押さえた。つい語気も荒くなってしまう。
「なりません」
「何故ですか?」
腰に両手を当ててすっかり憤慨してしまった女神を宥めるのは、なかなかの難事だ。
「私がその娘に会うというのは、理に適っておりましょう。しかしアテナまでがお会いにならなければならないような必要がありません」
「どうして、必要がないと?」
「――何のために、私共が在るとお思いです?」
努めて穏やかに、じっと見据えながら諭す。女神といえども、まだ幼い。だが賢い子供だ。いつもならばここまで言えば納得するはずなのだが。
「あなた方がよくよく聞いて、それからわたくしに奏上するというのでしょう? わかっています」
今日は譲るつもりはないようだった。
「でも、気になるの。どうしても直接お会いしてみたいのよ」
「アテナ……」
これでは子供の駄々だ。シオンは頭を抱えたくなった。しかし女神はなおも言い募る。
「どうしても気になるの。お会いしなければならない、そんな気がするのです」
妙に確信めいた一言だった。
向けられた瞳は真剣そのもので、そうなってしまえばシオンには反対する術は、最早ないのだ。不承不承頷くより他なかった。
「そこまで仰るのでしたら、仕方ありません。ですが……」
「初めから直接、というのは駄目だというのでしょう? そのくらいわかります。場のセッティングについてはあなたに一任します。これでよろしいかしら?」
「……結構です」
「ありがとう」
にっこりと微笑んだ。決して勝ち誇ったふうではなく。
次いで、未だ膝をついたままのサガを見遣る。
「ところでサガ。その方はどこからいらしたのか、聞いてはいませんか?」
静かに問われて、戦慄した。神という存在は、一体どこまで慧眼なのだろうかと。サガは深く頭を下げる。さすがに言い難かった。それでも答えないわけにはいかない。
「――宇宙(そら)から来たのだと、カノンは言っておりました」
やっとの思いで言ったところで、横から茶々が入った。
「宇宙人かよ。ほんとに居たんだな~」
それなら俺も会ってみてぇ、と一人悦に入っているデスマスクを止める同僚はいない。シャカを除いた全員が、見事にあっけに取られていたのだ。
真っ先に衝撃から立ち直ったミロの瞳がわくわくと輝いていた。
「では、その"もびるすーつ"というのは、つまりアレか? UFOというやつかな」
「……人型と言っていたし、違うんじゃないのか?」
未だ呆然としながらも、アイオリアが意外と冷静な突込みを入れる。
「そもそも、それは英語だろう? 宇宙人が英語を使うか?」
アフロディーテが溜息を吐いて、シャカがそれを肯定した。
「確かにその娘が話していたのは英語だったな。得体の知れぬエイリアンというわけではあるまい。少なくとも見た目は普通の娘だった」
「だが、ただの娘がどうやって宇宙からやってくるというのだ? ということはやはり、なあ?」
「そうだよな。情報に嘘がないってんなら、そうとしか考えられねぇじゃねぇか」
半分本気と思われるミロと、半分面白がっているデスマスクを、サガは白い目で見た。
「……彼女は確かに、人間だ」
しかしこれを言ったらどういう反応を示すだろうかと想像して、少し可笑しくなった。込み上げそうになる笑いを堪える。重々しく告げてみた。
「名は ・ユイ。別次元――異世界の宇宙から来た、ただの人間の娘だ」
報告1 END
ちょこっと解説いきます。
ナノマシンとは文中アフロディーテに説明させた通りのものです。
彼はきっと薔薇の改良とか行っていると思うので、そのためには科学の知識も必要じゃないかと、理系君になってもらいました。
科学誌のネイチャーとかサイエンスとか、愛読してそうな気がしてます(笑)
問題のナノマシンとは微小の機械で、人工の微生物のようなものです。
この設定は角川スニーカー文庫発行の∀ガンダム小説版を参考にしています。
今回出てきたものは、その中でも医療用。
人体に使用するものとしては医療用以外のものもあるようです。発信機としての利用とか。
それだけすごい技術ですから、人への使用に限らず種類によっては本当に危険な使い道も、勿論あるわけです。
例えば微生物が土中の有機物を分解するように、金属やガラスを分解できるナノマシンがあったとしたら……?
試験管でもどんな頑丈な容器でも保管ができません。
使いかた如何によっては、バイオハザードを超える危険物です。
∀をごらんになっていない方にはおわかりにならなかったでしょうが、
第三章、共有1でカノンが の記憶のなかで見た破局(カタストロフ)。
あれは月光蝶と呼ばれるナノマシンが引き起こした大惨事でした。
地球上の文明全てが、月光蝶によって無に帰ったのです。
だから、 の識る地球には、何もないのです。
純粋な星矢ファンの方にはなじみのない設定だと思いますので、あえて説明してみました。
そんなに深く理解しなくても、大丈夫なようには書きたいんですけどね(^^;)
筆力が及ばず、疑問ばかりが増えるようでは皆様に申し訳ないので、たまにこういう解説がつくことがあると思います。
……月光蝶に限らず、ガンダム世界では星矢世界の神様も真っ青の地球壊滅作戦がこれでもかというくらい発案、実行されていますよね。
実はこの話はその辺にヒントを得て考えたものだったりします。