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同じだ。
は思った。薄れていく意識を、引き留めようと足掻きながら。
目の前にかざされた手。白く霞がかかって、やがて見えなくなる。
かわりに現れる、幻影。まぼろし。ただの錯覚かもしれないが、呼び方などどうでもよかった。
それは強制する。ひどく押しつけがましかった。ねじ伏せられる。どうしようもない。
同じだった。
頭の中をぐちゃぐちゃにかき回されるような不快感。明滅する、自分の意思でないもの。
乗っ取られてしまう。蹂躙されて、壊されてしまう。
そんなのは嫌。嫌だ。絶対に嫌。
嫌悪と怒りに満ち溢れた頭が、沸騰して破裂してしまわないのが不思議なくらいだ。
違うのは、暖かな感触にすぐに包まれたことだ。
昨夜は違った。
冷たいコクピットで、ただひたすら背筋の凍るような虚像が頭に無理矢理流し込まれていた。
無我夢中で耐えた。否定しながら、必死に。
そうして最後に救われたのだ。同じぬくもりに。
***
声がしていた。激しいやりとり。
内容はよくわからなかった。聞こえているのに、頭の中を支配しようとするもののせいで、理解ができない。
それなのに。
(監視の名目まで与えて守護)
なぜかはっきりと
(アテナより……下された命)
耳に入ってくる言葉が
(アテナを守るのと全く同じように……守護)
混乱している脳に染みいる。
――やめて。
(神の名の下に、完璧な庇護が与えられなくてはならない)
聞きたくない!
気持ちよかったはずの温かさが、急に熱さを増した。
それはきっと、怒りの温度だ。 は思う。どこかに逃さなければ、焼け切れてしまう。
だからそうした。 を縛るものなど、あってはならなかった。今なら特に。
束縛されて、抑えつけられて、意のままになるわけには断じていかなかった。
もし負けてしまえば、これまで が生きて、足掻いてきた意味が、全部なくなってしまう。
必死に叫んだような気がする。何を口走ったのかは、よくわからない。
ただ本当に言いたいことは、言わなければならないことだけは、どうしてだか口に出せなかった。それだけは覚えている。
――アテナ、と。
女神の名を口に上らせて、くらくらしたような気がする。
悔しい悔しい悔しい。
どうして、こんなにも。何もかもを握られてしまっている? いのちも、きもちでさえも。 自分というのは、こんなにも自分の思い通りにならないものだった?
神に張り合えるなんて、思っていない。けれども、どうしようもない虚脱感に襲われた。
何かを超越してしまった、絶望のような気分。
言いたかった。
一言だけ。
言いたかったのは、多分、たった一言だけだった。
――私を見て。
声になる前に、目の前が真っ黒な虚無に塗りつぶされた。
見て、と。
訴えたかった人が、見てくれていたのかどうかもわからなかった。
***
久しぶりに味わう、最悪な目覚め。
死んでいた身体に生命の息吹がむりやり巡らされ、悲鳴を上げる肺腑。鼓動する心臓の動きが痛い。手足は痺れて意のままにならず、忌々しいことこの上なかった。開いた目には容赦なく光が入り込み、当然の反射活動の末に涙が溢れる。
あれから何十年経ったのだろう? それとも何百年?
どうにか身を起こし、涙の止まらない瞳を右へ左へ彷徨わせる。まぶしくて、よく見えなかった。
あれから、とは、いつのことだろう。 は考える。
ずっと、悪い夢を見ていたような気がする。寂しくて、悲しい夢。
どうして悲しかったのだろう?
は胸を押さえる。なぜだか張り裂けそうで、辛い。痛い。
どうして、こんなに悲しいの?
涙が止まらない。まぶしさには慣れてきているはずなのに。
もう一度、辺りを見回した。そして気づく。ここは冷凍睡眠(コールドスリープ)設備ではない。
白くて周りが見えないのも道理だった。 は胸を掻きむしったはずの手に絡みつくシーツを握りしめる。白いレースが垂れ下がる天蓋に覆われた空間に、 はいた。
どこかに流れ出してしまっていた記憶が、吸い込まれるかのように一気に の中へ戻る。
何もかもを諒解した。
――ここは異世界。地球。ギリシャ。聖域。与えられている、 の居室。
意識がはっきりするのと同時に、身体の感覚も戻ってきた。特に頭痛がひどい。頭ががんがんと脈打つように痛む。痛くて痛くてたまらない。そんな頭で色々と考えるのは億劫だった。それでも思い出すのをやめられない。
パーティに出たのだった。人の身代わりとして。そこで、懐かしい人と再会した。だが彼は敵で――エピオンを、 に差し出したのだ。
吐き気がしそうだ。あのエピオンの感触。何もかもを暴かれ、ねじ込まれて踏みにじられた。精神的な陵辱。
そこから助け出してくれた彼は――。
握ったシーツに、ぽたりぽたりと染みが広がる。涙がまだ止まらない。いったいどうしてしまったというのだろう。
頭が痛い。考えがまとまらない。断片的な思いが、言葉が、あらわれては消える。
神――女神。生命の源。与えられた。始まった生。幼い幸福。壊される。脅迫。暴力。守られて。別れがあった。悲しい。立ち向かって、くじけて。逃げた。防御から抵抗――攻撃。それはすなわち逃走。時を超えて。続く。逃げ続けている。
なにもかもは、自分のせいではない。それが悔しい。自分には、何の価値もないのだ。つくづく思い知らされる。
だから、誰にも見てもらえない。それが悲しい。
をがんじがらめにしているしがらみなど知られていないはずだった。ここは異世界なのだから。女神は、何も語らなかった。だから大丈夫だと。安心していた。
それなのに。やっぱり、女神の手の内だったのだ。
生まれる前に与えられた女神の祝福。それがあったから、 は遇された。
それがあったから、彼は、 を見ていてくれた。思い知った。そうでなければ、 など顧みられるわけもない。
――きっと、それが悲しい。ものすごく。
どうしてかは、わからないけれど。
***
教皇の間での騒ぎからずいぶん経った。早朝の出来事だったのに、今はもう夕方になっていた。
カノンは溜息をつきながら、暗い通路を歩く。人気があまりないのはありがたかった。本当ならしばらくは教皇宮に近づきたくはないところだが、 の居室はそこだ。ほとんどの時間を の傍についていたが、なかなか目覚めない。すっかり温く少なくなってしまった水差しに気づいて、外へ出たのだ。
我を忘れて泣き叫んでいた が見ていられなくて、失神させて黙らせてしまったものの、こうも目覚めないとなると心配になった。手加減を間違えたつもりはない。だがさすがにそろそろ、医者にでも診せるべきだろうか。
もういちど溜息をついて、部屋に戻る。気配が動いていた。かすかな嗚咽が聞こえる。
カノンは乱暴に水差しを置いて、駆け寄った。
「 !」
天蓋から降りる邪魔なレースをかき分ける。はっとしたようにこちらを向く瞳は、確かにカノンを捉えた。確かな光を宿して。
「やっと目が覚めたか……」
ほっと息をついた。だがすぐに異変に気づく。濡れた青い瞳が、カノンを直視しない。なんだか奇妙だった。
「どうした? どこか、具合が悪いのか?」
ずっと泣き顔ばかり見ている気がした。こんなに弱い女だっただろうかとは、不思議と思わなかった。それでも、こんなにも涙ばかり見ていたいわけではない。
くしゃくしゃに握りしめたシーツで目元まで覆って、 はうつむく。小さな声が聞こえた。
「頭が……痛くて」
カノンは顔をしかめる。エピオンの影響がどの程度ものなのかまではわからないが、幻朧魔皇拳の影響が少なからず出ているのかもしれない。どちらも、脳に相当の負担をかけるものであることくらいは知っている。
「教皇より幻朧魔皇拳を受けたことを覚えているか?」
シーツに隠れたままの の動きが止まった。やがて、わずかに首が縦に動く。肯定していた。
「教皇は、お前に技が通用しなかったと言っていたが……なにか幻朧魔皇拳による不具合は感じるか? まあ、その前にはエピオンのゼロシステムの影響も受けているから、わからないかもしれないが……」
またシーツの塊が動かなくなる。すこしすると、ぱたりと伏せってしまった。今度は頭の上までシーツを引き上げる。
「……おい」
どうにも反応がおかしい。頭痛のせいだけではないだろうと思ったのは直感だ。
手を伸ばす。
「 ?」
頭を触れば、子供のようにいやいやと左右に振っている。声はない。さらにもぞもぞとシーツが動いて、丸くちぢこまってしまった。
溜息が漏れた。それが聞こえたのか、シーツが一瞬びくりと震える。――聞こえている。しかも正気だ。
もう一度、カノンは静かに手を伸ばす。隠れてしまっている には見えていないはずだ。そっと近づき、足下のシーツに手をかける。一気にめくり上げた。
「きゃ……っ」
ようやく全身をカノンに曝した は、シーツと同じ真っ白な寝間着を着ていた。随分レースが多い。いわゆるネグリジェというやつだろうか。
ここへ気絶した を運んできた後、駆けつけてきた星華に着替えを任せたのだが、まさかこんな姿になっているとは思わなかった。まさかこれを恥ずかしがっていたわけではないだろう。だから気にせず、往生際悪く握りしめられているシーツをさっさと回収にかかる。
引っ張り合いに勝てないと悟ったのか、 はおとなしく手を放した。それでも頑固にカノンと顔を合わせようとしない。寝転んだままカノンに背を向け、今度は枕に顔を押しつける。
カノンは取り上げたシーツを放り投げた。
「……お前……」
いったい何なんだ。カノンは呆れて、 のベッドに腰を下ろした。乱暴な動作でベッドが波打つ。 も小さく跳ね上がったが、それでも顔を向けようとはしなかった。
「おい、 。どうしたんだ? いい加減にしろ」
片手を の頭の傍について、のぞき込もうとした。だが は頑なに枕に顔を擦りつけている。
ついに業を煮やしたカノンは、両手で強引に の肩を掴んだ。こちらに向ける。
ようやく目があった。見開かれた青い目に、カノンは思いがけないほどの満足感を覚えた。
俺は、見たかったのか。この青い双眸。これが見れなくて、それで苛ついていたのか。
それなのに、 は両手で顔を覆おうとする。目の縁が赤くなっていた。それを隠したいのだとわかったが、カノンはそれを許さなかった。
手首を両方とも捕まれてしまった は、もう顔を背けようとはしなかった。赤い目でカノンを睨む。
「放して……痛いわ」
まともに向けられる視線。そこにたとえ棘が含まれていようとも、カノンを充足させるのには十分だった。これを求めていた。
だから当然、放すわけもない。
「昨日からさんざん心配してやったのに、その態度はなんだ? いろいろ説明する義務はあっても、隠れてだんまりを決め込む権利など、お前にはないはずだ」
「権利……」
の瞳が揺れる。抵抗する両手から力が抜けた。
「そうね……あなたを煩わせる権利なんて、私にはないものね……」
つぶやく口元がわなないて、カノンは がまた泣き出すのではないかと思った。
だが は一度目を閉じただけだった。眉をしかめ、やがて意を決したように瞳を開く。
「ごめんなさい。ずいぶん迷惑をかけました。事情を説明します。とりあえず、放してもらえるかしら?」
カノンを映す青い虹彩。そこにはもはやどんな感情の色もなかった。
「お前……」
カノンはそれきり絶句する。危惧していたことが、形になったのだとわかった。覚悟していたつもりだったのに、予想以上に衝撃が大きい。――つい硬直して、動けなくなってしまうほどに。
「そうだな。まずはその手を放せ、カノン。事情の説明も、まずはお前からさせた方が良さそうだな」
背後から声がかかって、カノンはやっと動くことができるようになった。振り返れば、半眼で眉を寄せているシオンと、厳しく睨みつけてくるサガがいる。
「カノン! 貴様、いったい何をしようとしているのだ!」
つかつかと歩み寄ってきたサガは、 の手を掴んだままのカノンの腕を容赦ない力でひねり上げた。強引に から引きはがす。相当怒っているのがうかがえた。
それでようやく、とんでもない体勢を取っていたことに気づいてカノンはうろたえる。ベッドに膝をつき、横たわった に半分のしかかる形になっていた。
改めて見下ろした の寝間着は、シーツを捲り上げたせいで足もとがはだけてしまっている。サガの激高ぶりを責めることなどできない状態であることは明らかだった。
も自分の状態に気がついたのか、慌てて身を起こす。裾を引きずり下ろして、足を隠した。それでもレースで肩を覆われているだけのむき出しになった腕で、やはりレースに縁取られた広い胸元を隠しても、たいした意味はなさそうだ。
悠然と近づいてきたシオンが、足もとに転がるシーツの塊に気がついた。広げて、 とシーツを交互に眺める。ふわりと広げ、 の肩からかけてやった。
「……ありがとうございます……」
うつむいて、消え入るような声で礼を言う を一瞥し、シオンはサガによって遠ざけられたカノンを呆れたように見遣る。
「大層な口を叩いて退出したくせに、何をやっておるのだ貴様は」
「信じてはいただけないでしょうが誤解です教皇」
なぜか棒読みで応えるカノンは無視して、シオンは を見下ろした。
「調子はどうだ?」
「頭痛がまだしますが、とりあえずは。……ほとんど覚えていないのですが、ご迷惑をおかけしたようで……申し訳ありません」
シーツにくるまり、ようやく顔を上げた の目が赤いのを、シオンは認める。今朝の涙が思い出された。また、泣いていたのだろうか。
「覚えていない、か。だが、言わないわけにはいくまいな」
溜息を一つついた。ベッドサイドに膝をつき、シオンは と視線を合わせる。
「今朝は、やり過ぎた。幻朧魔皇拳などと……すまなかった。あの後、あの場にいた全員に罵倒されてしもうた。そもそも明らかに普通の状態ではなかったお前に、なぜあそこまで、とな」
苦笑して、立ち上がった。それに合わせて顔を上向け、 は首を振る。
「いえ。確かに私に非がありました。申し訳ありませんでした」
一度言葉を句切り、 は――ベッドの上で、だが――居住まいを正した。
「改めて、詳しく申し上げたいことがあります。お願いしたいこともあります。――聞いて、いただけますか?」
意外な申し出だったが、シオンは態度には出さず鷹揚に頷いた。
「聞こう」
Burst into flames2 END
後書きです。
あんまり暗いので、ちょっとギャグを入れたつもりだったのですが、それすらギスギスして見える……(汗)
まあこういうのもありかと思って、そのままにしておきましたが(゚∀゚)
ここまでが、前サイトにUPしたものになります。次回からがネット上では未発表の部分です。
なんだか今更ですがドキドキしてきた(笑)
続きも頑張ります。