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ほんの軽い気持ちで与えた課題だった。
――なのに、なんでこんなことになってしまっているのだろうか。
頭を抱え込みたくなる衝動を、ムウは眉一つ動かさず堪えきった。実際に大衆の目にさらされて真っ青になってもいいのは弟子であって、ムウはそれを冷徹に見守る師として周囲に認識されていなければならないだろう。
しかし現在のムウと貴鬼の心の内は、そう大差ないはずだ。
むしろ貴鬼の方は、失敗しても別に責められるわけでもないだろうし、結果によっては――それがムウの出した命題通りの結果でなくとも――なんらかの労いの言葉をもらえることは確実だ。
それに引き替えムウには、今現在の衆目そのものが既に耐えられない。ここに揃っている全員が間違いなく、この場の主役である貴鬼と一緒にそれを注視している。――黄金に輝く『遮光器土偶像』を。
なんであんなものを作ってしまったのかとそのときの自分を小一時間ほど叱りつけたくとも、なにもかもが後の祭りである。
貴鬼への応援の声の中に混じるひそやかな声が、際限なくムウを苦しめる。
(なんだあれ)
(まさか牡羊座(アリエス)の聖衣の付属物……なわけないよな)
(かなり笑えるんだが)
(黄金聖衣と同じ素材で作ったって話だぜ)
(ああいうのを無駄遣いと)
(あんなの作ってる暇があるんなら、俺の聖衣直せと言いたい)
(俺のも)
(忙しいとか何とか言って、二年近く放置ってひどすぎるだろ)
(あたしのもだよ)
(それにしてもヘンすぎて笑える)
(きっちりアレぶっ壊してくれたら、今度あの小僧になんかおごる)
(すげーすっきりするだろうな)
(でも黄金聖衣と同じってことだろ。まだ聖闘士でもないあいつには無理じゃ)
(ちょっとでも凹めばそれだけでもすげえよ)
(つか、俺にやらせろ)
(あ、俺もやりてぇ)
(一回試してみたかったんだよな)
(黄金聖衣なんて触ったことないもんな)
(だから俺にやらせろと)
(壊すとか、馬鹿だろお前ら)
(あんなふざけたモン、壊す以外にどうしろと)
(ふざけた言うな。あの見事な曲線美を解さないとは)
(馬鹿か)
(キモすぎ)
(じゃあ決まりだ。あれは俺が嫁にする)
(とかなんとか言いつつ横取りしたいだけだろ)
(で、売るんですね。わかります)
(金じゃねーし、売れるかよ)
(レアメタルですとか言って、どっかに売り込むんだな)
(レアすぎて誰にも価値がわかってもらえないに一票)
(それより俺の聖衣……)
(直して欲しかったら献血にいけ)
(献血ってレベルかよあれ)
(いつだかぶっ倒れた奴が、病院に運び込まれて輸血されてたって噂を聞いた)
(このへんに病院なんてあったっけ)
(聖衣は直ったけど、装着者がいなくなったって噂なら聞いたぞ)
声しか聞こえないので誰がなにを言っているのかわからないが、これではどこぞの国の匿名掲示板状態である。だとしたらきっと語尾にはいろんな記号がついていることだろう。
「皆のもの、静まれい!」
ざわめく闘技場――いつのまにか闘技場での晒し上げ、もとい、貴鬼の力試し鑑賞会になっていたのだが――に、朗々とした声が響く。
黄昏時特有のゆったりと緩んだ空気がぴりりと引きしまり、有象無象の喧噪がぴたりと止む。まことに教皇の威厳とは偉大である。
教皇たるシオンまでもがやってきてこのように場を仕切れば、これではまるで聖衣獲得の為の御前試合だ。なんでこんな大事になってしまっているのだろうか。表情一つ変えてはいなくとも、ムウの服の下は冷や汗で結構濡れている。
悩む間にも、粛々と儀式じみた口上が続き、ついに貴鬼が中央に引き出された。
既にスタンバイしている対戦相手は、くどいようだがアレである。どう控えめに表現しても滑稽だった。遠目にも、貴鬼のげんなりした表情が伺えた。
教皇が右手を振り上げる。開始の号令を出そうとした、まさにそのときだった。
「お待ちください、教皇!」
ギャラリーの中から声が上がった。それも複数。
教皇シオンはそちらへ目を向ける。手を下ろした。
声を上げた数人が、人を掻き分け前に出てくる。見たところ、貴鬼と同じ聖闘士候補生が5名ほど。そして青銅聖闘士も2人ほどいた。
代表するように、聖闘士のうちの一人が声を張り上げた。
「その候補生が今まさに破壊せんとしているものは、世にも類まれなる硬度を誇る黄金聖衣と同じものだと聞き及んでおります。なれば教皇、ぜひ我等にも一度、黄金聖衣とは如何なるものか、実感する機会をお与えいただきたくお願い申し上げます!」
お願い申し上げます、と全員が揃って復唱する。
これは貴鬼に与えた課題なのだがとムウはそう思ったが、このような場でそれを言えるはずもない。いくらムウの弟子だからといって、公衆の面前にこうしてあれを晒されてしまえば、貴鬼にだけ占有させるわけにも行かない。確かに黄金聖闘士に近しいわけでもない限り、あれはそうそう目にすることすら適わない輝きなのだ。
「――よかろう」
シオンもわずかな逡巡の後、そう答えた。シオンから見て、貴鬼は孫弟子である。教皇に縁の連なるものであるからこそ尚のこと、贔屓してみせるわけにも行かないのだろう。
***
結局、候補生も聖闘士も、それをどうにかすることはできなかった。
聖闘士二人は、なんとか一部を凹ませることに成功はしたが、だがそれだけだ。
ムウの作り上げた黄金の遮光器土偶像は、些かの毀損もものともせず、端然とその場にたたずんでいる。暮れ行く陽を照り返して、さらなる眩燿が見る者の目をくらませた。
ますます貴鬼のプレッシャーは高まったことだろう。さすがに哀れに思い、ムウは貴鬼を見遣る。
だが予想に反して、貴鬼は落ち着いた様子で呼びかけられるのを待っていた。
青銅とはいえ、本職の聖闘士ですら無理だったのだから、失敗して当たり前と開き直ったか。ムウはため息をつく。それでは駄目だ。初めから何の希望も抱いてはいないようでは、とてもこの課題をクリアすることは適わない。
やがて、改めて教皇は貴鬼を呼んだ。
前座のおかげで緊張が解けたのか、何の気負いもなく貴鬼は観客の視線が集まる中央へと向かう。問題の像から十歩ほど後ろで向かい合った。
――構える。
その緊迫感に、ムウは戦慄を覚えた。自分の弟子は、これほど戦士として完成に近いところにいたのか。
なんという隙のなさ。凄まじい気迫。そして、この恐ろしいまでの拡がりを持って湧き上がる小宇宙の、なんと澄み切ったことか。
これだけで、不覚にも目頭が熱くなった。課題など、もはやどうでもいい。これほど成長した愛弟子の姿を皆に見てもらえた。それだけで十分だった。
だが、『それだけ』ではすまなかった。それは、始まりに過ぎなかったのだ。
衆目を一身に受けながら、貴鬼は誰もが驚愕するほどに小宇宙を高める。
先にシオンが言っていたとおり、それはもはや青銅聖闘士をも凌駕していると言っても過言ではない。先ほど名乗りを上げた聖闘士達の、羨望のまなざしもそれを肯定している。
だがまだだ。
一時の興奮から冷め、ムウは冷静に弟子の練度を見極めることができるようになっていた。
小宇宙は凄まじい。それは認める。だが、むやみにまき散らしているだけだ。あれを纏め上げ、一点に絞り込まなければ、まともな技にはなるまい。それができるかどうか。問題はそこだった。
ムウの懸念をよそに、貴鬼は小宇宙の放出を止めない。精一杯意識を集中させて、放たれた小宇宙を制御しようとしている。額には汗が伝い、短い髪が風ではないもので揺れる。
貴鬼もまた、シオンやムウと同じく強力なサイコキネシスの持ち主だ。小宇宙の統制に気を取られるあまり、その力までが漏れ出しているようだった。貴鬼の周囲の瓦礫が重力に反して浮き上がり、またはひび割れ砕けていく。
それらの発する音で、場がにわかに騒々しくなる。対照的にギャラリーからはしわぶき一つさえ聞こえない。
静寂の中の騒音。その中で、貴鬼はなにかを叫んだ。
「――――――――――!!」
その瞬間、奇跡が起きた。
像のど真ん中へ楔のように貴鬼の拳が打ち込まれた。
しかしその部分には、ひび割れどころか凹みですらも見あたらないように見える。だが貴鬼は、そこから拳を動かさない。
更に小宇宙が高まる。そのまま対峙することしばし。
やがて――黄金の像に異変が現れた。
小さな水疱のようなものがぷくりとできる。初めはゆっくりと一つ二つ発生したそれは、瞬く間に像の全身に広がった。
像はすぐに原形を失った。そこかしこからぶくぶくと膨れあがり、変形は止まらない。次第に膨張していく。
そのうちに、どこかに亀裂が走った。そこから漏れいでた新星の如き輝きが、傍観者の目を灼く。
あまりの眩さに、目を覆う間もなかった。
――爆散。
四方八方に黄金の欠片が飛び散る。
観衆の方にまで類は及び、ムウは急いでクリスタルウォールを発動させた。自力で避けることのできない雑兵もこの場には多い。シオンも同時に、別方向で防壁を展開させていた。
まさかの事態に驚きつつも、ムウは冷静に貴鬼の様子を窺う。一番近くにいたのだ。自力であの爆発を起こしたはいいが、果たして避け切れたかどうか――
破壊の衝撃と巻き上げられた砂塵とで立ちこめた爆煙に覆われているのか、爆心地に貴鬼の姿は見えない。
数瞬遅れて騒ぎ出したギャラリー達が、我先にと出口へ殺到する。人混みに巻きこまれて、更に確認が難しくなった。
聖域に身を置く人間が、これしきのことでそれほど取り乱すとはなんたることだ。ムウは舌打ちする。
そんな混乱の中、誰かが上空を指差した。
「あの小僧、あんなところに!」
衆目が次々と上に向かい、ムウもつられて空を仰ぎ見た。
「――貴鬼!」
声を張り上げ、呼びかける。空中にその身一つでぽつんと浮かんでいる様は、特殊な能力を持たない者から見れば異様だろう。
驚きの声が上がる中、ムウは動じることなく貴鬼を凝視する。全身の様子をくまなく観察した。怪我らしいものは見当たらない。ほっと胸を撫で下ろした。
ムウの声に気づいたのか、貴鬼はふわりと宙を泳ぐようにしてムウの元へと降りてきた。その顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
「ムウ様~!」
先ほど、あれだけの凄まじい小宇宙を放っていたとは思えないほど気の抜けた幼い声だった。ムウは苦笑する。
「ムウ様、見ててくれましたか? おいら、やりましたよ!」
「ええ。しっかりと見せてもらいましたよ。見事でした、貴鬼」
よくやりましたね、と足もとに降り立った貴鬼の頭を撫でてやった。得意げに鼻の下を擦り、貴鬼はえへんと胸を反らす。
その様子を見て、観衆は三々五々去っていく。よくやったなとか、見ててスッキリしたぜとか、賞賛の言葉がシャワーのように浴びせられた。これでは必要以上に有頂天になってしまうのではないかとムウは危惧したが、貴鬼は恥ずかしそうにはにかんだ笑みを返すだけだった。
人が少なくなるのと入れ替わりに、高座に陣取っていたシオンも降りてきた。
「貴鬼よ、見事であった」
「シオン様!」
ありがとうございます、と駆け寄った貴鬼の頭を、シオンは撫でる。その手つきが自分と同じことに気づいて、ムウは密かに笑った。変なところが似るものだ。
「しかし――」
シオンは足もとに落ちていた金色の破片をかがんで拾い上げる。二度三度手の中で転がしてから、貴鬼に目を向けた。
「確かに見事ではあったが、実力と言うよりは作戦勝ちだな」
シオンの指摘は、ムウも同意するところだった。
「そうですね。なかなか面白い方法ではありましたが――」
ムウは先ほどの光景を脳裏に浮かべる。
「まずはクリスタルウォールを拳の先、ほんの一点にだけ集中させた。まるで針先のように」
神妙な顔で、貴鬼は頷く。
「そして、わずかに開けた穴の先から――あれは、スターダストレボリューションですか?」
「はい」
「わずかな隙間から、威力を注ぎ込んだというわけですね」
「そうです」
生真面目な顔で答える貴鬼を、シオンが面白そうに眺めた。
「素材の強度を逆手に取ったな。内側から破壊しようとは――発想としては素晴らしい」
素直な称賛だったのだが、なぜか貴鬼はばつが悪そうに肩をすくめてしまった。
「……どうしました?」
褒められれば簡単に得意になるはずの貴鬼なのに、先ほどからどうも反応がおかしい。ムウは首を傾げる。シオンもまた怪訝そうに貴鬼を見つめる。
師とその師と。二人に凝視されていたたまれなくなったのか、貴鬼は困ったようにもじもじと指先を動かした。目を逸らして、うつむく。
「おいらが考えたんじゃないんです……」
小さな声での告白が聞こえた。
「あの方法、おいらが考えたんじゃないんです……だから、あんまり褒めないで下さい……」
しょんぼりと肩を落として、それでも正直に賛辞を辞退する貴鬼の素直さは、それ自体が賛美に値した。
ムウは小さな両肩に手を置いて、その場にしゃがみ込む。貴鬼の顔をのぞき込んだ。
「でも、実際にあれを破壊したのはお前です。そのことは誇りに思ってもいい。――正直に言いましょう。お前が課題をやり遂げるのは、無理だと思っていたのです。実際に、先ほどの青銅聖闘士ですら無理だった。その『方法』とやらを誰かに伝授されていたとしても、彼らに同じことができたかどうかは疑問です。なにしろあれは黄金聖衣と同じもの。そう易々と破壊できるものではないのです」
穏やかに宥め、諭すムウをシオンも支援した。
「うむ。あれほどの小宇宙を秘めていたとは、私も驚いたぞ、貴鬼よ。まだ克服すべき点も多いようだが、たゆまず修練を続ければ、必ずやその努力は花開こう」
二人に励まされ、貴鬼はおずおずと顔を上げる。はにかんだように笑った。
「ありがとうございます。――これからも、もっと頑張ります!」
つられてムウも破顔し、立ち上がる。まだ小さな背中をぽんぽんと叩いた。シオンが無言で貴鬼の頭をくしゃくしゃと撫で回す。
「うわ、シオン様! やめてくださいよ~」
抗議の声を受けて、シオンの手は引っ込められるどころかいつの間にか両手になっている。笑いながら、それでも貴鬼は避けるわけでもなくされるがままだ。
その様子をほほえましく眺めていたムウは、ふと先ほどの貴鬼の言葉を思い出した。
「貴鬼」
「なんでしょう?」
呼べば、シオン共々振り返った。
「お前にその『方法』とやらを教えたのは、誰だったのです? 黄金聖闘士の誰かでしょう? 礼を言っておかねばなりませんね」
ムウの言葉にシオンも唸る。
「そういえばそうだな。まだ技をうまく使えん貴鬼の力を、最大限に発揮させる良策だった。――しかし黄金聖闘士では、あのようなこと、かえって考えつかんような気がするが」
「では白銀聖闘士? ――いや、己の弟子でもない者にそんな策を与える白銀がいるとは思えません」
「青銅聖闘士で黄金に太刀打ちできるとしたらあの五人しかいないわけだが……彼らはむしろ極限まで追い詰められてやっと黄金聖闘士と同じくらいの力を発揮する。そういう意味では、黄金聖闘士達と同じく、あのような策は考えまい」
「……では誰が?」
またもや二人に見つめられたが、今度は臆することはなかった。貴鬼はいたずらっぽく笑う。
「聖闘士に教えてもらったんじゃないですよ。さすがに相談しにくいですもん」
モノがモノだったし、と苦笑する貴鬼の言葉にムウは軽くノックアウトされた。かわりにシオンがなにか閃いたのか、両手を打ち鳴らした。
「もしや――」
言われる前に、貴鬼は自ら申告する。
「 さんが教えてくれたんです。破壊活動なら得意だから、アドバイスだけならしてあげられるから、って!」
「…………なるほど」
納得できるようなできないような、複雑な気分でムウは嘆息した。聖闘士でもない人間が考えた策で黄金聖衣と同義のものが粉々になったというのは、どうにも受け入れがたい真実である。
シオンもまた、やはりそうかとなにやら感慨深げに瞳を閉じた。もしかしたら苦渋の表情を隠しているのかもしれない。
やがて目を開き、そういえば、と問いかけた。
「技を放つ直前、なにかを叫んでいたな。聞こえなかったのだが、なんと言っていたのだ?」
貴鬼は満面の笑顔で叫ぶように答えた。
「ダイダロスアタック、です!」
……ダイダロスといえば、ギリシャ神話において伝説的な職人である。代表作にクレタ島はミノタウロスの迷宮(ラビリュントス)がある。
それがどういう経緯でそんな技の名前になったというのか。しかも『アタック』とは。もうちょっとひねりがあってもいいような気がするのは、まあ趣味の問題だろう。
「 さんが、そういう名前の攻撃なんだって言ってました」
理由を聞いてみても、なんの疑問もなさそうにそう答えられて、ムウもシオンも結局それきり口を噤むしかなかったのであった。
MA★くろすオーバー 5 END
無理矢理〆(笑)
タイトルの理由ですが、わかる方にだけわかる表現ですみません。
内容的にオチが薄いので、蛇足ながらも一応おまけなど書いてみました。
タイトルのはっきりした理由もそちらに。
というわけで、オチと理由が知りたい方はどうぞ → おまけ