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報告3
部屋を出て後ろ手でドアを閉めた格好のまま、サガはその場に立ち尽くす。
少なからず衝撃を受けていた。
なぜ一度でも儚いなどと思ってしまったのか。
自問して苦笑する。――理由ならわかっていた。
あの眼差しだ。印象が一変するほどの。
貫かれて、不覚にも立ち竦んでしまった。黄金聖闘士の中でもその実力は一、二を争うといわれる彼が、である。
若しくは、目を奪われたと言い換えてもいい。
だからこそわかってしまった。彼女こそが、数日前に星が告げていた者なのだと。
これは報告するべきだろうかという考えが頭をよぎり、証拠も何もないのだと思いとどまる。それは教皇が判断すべきことだ。
自らの手を掲げ見た。暖かく柔らかい感触が、いまだに残っている。上げた手を握り、口許に寄せた。
に言ったとおり、明日すべてが決まるだろう。教皇が自分と同じ判定を下すことを、瞑目して切に願った。
ふと顔を上げる。宮に入って来た者がいるのを感知した。上から、数人。
カノンが戻ってきたようだ。うるさい客を追い払いきれなかったらしい。ここで騒がせるのは望ましくない。自ら迎え討つことにした。
***
「だから、明日には嫌でも見れるだろうが」
「そう硬いこと言うなよ。別にいいだろ? 減るもんでもあるまいし」
ミロの声が廊下中に反響していた。なるほど。ここまで連れて来てしまった訳がわかった。弟はどういうわけか蠍座の聖闘士には弱いのだ。
「減るかもしれんぞ」
助け舟を出してやった。
今日は弟に親切を大盤振る舞いしている。貸しにでもしてやろうかと思ったところで、蟹座までいることに気がついた。こちらは強引について来たのだろう。上隣なので対戦時間が短すぎたと見える。
二人も撃退しなくてはならないのなら、やはり貸しにつけておこうと心に決めた。
「よう、サガ。異界の姫さんの様子はどうだ?」
デスマスクが気さくに手を上げて答えた。隣でしまったという顔をしているミロとは対照的である。
「お前の宮はこの上だろう? 下りて来過ぎたな。さっさと戻れ」
「……つれないねぇ。で、何が減るって?」
「貴様らが見物したがっているご当人の寿命だ。明日確実に見てみたいのなら、あまり騒がないでもらいたいものだな」
先ずは一人目の撃沈に成功した。これは予想範囲内の結果だ。口を歪めてそっぽを向く蟹座は、もともとサガに対しては弱い。 問題は蠍座だ。
「そんなに怪我は酷いのか? もう死ぬようなことはないと言っていなかったか?」
本気で心配している。ミロのこういった直球の素直さが好ましくもあり、だからこそサガにとっては苦手でもある。
「まあ、死にはしないだろうが……それでも今は安静と休息が必要なようなのでな。少し前に目を覚ましたのだが、ついさっき、また意識を失ってしまったところだ。できれば静かにしてもらいたい」
「じゃあさ、寝顔だけでもいいから拝ませてくれよ」
復活したデスマスクがいつもの薄笑いを浮かべて提案してきた。内容については本音半分、さっきのサガへの意趣返し半分といったところだろう。
珍しく露骨に嫌そうな顔をしたサガの後をカノンが引き継ぐ。
「なぜそこまで食い下がるのか理解できんな。そんなに急いで会わなければならん理由でもあるのか」
「理由って……」
口籠るデスマスクとは反対に、ミロが満面の笑みを浮かべた。
「だって、ずるいじゃないか」
唐突に言われて、双子は揃って眉根を寄せる。造形はともかく、表情の作り方まで似ているのは見事だ。デスマスクはひそかに感心した。
「カノンもサガも、それにシャカも彼女に会ったんだろ? だったら今聖域にいる俺達だって会ってみたいじゃないか。十二宮にまで入ってきているというのにまだ見ていません、では、明日来る他の奴らに示しがつかんではないか」
「示しがつかねぇじゃなくて、自慢できねぇ、の間違いだろソレ」
デスマスクがげんなりと肩を落とした。ミロは笑顔を崩さずに目を泳がせている。図星だったらしいが、サガにはそれより気になる一言があった。
「……明日来る他の奴ら、だと?」
どういうことだと弟に視線で問えば、さすがにそれ以上言わなくても通じたらしい。大仰に肩をすくめて見せた。
「明日は全員集合だとさ」
「全員――黄金聖闘士がか?」
苦りきった声で確認する兄に、弟はもう一度肩をすくめて肯定する。ふたり揃って溜息をついた。
「なんでまた、そんなことに……そこまで大事だと騒ぎ立てる必要もなかろうに」
「教皇が正式に招集をかけたわけじゃないんだがな。ま、どっちにしても発端は教皇だ――いや、童虎殿かな」
「何をなさったんだあの方々は……」
サガとしてはことを大っぴらにするべきではないと考えていた。当然、教皇シオンも同じ判断をしているものと信じていたのだが。
「童虎殿のタイミングが良かったというか悪かったというか。そんなところだな」
「――聖域の異変を察知して、教皇に直接コンタクトを取られた?」
詳しい説明もなしに行われる意思の疎通にミロとデスマスクが半ば唖然としていたのだが、気づかずに兄弟は会話を進める。
「そうだ。そこで教皇がことのあらましを相談したのだが、そこにたまたまムウが居合わせていたらしくてな」
「そうして、二人とも明日聖域に戻ると言ってきたわけか」
「今度はそれを聞いていたこいつらがそれぞれ勝手に今いない奴らと連絡を取り始めてな……」
カノンがちろりと睨みつけると、いかにも気まずげに蟹座と蠍座が目を逸らす。誰が誰にコンタクトを取ったのか、サガにも大体わかった。
今日現在で不在の宮は下から順に白羊宮、金牛宮、天秤宮、人馬宮、磨羯宮、宝瓶宮の六宮。ムウと童虎へは教皇から伝わった。ではカミュへはミロから、シュラへはデスマスクかアフロディーテからだろう。
サガは僅かに首を傾げた。
「アルデバランとアイオロスも戻ってくるのか?」
「全員、だからな」
そっけなくカノンが頷く。そこへデスマスクが口を挟んだ。
「アイオリアの野郎がなんかもっともらしいこと言いながら二人に連絡取ってたぞ」
二人に、というところをさりげなく強調していた。これには呆れるしかない。自分はひとりしか呼んでいないと言いたいのだろうが、語るに落ちてしまっていることに気づいていない。つまり、シュラに声を掛けたのはデスマスクだと判明したのだった。思わず半眼になるサガを尻目に、デスマスクは口を滑らせ続ける。
「明日はアテナも同席すると言って聞かないからな。何者かわからん以上、万が一ってこともある。是が非でも黄金聖闘士をできるだけ多く集めておいたほうがいいだろうとかなんとか言って、教皇を丸め込んでた。あいつ、結構口がうまいのな」
「アイオリアは昔からそうだったぞ?」
ミロが得意げに笑う。
「普段スカしてる割に、意外と嘘もハッタリもうまいぞ、奴は」
「……そうなのか?」
デスマスクはかなり懐疑的だが、そうだったかもしれない。いや、間違いなくそうだった。――そうでなくては、きっと聖域(ここ)で生きては来れなかった。
苦い記憶が呼び起こされて、サガは目を伏せた。
「まあ、とにかく」
弟の落ち着いた強い声で我に返った。
「今日のところは諦めてくれ。意地悪で言っているわけじゃない。ガキじゃないんだ、そのくらい聞き分けてくれ」
声まで同じだと皆に言われる。こんなに違うのになぜそう思われるのか、いつも不思議だった。特にこんなときには。
これでは貸しにつけられないなと、しぶしぶ去っていく同僚を見送りながらふと思った。