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舞い上がる戦神4
「……っ」
鋭い衝撃に一瞬息が詰まる。突かれた胸を庇うように、咄嗟に背中を屈めた。
危うくバランスを崩しそうになる身体を背後から支えたのは、操縦席を陣取っていたデスマスクだった。
「へぇ、意外といいカラダしてんのな」
左腕を胸の下に回し、片腕で抱きかかえる格好でデスマスクは感嘆の声を上げる。
「うん。なかなかイイ感じだぜ」
空いた右手を肩から腕、腰に向かって撫で下ろす。
「おい、デスマスク! 何をやっている!」
目の前のミロが思わず怒鳴りつけた。対するデスマスクは半眼でにっと笑うだけだ。
「――デスマスク、いい加減にしろ。 も、そんな奴さっさと振りほどけ」
低く強く、だが静かにカノンが諌めたが、デスマスクは相変わらず楽しそうに口許を緩めたまま。そして 本人は明らかに困惑の表情を浮かべていた。それもデスマスクに、ではなく、あまりにも剣呑なカノンの口調に対してであろうことは容易に見て取れる。驚いたようにカノンを窺い見て、その視線が背後のデスマスクに注がれていることをようやく理解したのか振り返り、戸惑った表情でデスマスクを見上げた。
「あの……?」
ますますデスマスクの相好が崩れた。更に動く気配を見せた右手を、ミロが掴んで止める。
「デスマスク! やめろと言っているだろう」
「……?」
前後を男二人に囲まれて、 は二人を見比べるしかない。
の視線に気づいたデスマスクは口角を片方吊り上げてニヤリと笑って見せた。
「細く見える割に、結構ちゃんと鍛えてあるな。しかも筋肉の質も柔らかく、丁度いい具合に調整してある。聖域によくいる、無駄な筋肉馬鹿どもに見習わせてやりたいたいもんだ」
それを聞いて、ミロは胡乱な目を向けつつもデスマスクの腕を解放してやることにする。
自由になった右手で、デスマスクはぽんと の右肩を叩いた。
「ちゃんと立てるな?」
は小さく頷いた。回復し切っていない状態からの再度の失血で霞がかり始めていた思考が幾分クリアになっていた。痛みは引かないが、心臓の鼓動と共に脈打つような、ずきずきとした痛みはわずかながらも和らいでいる。
デスマスクはもう一度ニヤリと笑った。 の腰から手を離す。もうよろけたりはしなかった。
「……今のが”真央点”というところですか?」
座席を挟んで向かい合ったミロは、生真面目な顔で頷いた。
「さっき君が隣に立ったとき、血の匂いがした――傷口が開いたんだろう? 小宇宙によるヒーリングは駄目だそうだが、それなら大丈夫だろうと思ってな」
「……ありがとうございます」
「なるほどな」
引っ張り出したものの開けられずにいたナップザックを、カノンがいつの間にか広げていた。中を覗いて手を突っ込んではまた戻すという動作を数回繰り返した。
「探していたのは鎮痛剤か」
「ええ、まぁ」
相変わらず見透かされているようで悔しい。しかもザックまで先に開けられて、そんな些細なことが更に悔しかった。その上。
「こんなものもあるが、使うか?」
掲げて見せたのはメタボライザー(代謝活性器)のスペアだった。世間一般的に広く流通している医療用ナノマシンの補填用器具。それ自体は小さなピアスのような形状をしているのだが、カノンが手にしているのはそれがいくつも入った未開封のパックだった。
どこまで意図を読まれてしまっているのだろうか。ここまでくると怖いほどだ。
「それは後で……それよりも」
「鎮痛剤だな。これか?」
チュアブル式の錠剤を見せられて、正直ほっとした。 が求めているのはそれではない。
「アンプルの方がいいです。浸透圧式の。ありますか?」
がさごそとザックを漁って、次に取り出したのは正解の品だった。礼を言って受け取る。すぐさま傷口の近くにあてがった。ぷしゅっと軽い音がして、無針式の注射器から薬剤が注入される。効果は速やかに発揮されるはずだ。
空になったアンプルを無造作に床へ落とし、銃を右手で持ち上げた。ようやくホルスターに戻すことができる。
「で、これはどうする?」
カノンがザックを軽く持ち上げて見せた。メタボライザーと鎮痛剤以外に何が入っているのか は結局見てはいない。しかしそれらは今後、いつ手に入るかわからない。大体そんなものの捜索がゆっくりとできる機会は恐らくもう、そうはないだろう。
「それはいただいていきます」
多分今回は運が良かったのだ。こんな体調で、これほど簡単に追撃隊を打破できるとは思っていなかった。
は改めて三人に目を向けた。
モビルスーツはおろか武器すら持たずにここまで乗り込んできて、容易に搭乗員を排除し輸送機をジャックしてしまえる聖闘士という存在。遺伝子を操作されたわけでもなんでもない、ごく普通の人間のはずだ。しかし彼らは がこれまで培ってきた知識も常識も、遥かに凌駕する物を持っている。
まさに奇跡のような人々が在る世界。こんなところにわざわざ反政府拠点を作りつつある者がいる。本当に神が存在し、神のごとき力を持つ人々がいる世界で、それは全く無駄な行為に見えた。
その反面、こうも考えざるを得なかった。――それでも着実に、事態は進行しているのだと。
神にも、神に仕える彼らにも、関知し得ず防ぎ切れない事柄もあるのだ。
だからやはり、 はひとりでも戦い続けなければならないのだろう。その要因が、 の属する世界にあるのなら、尚更。
「それから格納庫のトーラスも持って行きます――大丈夫でしょうか?」
「置けることは置けるんじゃねぇの?」
「広さは問題ないだろうが、しかし――」
気軽に言い放つデスマスクに対して、ミロが難しい顔をする。言い淀むというよりはむしろ、制止の言葉を捜して一旦口を閉ざしたのだと にもわかった。
その隙をカノンが突いた。
「必要なんだな? ――目的は?」
とは違う色合いの青い瞳が、 を見据えていた。まっすぐに。何もかもを諒解していた。
見透かされてしまっているというのも、意外と便利なのかもしれない。やっと思った。特に、こんな場合には。
「まだ新しい機体です。変なカスタマイズもされていないようですし、おかしな癖もまだついていないと思います。操縦法はお教えします。――今後も私を監視するのなら、必要ではないですか?」
カノンはふっと口許を緩める。僅かな笑み。声音はどこか満足げだった。
「そうだな」
ザックを肩に担ぎ上げ、 の頭にぽんと手を乗せる。すぐに離した。
「カノン用ってことか……ならば、仕方がないか……」
ミロはあっさり納得してくれた。どこか釈然としていないようではあったがそれは仕方がない。神の坐す場に対してそれはあまりにも不敬だと、 だって思うのだ。仕方がない。
横に立ったままのデスマスクが、もっともな質問を投げかけてきた。
「そんなに簡単に動かせるようになるモンなのか、モビルスーツってのは?」
主操縦席に座り、 はコンソールのキーボードを叩く。先日のマヒローと同じく、挿入されたままになっているデータディスクをチェックするのだ。
「一通り動かせるようになるには平均で三ヶ月ほどかかると言われています。個人差が大きいので一概には言えませんが」
答えながらもキーボードを叩き続ける。口を閉じるのとほぼ同時にエンターキーを押下した。一拍置いて脇のモニターに大量の文字情報が流れ始める。それを目で追っている には、唖然としたミロとデスマスクの表情は窺えない。だが、声の調子で二人が相当あっけに取られているのはわかる。
「三ヶ月とは……ずいぶん気の長い話だな」
「大体個人差って、あんたの世界での基準だろ? それも知識とかさ、素地がある人間をみっちり訓練して、平均三ヶ月ってことだろ? それじゃカノンなんかにゃ事実上ムリって言ってるも同然に聞こえるんだが、俺には」
突然、妙な胸騒ぎを感じた。 は咄嗟に背後を振り返る。
しかし何があるわけでもない。ただ三人の男達が狭い操舵室を更に狭く見せているだけだ。
の怪訝な視線の先で、カノンがそれは綺麗な笑みを浮かべていた。
「俺なんか、とはどういう意味だデスマスク?」
「え……いや! それは言葉のあや……って、なんだよその構えは!」
「先に聖域へ帰るか? 今ならただで送ってやるぞ――異次元経由でな」
「いやそれってちゃんと帰れる保障ないから! どうもすみません俺が悪かったです!!」
勘弁してくださいとそれこそ光速で頭を下げるデスマスクを呆れ顔で眺めていたミロが、ぼそりとつぶやいた。
「でも、デスマスクの言うことももっともだよな」
座ったままの と目線を合わせるように腰を屈めて、ミロは真顔で問いかける。
「あれを持って帰って、本当に役に立つのか? カノンに操縦法を仕込むにしても、そう簡単な話ではないんだろう?」
ミロの真直ぐな眼差しを受け止める。どう答えるべきか思案した。ただ、大丈夫だろうと思っただけなのだ。確たる根拠があるわけではない。
だが。たとえば。
この輸送機にバスターライフルを向けたとき、 はトリガーボタンを押すことができなかった。
操舵室に入る直前、敵はもういないのだとわかっていた。
そして今、ついさっきの鳥肌が立つような奇妙な感じがなくなっている。――デスマスクとカノンの口論も止んでいる。
にもわかるのだ。だから、カノンにもわかるだろうと。
それは本当に何の根拠もない思い込みで、だから はミロになんと答えたら良いのか言葉を捜しあぐねるのだ。
困惑しながらミロから目を逸らした。モニターにはまだ文字情報が流れ続けている。中断させて、ディスクを取り出した。これも持って行くことにする。ひとまずそれをコンソールの上に置いて、もう一度キーボードに触れた。
「――カノン」
「なんだ?」
「目的地は、モスクワに設定したんですね?」
「ああ。方位と距離か、目的地を入力しないと自動操縦モードに入らないみたいだったんでな。咄嗟にそれしか思いつかなかった」
カノンは心持ち硬い声で答える。まるで口答試験に臨む受験生のようだと は思った。
それならば、合格だ。 は一人で頷いた。
「……やはりトーラスは必要です。無駄にはならない」
キーボードを叩きながら呟くように断定した に、もう誰も異論は唱えなかった。
***
二十分後に自爆するよう設定して、全員で操舵室を後にした。「ここから自力で脱出しろってか? マジで? 本気で連れて帰ってくれないつもり?」
「うるさいぞデスマスク。いい加減にしろ! そのくらい訳もないだろうが。貴様それで本当に黄金聖闘士か?」
格納庫へ戻る間中ずっと騒ぎ続けていたデスマスクを、ミロがついに怒鳴りつけた。もっとも、些細な苛立ちから怒鳴ったわけではない。格納庫のモビルスーツ用ハッチが用を成していない所為だ。風の音がうるさくて、大声を張り上げなければ互いの声が聞こえない。
「でもよ! カノンだけ乗せてってやるなんて不公平だと思わねぇのかよ、ミロ!」
負けじとデスマスクも怒鳴り返したところで、不公平だと名指しされた本人が自力帰還組の肩にポンと手を掛けた。
「戻ったら、サガか教皇に帰りは少し遅くなると伝言しておいて欲しいんだが」
「はぁ?」
デスマスクが素っ頓狂な声を上げ、ミロが困ったように笑った。
「いくら俺達が光速で戻るからって、お前達が帰り着くのとそんなに間が空くわけではないだろう? そこまで義理立てなくてもアテナも教皇もお怒りにはならないと思うぞ? そもそもお前が と一緒にいるのはアテナのご命令なんだからな」
「いや……遅くなると思う。そうだな、 ?」
カノンが振り向いた鼻先に、 が筒状のものを三本突きつける。
「……なんだこれは?」
反射的に受け取ってしまった。怪訝な目を向ければ、それをカノンに預けて手の空いた が、急いで筒の先端に付いた幅広のキャップを口と鼻に当てていた。
「ああ、酸素か。俺達に?」
無言で頷く に、ありがとなと声を掛け、ミロとデスマスクに一本ずつ渡した。
「そういや、なんだか息苦しいと思ったぜ」
早速 を真似して吸入を始めたデスマスクに、ミロが呆れる。
「そりゃこんなに空気が薄いところでそんなに喚けば、苦しくもなるよな」
「……ミロ。なんか言ったか?」
デスマスクがミロを睨みつけたが、酸素吸入器を口許に寄せたままでは全く効き目がなかった。
「この輸送機はあと五分で、更に上昇を開始します。もっと空気が薄くなりますから、その前に退去してください」
事務的に言い置いて、 はキャットウォークへの階段を上り無人のMS(トーラス)に向かう。コックピットの隔壁を開け、無言でカノンに目を向けた。
「じゃ、伝言を頼んだぞ」
キャットウォークの の元に軽く跳躍して辿り着いたカノンの背に、吸入器から顔を離したデスマスクが怒鳴る。
「おい、待てよカノン!」
その声に反応して、 がデスマスクをちらりと見下ろした。カノンに何かを話して、トーラスに乗り込む。
すぐに鈍い機動音と振動が響き、頭部のアイカメラに光が宿る。
「おい、ってば!」
無視しやがる気かこの野郎とデスマスクが毒づき、あっけに取られたようにトーラスを見上げていたミロも声を張り上げた。
「これからどこか行くんだな? いつ戻る?」
「このまま北上して、北極付近に行くそうだ。戻りは夜中くらいになる」
デスマスクほど大声を出しているという風情ではないのに、カノンの声は良く響いた。
「このままモビルスーツ二機で戻るのは目立ちすぎるから、夜になるまで待つそうだ。その間、ついでに俺を特訓する気らしい」
「わかった。そのように伝えておこう」
トーラスのコックピットから が出てきた。酸素吸入器を使いながら器用にカノンに話しかける。カノンは頷き、もう一度下に声をかけた。
「あと二分で上昇を開始するから、早く退船しろとさ」
言うだけ言って、さっさと背を向ける。それに向かってデスマスクが再度怒鳴った。
「おい、カノン」
少々うざったそうに振り返ったカノンに、デスマスクはもう大声を張り上げることはしなかった。
《あまり無理させるんじゃねぇぞ》
小宇宙を介した念話。意外な男からの意外な言葉に、カノンは軽く瞠目した。
「……わかっている」
きちんと下を向いて答える。デスマスクがにっと笑って親指をピンと突き立てて見せた。
「じゃあ、俺達は行くからな」
ミロが最後にそう言って、デスマスクを引っ張る。
壊れたハッチから二人の姿はあっという間に消えて行った。
舞い上がる戦神4 END
解説という名の言い訳を少々。
セクハラ蟹氏がもっともらしく言っていた さんに関する感想には実は元ネタがあります。
後々OVAにまで出演して大活躍することとなった、元連合軍の某軍医さんと言えばおわかりになる方もいらっしゃるかもしれませんね(^^)
今回お持ち帰りのMSについてはちょっと引っ掛かりを覚える方もいらっしゃると思うので先に言い訳。
あくまで移動用に、としか考えておりませんのでどうぞご安心を。
間違ってもドンパチやらせるつもりは毛頭ございません。いくらなんでもムリでしょうし。
多分生身(+聖衣)の方が強いです(笑)