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ゆめのつづき3
禊の間の入り口に立って、どうしたものかとカノンはしばし思案した。
扉はぴったりと閉ざされており、人払いでもしてあるのか、門番すらいないのだ。だが明らかに人の気配はする。一人ではない。恐らく世話係が一緒だ。確か貴鬼もそう言っていた。ならばその者につなぎを頼めばいいかと、カノンは声をかけてみた。
「禊役! 居るのなら少し出てきてほしいのだが。私は双子座(ジェミニ)だ」
しばしの間を置いて、ほんの僅かに扉が開いた。
「……双子座様。何用でございましょうか」
出てきたのは女神(アテナ)専属の禊役の老女だった。
「中の娘に用があって来たのだが」
「未だ禊の最中でございます。後になさってくださいませ」
にべもなく断られて、扉が閉まりかける。さすがのカノンも慌てた。
「急ぎ渡したいものがあって来たのだ。取り次いではもらえまいか」
扉が止まった。老女がもう一度顔を出す。
「……何をお渡しするので?」
カノンは慌ててナップザックに手を突っ込む。掻き回していると、中から別の声がした。
「カノン?」
間違いなく の声だった。禊役が驚いたように扉の前から離れる。
「お出になってはいけませんよ」
ギリシャ語で注意する声が聞こえたが、 には理解できないはずだ。これ幸いと、カノンは に英語で直接話しかける。
「 、昨日持ち帰った代謝活性器(メタボライザー)を持ってきたのだが。入浴時に使うのが効果的なんだろう?」
「……とりあえず、入って? 扉が開いていると寒いの」
これにはさすがにぎょっとした。手を突っ込んだままだったナップザックの中をまた掻き回す。
「ちょっと待て。今渡すから」
戸口が更に開かれる。 が立っていた。布を一枚巻きつけたままの格好で、確かにそれでは寒そうだった。
「入って」
再度促され、カノンは仕方なく中へ入った。きっちり扉を閉める。湯気の立ち込める室内に、ぼんやりと蝋燭が灯されて、なにかわからないが良い香りが立ち込めていた。
禊役がものすごい渋面を作っている。当然だ。女性の入浴中に入り込んでしまったのだ。こんなことになるとは、さすがに考えてもいなかった。
「こんな格好でごめんなさい」
乱入されて、普通なら一番困るはずの本人が、一番平然とした顔をしている。胸から下は一応布に覆われているものの、濡れた髪は下ろされたままで、剥き出しの肩にかかっていた。
「いや……メタボライザーだったな……」
目のやり場に困って、カノンは手にしたザックに救いを求める。さっきから探しているのになかなか目的のものが出てこないのだ。おまけにここは薄暗くて余計に探しにくい。
視線を落としたカノンの鼻先とザックの間に、濡れた頭が割り込んだ。先程から漂っていた芳香がいっそう強くなる。
―― の匂いだったのか。
一瞬ぼんやりとしてしまった。その間に はカノンが開いたザックの中から、いとも容易に探し当てて取り出した。
「カノン」
差し出されたそれを反射的に受け取る。何で俺が受け取らないといけないんだと、怪訝に を見返した。
「申し訳ないんだけれど、開けてもらえるかしら?」
小首を傾げてカノンを見上げる の左腕には厳重に油紙が巻かれて、確かにそれではまともに動かせないと納得した。ザックを床に置いて、言われたとおりにパックを開けてやる。薄いコンパクトのような容器が透明なシートでぴったりと密封されているのだ。
そしてこの状態では、次に頼まれることは簡単に予測がつく。だからこんな中まで招き入れられてしまったのだと、やっとわかった。
カノンはひとつ溜息をついた。そして何も言わずに、取り出したコンパクトを開く。きれいに並べられた、しずくの形の小さなピアスのようなメタボライザーをつまんで取り出した。
は自由の利く右手で、下ろしたままの髪を掻き上げる。耳と白いうなじがあらわになって、カノンは危うくメタボライザーを取り落としそうになった。
「どこにつければいいんだ?」
精一杯平静を装って発した言葉は、自分の耳にもわかるほどつっけんどんに聞こえた。
の肩がびくりと震えて、青い瞳が窺うように見上げて来る。その頬に少々朱が上っているのを、カノンは見逃さなかった。
――大人げがないな。これでは。
もう一度溜息をついて、落ち着こうと努力した。
「針がついてますよね。それを耳たぶの後ろに、刺してもらえますか」
は静かにカノンに頼んだ。声だけはあくまで淡々としている。それでも視線を斜め下に逸らし、あえてカノンを直視しないようにしているのは明らかだ。相当恥ずかしがっているのが見て取れた。
さっきまでは平然としていたのに。そう思ったら、おかしくなった。必死で取り繕っていたのが、カノンの動揺に引きずられたのだろう。いくら落ち着いて見えていても、やはりカノンに比べたらまだまだ幼い――年相応とも言うが。
おかげでカノンは落ち着いた。
「刺してしまっていいんだな? 痛くはないのか?」
普段どおりの声が出せたと思う。 がちらりとカノンの顔を見上げたのが、その証拠だ。
「大丈夫です」
言って、またそっぽを向いてしまったが、それはカノンに耳を向ける為だ。それでもその横顔はどことなく悔しそうで、カノンはひそかに苦笑する。
「では、刺すぞ」
一応言い置いてから、空いている方の手で耳に触れた。言われた耳たぶの裏を見てみれば、まるでピアスホールのように小さな痕がある。そこが定位置なのだろうと、メタボライザーをあてがい、躊躇わずに押し込む。
「両耳とも、か?」
聞けば、無言で反対を向き、また髪を掻きあげた。やはり首筋は抜けるように白くて、 は陽の光というものをあまり知らないのだと思い知らされる。
反対側も同じようにつけてやった。意外と傷つけていると言った感じはない。貼り付けるような感覚だ。たぶん本人にもほとんど痛みはないのだろう。つける瞬間よりもむしろカノンが触れた瞬間のほうが、剥き出しの肩が強張るのだ。
「……これでいいか?」
手を離す。 も髪を押さえていた手を下ろした。
「どうもありがとう――こんなことをさせてしまって、ごめんなさい」
「いや。別に構わん。……残りの分とこのザックは預かっておいたほうがいいな」
「ええ。後で引き取ります。それまでお願いします」
「わかった」
用は済んだ。相変わらず禊役がものすごい目でカノンを睨みつけている。
「ではな。邪魔をした」
禊役にあえて言葉をかけ、早々に退散しようと踵を返す。
「――カノン!」
扉に手を伸ばしたところで、呼び止められた。振り返ってみれば、 が足早に歩み寄って来る。立ち止まり、物言いたげに見上げて来たわりには口を開くのを躊躇っていた。
「なんだ?」
が、背後でいい加減殺気立ち始めた禊役を気にしているようだと見当をつけたカノンは少し屈んでやる。どうせ禊役は英語を解さないのだから、気にする必要などないのだが。
「あの……ありがとうって、なんて言うんですか?」
「……なに?」
思いもかけない質問だった。思わず聞き返してしまったカノンに、 は律儀に繰り返す。
「ギリシャ語で、ありがとうは、なんて言うんですか?」
合点がいった。禊役に言いたいのだろう。カノンはもう少し屈んだ。 の耳元でゆっくりと小声で発音してやる。
「Σαs ευχαριστω παρα πολυ」
「サス……エフハリスト、パラポリ……?」
「そうだ。”ευχαριστω”だけでもいいがな」
「わかりました――”エフハリスト(ありがとう)”」
早速復唱して、 ははにかんだように小さく笑った。
それは鮮やかな不意打ちだ。
その後カノンは、なんと言って退出したのか良く覚えていない。
***
カノンが出て行って扉が閉まると、老女が急いで寄ってきた。明らかに困った顔をしている。
それはそうだろう。初めの二人のやり取りは全くわからなかったが、状況と彼女の行動からして、 の為にカノンを手っ取り早く追い払おうとしていたことくらいはさすがにわかった。それを 自ら引き入れてしまったのだから、老女も戸惑って当然だ。
「勝手なことをしてごめんなさい」
相手に通じなくとも、思わず言葉が口をついて出た。散々良くして貰ったのに、困らせてしまったことになんとなく罪悪感を感じてしまったのだ。さらに言い訳じみた行動をしてみる。カノンにつけてもらったメタボライザーを示してみせる。
「薬のようなものなんです――わかりますか? く・す・り」
単語だけをゆっくり発音してやれば、 の意図は伝わったらしい。老女はこわばっていた顔を少しほころばせて、頷いて見せた。それから の手を引いて、再び浴槽へと誘導する。
温まりかけていたのに、また冷えてしまっていた。丁度いい。もう一度ぬるめのお湯にゆっくりつかれば、今補充されたナノマシンの効果で、温まった頃にはかなり気分もよくなっていることだろう。
***
カノンが半ば呆然としたまま禊の間から出たところで、シオンと出くわした。お陰で瞬時に頭が動き出す。
「教皇――おはようございます。こんなところで……」
どうされたのです?と続けようとして、シオンの法衣の裾に貴鬼が隠れているのに気がついた。そこで咄嗟に言いかけていた言葉を呑み込んで、殊更に笑顔を貼り付けて見せた。
「 に用なら、まだしばらくかかりそうでしたが?」
どうせ貴鬼が何か吹き込んでいるはずだ。だったら下手に取り繕わないほうが良い。言った者勝ちである。
「……」
案の定、シオンは無言で貴鬼を見下ろした。貴鬼は首をすくめてシオンの法衣の後ろへ引っ込んでしまった。しかし影から顔を出して、恨めしげにカノンを睨むのは忘れない。
本当にわかりやすい子供(ガキ)だ。とりあえず無視してシオンを見遣れば、こちらはこちらで何を考えているのか見事なまでに全くわからない。
「たまたま通りかかったら、こやつが妙なことを言って騒ぎ出すのでな」
妙なこと、と遠回しに言うわりには、自分の背後に隠れる貴鬼を引きずり出してカノンの前に突きつける。かばっているのかいないのか。
なにはともあれ本題を提示されてしまったので、今度はさっさと自己弁護に回る。やはり言った者勝ちだ。
「急いで渡したいものがありまして。もっと早ければ良かったのですが」
「渡したいもの?」
「ナノマシンの補充器――まぁ、薬みたいなものです。昨日手に入れて、私が預かっておりましたが、夕べは渡しそびれましたので」
済まして答えるカノンについに我慢ならなくなったのか、貴鬼が突然食って掛かった。
「渡すだけなら、中まで入る必要なんてないじゃないか! オイラを殴ってまで追い払う必要だってないじゃない! 中で何してたのさ、カノンのスケベ!! ……痛っ」
ぺしん、と音を立てて平手で頭を叩いたのは、今回はカノンではなかった。
「そういうことを言うから、殴られたのだろう?」
「でも、シオン様……っ」
なかなか良いことを言ってくれるじゃないかと、カノンがシオンを見直したのはほんの一瞬だった。次の言葉で憮然とせざるを得ない。
「そもそもこやつは兄と違って気が短いのだ。もう少し人を見る目を養えと言ったであろう? この双子は特に良い練習台だ。似ているようでも結構違うからな。もっと気をつけて観察するが良い。相手を見極めることが、ひいては戦略的な勝利に繋がる。そして逆に己の感情を相手に悟られないように注意するのだ。今のお前では、どんなに小宇宙が高まろうと、どんなに技が磨かれようと、相手に見越されてしまう。それは戦士として致命的なことなのだ」
――俺は教育上のダシか?と、カノンが思ったのも無理からぬことといえよう。
それとも夕べやり込めてしまったことへの意趣返しか。げんなりと溜息を吐くカノンの目の前では、貴鬼が大真面目な顔でシオンの話に耳を傾けている。そのシオンの表情がどこか勝ち誇った風であるのは、カノンの気のせいではないはずだ。
「教皇。では私はこれにて。後ほどまた参ります」
これ以上聞いていられるかと、カノンは早々に退散を図る。そそくさと踵を返した。
「待て」
呼び止められて、渋々振り返る。それでも顔には表れていない自信がある。先程からずっと、胡散臭いほどの笑顔を貼り付けているのだから。そういう意味では、確かにシオンの言うことは間違ってはいない。
「まだなにか?」
それでも口を開けばいやみっぽくなってしまうので、あまり意味はない。気づかぬわけでもあるまいに、シオンは何食わぬ顔で淡々と告げた。
「今日の夕方、アテナが日本に戻られるご予定なのだが、その前にもう一度 に会いたいとおっしゃられておる。伝えておいてくれ」
「…… に、ですか?」
直接拝謁させてしまっても良いのかどうかとの確認のつもりだったのだが、シオンは違う意味に取ったらしい。
「少なくともお前の名は出ていなかったが」
それで気づいた。カノンもアテナに拝謁しておいたほうが良いだろう。報告は任意と言われたが、やはり昨日の顛末は報告すべきだろうし、許可を得ておくべき事項もある。
「お呼びでないことはわかりましたが、私が先にお会いしてもよろしいでしょうか?」
「今日はもう夕刻までご予定はない。大丈夫だと思うが」
「そうですか。では、早速」
「カノンよ」
一礼して今度こそ去ろうとしたカノンを、今一度シオンは呼び止める。
「監視と、もうひとつは何だ?」
唐突な問いだったが、カノンは正確に理解した。まじまじとシオンを見返す。さすがに教皇の地位にある者だ。気づいていたのか。しかしいくら教皇といえども答えてしまって良いものかどうか、判別はつきかねた。
「……」
答えあぐねて沈黙したカノンに、シオンは重ねて問いかける。よほど気になっているらしい。
「昨日、アテナは直接お前だけに何かを申し付けただろう? 監視役を言い渡した後だ。小宇宙で直接語りかけていらっしゃった」
「――確かに監視とは別にもうひとつ命を与えられましたが……他の者には聞かれないように、私にだけ命じられたことには、それなりの意味があるのだと愚考致します」
遠回しな返答の拒否を、シオンはひとつ頷いて了解したのだった。
「そうであろうな。詮無いことを聞いた」
***
慣れない衣装を着せ付けられて、 は少々困惑していた。
何しろそれは衣装と言うより、基本的には大きな布なのだ。華麗なドレープをつけながら留め具と共に身に巻きつけられていく様はいっそ芸術的ですらあったが、やはり困る。どうにも動きにくい上に、問題は留め具だ。どう見ても本物の貴金属に、本物の宝石があしらわれている。
良すぎる待遇に怖気づくだけの遠慮深さは、 も一応は持ち合わせているつもりである。せめてその意を伝えたくとも、黙々と を飾り立てていく老女に の言葉は通じない。甘んじて受け入れざるを得なかった。
しかし着ていた服を回収されるに至って、黙っているわけにも行かなくなった。武器やら身分証やらが一緒なのだ。慌てて引きとめ、必要なものを奪回する。取り出しては見たものの、銃の入ったホルスターやナイフなど今の格好にそぐわないものばかりで処置に困ってしまった。
それらの武器を老女はしばし恐ろしげに眺めていたが、 が衣装(キトン)の長い裾をたくし上げて太腿などに装着しようとすると、無言のまま手を貸してくれた。
着付けが終わり、浴場から出ると貴鬼が待っていた。何やら不貞腐れた顔をして壁に背を預けていたが、 の姿を認めるとぱっと笑顔を浮かべ、駆け寄ってくる。
「あ、お姉ちゃん! お風呂終わったんだね!」
老女がひとつ会釈をして静かに離れていった。彼女の仕事は終わったらしい。その背に はカノンに教わった通りに礼を言う。
「”Σαs ευχαριστω παρα πολυ”」
驚いたように老女は振り返った。すぐににっこり笑って、何事かを口にする。
「どういたしまして、だって。服は洗って、あとでお返します、ってさ」
横で貴鬼が通訳してくれた。 はもう一度礼を述べる。老女は再び会釈して、今度こそ廊下の奥へと消えていった。
それとは反対の方向へ貴鬼が の手を取って歩き出す。 を引っ張りながら、見上げて笑った。
「すっごくよく似合ってるね、それ。まるで女神様みたいだ」
「……もしかしてこの留め具とか、女神様のものなのかしら?」
「そうかもね。女官は普通そんなに綺麗な装飾品は着けないから」
「…………」
それはさすがにまずいのではないだろうか。
恐らく女神本人がさっきの老女にそのように手配したのだろう。しかしあてがわれた部屋を初め、世話係の星華をつけてくれたこと、立派な浴場を使わせてもらったことにしろ、そんなにも厚遇される理由は、 にはないのだ。
星華や貴鬼を見る限りでは単なる厚意なのかとも思う。しかしここまで施しが過ぎると、それだけではない何かがあるのではないかと疑いも持つ。
――問題なのは、疑い切れないということなのだ。
ここ聖域の掟を鑑みれば、殺されなかっただけでも破格に過ぎるほどの優遇だろう。昨日の教皇シオンとの謁見時における、彼の行動―― に手を下そうとしたこと――こそが、恐らく正しい対応なのだと思う。だから も甘んじて受ける覚悟があったのだ。もっとも、あのときのシオンは何かを確かめようと、あんなことをしたようではあったが。
しかしそれを止めに入ったのが、女神本人だったのが、一番の問題だ。
は頬に手を当てた。女神が癒した傷に。
神など、信じたことはなかった。絶対の高みに在る者など、信じたことはなかった。カノンと意識を共有して神の存在自体は容認せざるを得なかったが、それでもそれは 自身には関わりのない者のことだと思っていた――思っていたかったのだ。
それでも。
あの時の、女神の手の暖かさと柔らかさ。慈しみの眼差し。きっとずっと、忘れることはないだろう。あまりにも鮮明に記憶に刷り込まれた、神の慈悲。その尊い御業(みわざ)。
に。 だけに向けられていた。
あっていい筈がないのだ。そんなことは。
それは、間違いの元なのだから。
”神”というものが本当に”絶対的な存在”であるのならば、二度も間違いを犯してはならないのだ。
なのに女神は に慈愛を向ける。
その”神の愛”を疑うことなど、 には――人間には――できるものではない。
昨日の邂逅で はそのように学んだ。だが女神は言った。今は人としての立場を得ている、と。
だからこそ、迷う。
この厚意を、ただ受け取ってしまっても良いのだろうかと。
「……お姉ちゃん? どうしたの? 具合悪いの?」
呼び掛けられて、我に返った。貴鬼が の手を軽く引っ張りながら見上げている。思惟に耽ってしまっていたらしい。湯に浸かって程よく温まり、思った以上に緊張が解けているようだった。意識レベルが確実に低下していると自覚した。
「大丈夫。少し――少しぼうっとしてしまっただけだから」
それでもなお心配そうな眼差しを向ける貴鬼に、 は無理やり笑んで見せた。
――昨日も、星華に同じことをした。
(笑顔には人の心をほぐす力があるのよ)
かつて にそう教えてくれた母は、いつも微笑みを浮かべていた。あるときは気丈に、あるときは柔らかく。そうして人の心を掴む。
それを思い浮かべながら、 はいつも真似をしようと努力する。こんなときにはいつも。
でも、うまくできたと思ったためしはない。
見た目だけは、母に良く似ていると言われているのに。それでも彼女のようにはとてもなれない。
――本当は、なりたくないのだと。心の底ではそう思っているのだと。自分で気づいている。
だから、いつまでたっても巧く笑うことすらできないのだ。そんな自分が心底嫌になる。
いっそ別の方向に偏ってしまうことができたなら。
そう思いながらも、心とは裏腹な言葉が口をついて出る。
「本当に大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
貴鬼はそれで少し安心したようだった。 の手を離し、重い扉を両手で押し開ける。あてがわれた部屋に戻ってきていた。
「じゃあ包帯替えようね! そしたら朝ごはん、食べなよ」
「ええ。ありがとう」
そんな自分を、 は心から軽蔑する。やはり女神に慈悲を恵んでもらう資格など、自分にはないのだと。
ゆめのつづき3 END
解説というか言い訳いきます。
作中何度も出てきた代謝活性器(メタボライザー)については、
角川スニーカー文庫版∀ガンダムに出てきた描写を勝手に解釈して言及しています。
多分入浴によって血行の良くなっている時に使用すれば体内へのナノマシンの拡散が早くなって
効き目が速やかに現れる、ということにしておきます。
今回補充されたナノマシンは前から 嬢の体内に常駐しているものとは違うもののようです。
いくら科学技術が発達している世界から来たといっても、何度もコールドスリープを繰り返している彼女は
その身一つで数千年を過ごしているわけですから、恒常的にナノマシンの助けがなければ
「元気溌剌というわけには参りませんね(∀ガンダム、千年女王ディアナ・ソレル言より)」ということらしいです。
問題のコールドスリープについては、実はガンダムWにはその技術の片鱗すら見受けられないのですが、
それより古い時代であると設定しているUC(宇宙世紀)時代、正確にはZZですが、そちらでプルツーが
そのような処置を受けていた件がありましたので、技術的には相当昔に確立されていた、と誇大解釈しています。
ガンダム世界のベース設定としてはWなのですが、∀という作品が存在することにより
かなり自由な解釈が可能となっていて、二次創作者としてはありがたい限りです。