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Black History3
アイオリアは眉をひそめた。言い切った を、やるせなく見つめる。怒りは跡形もなく収まっていた。
――神は、いない。
それは確かに、人ならば一度は感じる絶望だろう。
縋りたくとも見えず。触れることなど到底適わず。心の底から救いを求めるときに傍にいてはくれない存在に覚えるのは、やり場のない怒りでしかない。
信じていたからこそ生じる、どうしようもない失望。
覚えならあった。
絶望も、怒りも、失望も。
確かにそれらを感じたことが、アイオリアにはあったのだ。本物の”神”の、最も近くに在ることを許された、聖闘士である彼でさえ。
だからこそ、彼には否定ができなかった。
それでも誰か、 の言葉に反論してくれる者はいないだろうかと、アイオリアは兄と年上の同僚に目を向けた。そしてそのささやかな願いは、叶えられる。
「――なぜ、そう思うんだい? どうしてそう言い切れる?」
そう聞いたアイオロスの声は掠れている。 を見つめる眼差しは、多分に哀しげだった。それを静かに受け止めて、 は淡々と告げる。
「あなたがたは、これまで神と戦ってきた。――なぜか。それは彼等が地上の人々を虐げようとしたから。ではなぜ、彼等はそんなことをしようと思ったのでしょうか」
「…………」
アイオロスが言葉に詰まった。
それはそうだ。この世界の”人間”であるのなら、その答えをかたちにするのは大変難しい。漠然とはわかっていても、自らの意地や矜持が、それを許さない。
だが。
アイオリアはカノンに目を遣る。 がここまで知っている。それはカノンの知識だか記憶だかを、 が受け取ったからに他ならない。
では が投げかけたこの問いに対する答えは、カノンの思いそのものでもある。
「彼等は、粛清を行おうとしたのでしょう? そうやってこの世界の人間に、教示したいなにかがあった」
語る声は、その内容とは裏腹にどこまでも抑揚というものを欠いていた。昨日もそうだった。アイオリアは思い返す。昨日も、教皇の問いに対してまるで何かを読み上げるように、 は話していた。
そして今。 はカノンの思いを読み上げている。――神を誑かした男の、心の内を。
しかしそれはどこまでがカノンの言葉で、どこからが のものだろう?
アイオリアの視線の先でカノンはただ静かに腕を組み、目を伏せている。その表情からは何の感情も汲み取ることはできない。
「そのように、あなたがたがどうしようもなく間違ったときには、糺される。そのときには、それはただの脅威と感じられるかもしれません」
「それはそうだろう。糾す? 問答無用で地に人に災いを振り撒く、その行為がかい?」
アイオロスが低く声を震わせた。紛れもない糾弾だ。それでも は変わらず淡々と続ける。
「そうです。そうやって、あなたがたは気づくことができる。自らの行いの非を。――不思議に思ったことはないのですか?」
カノンが身じろぎをした。目を上げ、 を見る。
「天候も、惑星さえも自在に操る力を持つ存在が、なぜひとおもいにそれを成してしまおうとしなかったのか。また、何故それを成そうと思い立ったのか」
「…… 」
呻くようなカノンの声にも、 は口を閉ざさなかった。
「彼等は聞き届けたのではないのですか? 願う声を。心から救いを求める声に、彼等は応えたのではないのですか?」
「 !」
堪らずカノンは叫んだ。組んでいた両手をテーブルに押し付けて。今にも椅子を蹴って立ち上がりそうな勢いだ。深く俯いていた。
「……やめてくれ。そんなんじゃないんだ。俺はそんなふうには思っていない……!」
は小首を傾げて、カノンを見つめた。いかにも不思議そうに。
「私は、そう思ったの。カノンじゃない、私が」
「願ってなどいない! 俺は……俺が、企て引き起こしたことの罪を、全てわかっている。俺は神を唆し、利用しようとした。それだけだ! 願ったりしてはいない! 俺は……」
「カノン」
ずっと黙っていた女神が、重々しく口を開いた。
「おやめなさい」
「アテナ……」
女神はすっと目を細めた。口許を笑みの形に歪める。哀れむように。もしくは、嘲るように。
「神が、ただ誑かされるほどに愚かと思いますか? 海皇もまた、わたくしと同じ神。あの時は敵として戦ったとはいえ、それ以上貶めて言うことは許しません」
「…………」
はっと顔を上げ、カノンは女神を窺い見た。テーブルに付いた両手を収め、膝の上で握り締める。
「海皇は、決して誑かされたわけではありません。―― さん、あなたが正しいわ」
呼びかけられて、 は女神と目を合わせる。女神は が見た中で一番硬い笑みを浮かべていた。まるで何かを堪えるような。
「彼は、ただ応えただけでした。その祈りにも似た、あまりにも正当な怒りに。――カノン。あなたの怒りは、神にさえ届いてしまうほどに純粋な祈りだったのです。そしてそれは、わたくしにも届いていた」
「アテナに……届いていた?」
呆然とカノンが繰り返し、女神は強く頷いた。
「そうです。確かに届いていたのです」
「祈り――怒り? 私の願い……?」
「教皇シオンと、そして幼子だったわたくしを弑し、サガに全権を掌握するよう勧めたのでしたね。――そうすることで、この世界の過ちを正すことができると、あなたは信じていたのでしょう? あなたの目には、世界はもうどうしようもないほど汚れて見えていた。あなたにとって、わたくしは、間に合わなかった神でした。遅すぎたと、そう思ったのでしょう?」
もはやカノンに発するべき言葉はなかった。ただ食い入るように女神を見つめる。
「汚れ切った世界を、あなたは一刻も早くどうにかしたかったのですね。しかしサガはあなたのその心を解せず、言葉だけで悪と判じた。ですが、サガもまた同じように考えていた……口に出さずにいたものを、あなたに先に言われて、自分の言葉と同じく封じ込めねばと考えてしまった。そして――」
言葉を切り、女神は首を振った。
「あなたの怒りは、正当でした。でも幼子だったわたくしには、声は届いても、どうしてあげることもできませんでした。代わりに応えたのが、ポセイドンだったのですね……でも彼はあなたの祈りの声を、ただ鵜呑みにしたわけではなかった。知っていましたか?」
問われてもカノンは呆然と口を噤んだままだった。それはつまり、否定を表している。
「彼はあなたに口実を与えて時間を作り、わざわざ自ら確認を行ったのです。――この地上を滅ぼすべきか、否かの。そして彼が出した結論は、あなたがたも知っての通りです」
女神は一同を見渡した。アイオロスとアイオリアは神妙に、 は相変わらずの無表情で、それぞれが話に聞き入っている。カノンだけが深く俯いていた。
「それでも さんのおっしゃる通り、ポセイドンは時間を掛けました――賭けた、と言い換えても良いのだと思います。彼が本気を出せば、もっと短時間で目的は成し遂げられていたはずです。でも彼はそうしなかった。そのうえ彼はハーデスとの戦いの最中、成立したばかりだったわたくしの封を破り、わたくし達に助力までして見せた。――彼もまた地上を、そこに住まう人々を愛しているのです。だからこそ、汚されていく地上を、汚れていく人間を、見るに耐えなかった……それほどに彼は、期待していたのでしょう」
どこか遠い目をして、女神は語る。もしかしたら自分は大変なことを聞いてしまったのではないか。アイオリアは肌が粟立つような錯覚を覚えた。
が水を向けなければ、決して語られることはなかったであろう真実。自分が葛藤していたあの長い時間。その間、敬愛する女神にも苦悩があったのかと思えばこそ去来する歓びがあった。
――救われた、と。
苦しく、悲しかったのは、自分だけではなかったのだ。そう思うと、胸が掬われた気がする。それは途轍もなく不謹慎で、不敬極まりないことかもしれなかったが。
「ポセイドンの件は一例でしかありませんが、そういう意味では、確かにこの世界は神に愛された場所だと、そう言うことができるでしょう。でも さんの世界は違う。――そうおっしゃりたいの?」
「はい」
は頷いた。
「それはなぜ?」
重ねられる女神の問いに、 は答える。どこまでも淡々と。
「私達には、警鐘を鳴らしてくれる存在はいませんでした。全てを自ら引き起こし、全てを自らの手で闇に沈めるしかなかった――こちらのように神がいたのなら、決して許されはしなかったでしょう」
「――――?」
抽象的過ぎる。女神を初め、アイオリアもアイオロスも眉をひそめた。ただ一人カノンだけが、俯いていた顔を上げて を見る。呻くように呟いた。
「……黒歴史か」
が頷く。そのまま口籠るように黙ってしまった に気遣うような眼差しを向け、女神は代わりにカノンを窺い見た。躊躇いがちに尋ねる。
「なんなのですか、その――黒歴史、とは?」
ほんの僅かの間、カノンは押し黙った。ちらりと を見遣り、動きがないのを確認する。ひとつ溜息をついて、口早に告げた。
「我々流の言い方をすれば、 の世界では一度、地上は滅んでいるのです。誰でもない、人間自身の手によって」
――息を呑んだのは誰だったろう?
場には先程までとは違う種類の沈黙が落ちる。発言をしたカノンと当事者である は沈鬱に黙り込み、聖闘士二人と女神はぎょっとしたように言葉を失った。
ややあって口を開いたのは、当事者本人だった。
「――2300年ほど前でした。地球上で大規模な戦闘が勃発しました。あえて戦争とは言いません。一部の者が全ての利権を掌握しようと引き起こした戦いです。しかしそれは最悪の展開を見せました。事態の終盤、追い詰められた彼等は考えてしまったのです。手に入れることができないのなら、失くしてしまおうと。――そして月光蝶と呼ばれるシステムが開発されました。結果、地球上に存在した全ての文明の痕跡を自ら消去するに至ったのです」
口調は相変わらず抑揚に欠けていたが、眉をしかめたその表情には明らかな嫌悪が見て取れた。
「その時宇宙へ逃れていた人々は破滅を免れました。しかしそれから二千年以上、我々は地球へ降りるのはおろか、近づくことすらできなかった」
落としていた目を上げ、 は女神をひたと見据える。
「女神アテナ。もし――もしもあなたのような神が我々の上にも存在したのなら、そのような状態になるまで人々を放っておきはしなかったはずです……違いますか?」
強い眼差し。まっすぐに女神に向けられて。
しかしそこには先程女神自身によって語られた、かつて感じた祈りの要素は一片も含まれていない。ただ事実を訴えかける。それはむしろ懺悔にも似ていた。女神――沙織には、受け止める術のない。聞き入れる権利もない。
沙織は言葉を失う。当然だ。彼女は、こちらの神でしかないのだから。 は目を逸らした。それは が一番わかっていることだ。だからこんな話をしている。
「自らの手によって地球から隔絶された人類は、全てを自らの手で贖って生きてきました。水、空気、重力。そして拠って立つべき大地さえも。神が創り出したとされるなにもかもを、我々は自ら生み出してきた。二千年という時間は、決して短いものではありません。その時間は我々に、神はいないのだと認識させるには充分すぎました」
俯き加減に話す から、アイオリアは目を逸らせなかった。
神はいないと言い切ったその言葉。――これほどの重みがあろうとは。これではもう誰も、神を否定する彼女を否定することなど、できはしない。
「しかしそのような状態になってようやく、人類は戦いを忘れることができたのもまた事実です。生きていくだけで精一杯な人類は戦うことなど考えない。だから、我々は過去の戦いの歴史を封じたのです。――それを黒歴史と呼びます」
長い話を終え、 は溜息をつくように付け加えた。
「これでご理解いただけますか? 私が、こちらではない場所から来たのだと」
しばらくの間、誰も言葉を発することができなかった。
「……信じよう。君が、異世界から来たのだと」
沈黙を破ったのはアイオロスだった。
「言いにくいことを言わせてしまったようだ。すまなかった。……だがもう一つだけ、質問してもいいだろうか」
は顔を上げる。無言でアイオロスを促した。
「人類は戦いを忘れることができたと、君は言ったね。だが、君は戦っている。それはなぜかと、聞いてもいいだろうか? これは昨日教皇が君に問うて、退けられた問いと同じ質問に当たるだろうか」
アイオロスの真摯な視線を受け止めて、 はゆっくりと首を振る。
「今から80年ほど前のことです。宇宙から地球に戻る人々が現れました。そして人々は知ったのです。我々は、再び地球を取り戻すことができるようになったのだと。――それからです。テロリストが増加し、武装蜂起が頻発するようになったのは」
明らかに は顔をしかめた。そして、聞き捨てならない一言を吐き出してしまった。
「閉ざされたままで良かったんです。地球は、人々の闘争本能を呼び覚ます。戻れない方が良かった。戻らない方が」
「 さん、あなたは――」
弾かれたように、沙織が の言葉を遮った。
「あなたは、地球が嫌い?」
ははっと口を押さえる。失言だった。
「……そういう見方が、少なからずあります」
言いながら、もう遅いと思った。今更取り繕っても無駄だと。ならば開き直るしかなかった。
「そしてその意見には、私も賛成です」
とりあえず保留だ。女神の質問に対する答えは。そもそも喋りすぎたのだ。失敗した。
表情を改め、 は口を閉ざした。すっかり冷め切ってしまった紅茶をひとくち啜る。なぜだか喉がカラカラだった。――喋りすぎた所為だ。
沙織が溜息をつく。諦めたらしい。はぐらかされたことも、これ以上追求する理由もないとわかっているはずだった。彼女もまた冷めた紅茶を口に運ぶ。
議題については理解できなくとも場が緊張していることは感じ取って、星華はひっそりと部屋の片隅に控えていた。今は女神と聖闘士たち、そして客人の間に割って入るべきではないと判断したのだ。しかし、せめてお茶くらいは淹れ直すべきだろうかと、ひとり静かに思案していた。
***
「なにかご入用のものはありませんか?」
女神出立の時刻が迫り、どことなく気まずく進んだ茶会が終わった。アイオロスとアイオリアの両名は今後の警備について打ち合わせをするとかでこの場に残り、 とカノンが席を立った際に沙織がそう尋ねてきた。立ち上がった は二、三度、目をしばたかせる。申し出の意図を量りかねた。
「不足しているものや今後必要になるものがあったら、なんなりと申し付けてください」
屈託を少しも感じさせない態度は、いっそ見事だった。これは恐らく沙織自身の気質だろう。人としてトップに立つ者の余裕とはこういうものだと、 は知っている。
「ありがとうございます。ですが、お気持ちだけで結構です」
丁重に頭を下げる に、沙織はにっこりと笑ってさえ見せた。
「遠慮なさらなくても良いのですよ」
「せっかくアテナがそうおっしゃって下さっているんだし、なにか頼んでみたらどうだい?」
座ったままのアイオロスが気軽に言って、隣でようやく紅茶を口に含んでいたアイオリアが危うくむせかかった。そんな獅子座を怪訝に見遣ったカノンもすぐにその理由を悟ることになる。
「それとも、人にものを頼むのは苦手かい?」
これがサガだったら間違いなく嫌味だろうが、アイオロスの場合はそうでない分なおさらタチが悪かった。さらりとそんなことを言ってのけるので他意がないのかと思えば、そうでもないのだ。
「ここに来るときもそうだっただろう? 昨日のカノンとの会話を聞いててもそんな感じだったし。ずいぶん遠慮深い子だなと思ったんだ」
またか。カノンは頭を抱えたくなった。先程と同じく、また搦め手で から何らかの言葉を引き出そうとしているらしい。それがどんなものかなどとは、もう考える気はしなかった。
同じような顔をしたアイオリアと目が合う。互いに御しにくい兄を持つと大変だと、揃って溜息をついた。
そしてカノンにはもう一つ溜息の要因があるのだ。
「遠慮しているわけではありませんし、苦手なわけでもありません」
の答えがある程度予想できてしまうのに、発言を止めさせる術がない。
「では、なぜせっかくのアテナの申し出を辞退するんだい?」
頼むから止めてくれとは、アイオロスに対して思ったのか に対して思ったのか。
「……武器を嫌う女神様に弾薬などの提供を願い出るほど、恥知らずではないつもりです」
カノンは思わず片手で目を覆った。それでも指の隙間からアイオロスを窺い見る。いわゆる怖いもの見たさ、というやつだ。そして案の定、後悔するハメになるのだ。
一見返す言葉に詰って憮然としているように見える。――その口許が僅かに綻んでさえいなければ。
その表情には見覚えがある。確実に見覚えがある。それもごく最近のことだ。
たいして間をおかず、アイオロスは本格的な笑みを浮かべた。
「さっきからずっと意地悪なことばかり言ってしまってすまなかったね。……君が本当に信頼に足る人物かどうか、私なりに見極めようとしたんだけど、そんな必要はなかったようだ。もうこんなことはしないと約束しよう」
正面きっての暴露と謝罪に、沙織とアイオリアがあっけにとられている。一方、当の は軽く頭を下げただけだった。
「そんなことだろうとは、思っていました」
それを聞いたアイオロスの笑みがますます深くなる。
やはり先程の既視感は間違いではなかった。カノンは思い出す。再び生の続きを紡ぎ始めた時に、かつて同じ時間の中にいた少年と相まみえたときのことを。
昔、カノンは彼に会ったことはあったが、彼はカノンを知らないはずだった。なぜならカノンは彼に、兄の名を名乗っていたからだ。しかし十三年ぶりに再会したとき、彼はカノンの名は知らなくともカノンのことを知っていたと告げたのだ。名前すら教えてもらえないまま去るのは無念だったと怒り、それでもやっと知ることができたと、喜んだ。
そのときの表情だ。今まさにアイオロスが浮かべているのは。見覚えがあるのも道理だ。
鋭さと柔らかさが同居するのはいかにも子供らしく、同時にその根底に見え隠れする思慮深さはあまりにも大人びている。だからこそ、サガは彼をどんなことをしてでも遠ざけるしかなかったのだと、それでわかった。――たとえ女神に手を掛けようとしたところを彼が目撃しなかったとしても、サガはいつか彼を葬り去ろうとしたのだろう。必ず。
それほどまでに聡い子供だ。それを知って以来、カノンはどうしてもアイオロスを子供扱いすることができない。そして気づけば、アイオロスはなんだかんだと議論を吹っ掛けてくるようになっていたのだった。
***
気を取り直すように沙織が再度 に声をかけた。
「 さん、本当に遠慮なさる必要はないのですよ? さんは聖闘士ではないのです。それでも危険なお仕事をなさっているのですから、そのような方に武器を使うななんて言うほど、わたくし、了見が狭くはありません。ご希望を言っていただければ銃器でも弾薬でも手配しましょう」
熱心に言い募る沙織に、さすがに も少々うろたえた。アイオロスへの答えは本心だ。本当に、そこまで図々しくはないつもりなのだ。
「ですがやはり……」
皆まで言わせず、沙織は更に続ける。
「普段わたくしのボディーガードをして下さっている方々だって、聖闘士ではない限り銃は携帯しています。それがわたくしのみならず、彼らをも護るためだというのも承知しています。武器だからと言って、全てを何の忖度もなく忌み嫌っているわけではないのです。今はまだ、あなたのやろうとしていることはわかりません。でも、あなたは間違ったことをしようとしているわけではないことはわかります。今のあなたには、もう少し力が必要と思いました。――力になりたいの。 さん、あなたの」
沙織はじっと を見つめた。いたたまれなくなるほどに真剣な眼差しで。
「……そう思うのは迷惑かしら」
さすがに根負けした。 は首を振る。
「迷惑などではありません。どうもありがとうございます」
それでもやはり武器の手配を願い出るわけにはいかない。確かに遠慮もある。
それ以上に、 なりの矜持もそれを良しとはしなかった。――そのくらいのものならば、自分で何とかできなくては。
下げた目に、纏っているキトンの裾が飛び込んできた。
「――ではお言葉に甘えて、一つだけお願いしてもよろしいでしょうか」
「一つとおっしゃらず、なんでもどうぞ?」
安心したように微笑む沙織に、 はいかにも言いにくそうに告げる。
「……着替えを何着かご手配いただけませんでしょうか? その……できれば動きやすい、普通の服で……」
あら、と沙織は口許に手を当てた。
「そうですわね。それでは動きにくいですものね。それにさっき、12時間で帰投の予定だったとおっしゃっていましたから、替えの服なんて用意がなくて当たり前ですものね。わたくしったら、全然気が付かなくて……ごめんなさい」
しょんぼりと肩を落とす沙織に、 は些か慌てる。こういうところは本当にただの子供なのだと思った。そして は子供とのつきあいかたなど、全く知らない。
「いえ、制服くらいならあるんですが……」
なんとかとりなそうとしても、全然うまい言葉が出てこない。それ以上を言えずに黙ってしまった に、沙織は妙に力強く頷いて見せた。
「わかりました。動きやすい服装というと、基本的にTシャツやデニムのパンツなどがよろしいのかしら? すぐに手配させましょう。色など、お好きなものはありますか?」
「いえ……なんでも結構です……」
勢いに押されて、語尾が思わず尻すぼみになった。
わかりましたともう一度頷いて、沙織は を上から下までじっくり眺める。やがて満面の笑みを浮かべた。
「では、色やデザインなどはお任せください。 さんに似合いそうなものを見繕って、急ぎお届けいたしますわ。さすがに今日中というわけには参りませんが、明日には必ず」
断言して、沙織は軽やかな動作で立ちあがる。部屋の隅に控えていた星華のところへ足早に歩み行き、日本語で直接何かを語りかけた。星華が頷き、沙織は を手招きする。星華は更に奥の部屋へのドアを開け、常ならば女神と世話役しか立ち入ることのできない部屋へ を招いた。