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Party Night 03
先に見つけたのは、彼のほうだった。
人込みの向こうに、なぜか目が惹きつけられた。予感がした。だから彼はそちらを見た。かなり遠くからだったが、それでも目を向けずにはいられなかった。
――そして、見つけた。
何人かの人間と連れ立って、後ろのほうに隠れてはいたけれど。
間違えようがなかった。彼が覚えている姿とは、随分違ってしまっていても。
彼女だ。
そのとき胸に去来した思いがなんだったのか、彼自身わからなかった。
だからただ、上を向いた。軽く目を瞑って。
それは歓喜の念だったろうか。それとも諦観、もしくは悲嘆?。
どちらにしてもそれは事実だったのだ。もう、どうしようもない。そう思いかけ、いや――と彼は人知れずかぶりを振る。
これでいいのだ。これこそが正しいはずだ。何もかも、うまく進んでいる。示された未来へと、まっすぐに。
背を向けた。見つめ続けるには彼女は、あまりにも眩しかった。
人の流れに逆らいながら、彼は天を仰ぐ。今一度。
呟いた。
――神よ。
その後に続けられるべき言葉がふたつ、相反して彼の中にある。
感謝と、呪詛と。
真の思いは、はたしてどちらだろうか。
***
誰もが覚悟はしていたが、それでも『城戸』のネームバリューとは凄まじいものだった。
ほんの十代の少女でありながら、かねてより名の知られている現総帥・城戸沙織は若すぎる点を除いたとしてもあまりにも高嶺の花すぎる。だが今日、初めて公の場に姿を現した城戸の名を持つ女性は、総帥に比べれば遥かに敷居が低い――と、誰もが思ったのは無理からぬことと言える。
従って、グラード財団を擁する城戸一族と少しでもお近づきになりたい人間が、砂糖に群がるアリのように、はたまた炎に集まる羽虫のように『城戸沙綾』を取り囲むのは必然だ。
護衛の発する奇妙な迫力も、損得勘定や欲の前では、その威力も徐々に削がれていってしまった。いつのまにか人の輪の中心にされてしまった『城戸沙綾』は、それでも動じず、城戸の名に恥じぬ振る舞いを続けている。
やがて『沙綾』―― を囲む人々の構成が100%男性になった。女性は挨拶をしてしまえばその場を離れてしまうか、そもそも一種異様な雰囲気に恐れをなして近づけなくなっているからだ。
しかも、と の護衛を割り振られた聖闘士達は思う。どう見ても、歓談するだけにしては距離を詰められすぎている。
周囲のよそのゲスト達を見ても、その差は明らかだ。そんな のすぐ傍で護衛をしなければならない聖闘士たちにしてみればもはや拷問に近い。どんなに睨みを利かせてももはや効き目がない上に、人の輪がどんどん狭くなってくる。これほどありがたくない状況もそうそうないだろう。
そんな中、 は実に辛抱強く――と聖闘士達には映った――応対し続けている。
初対面にもかかわらず、握手のみならずハグや手の甲へのキスまで求める者も多い。不用意に が触れられるたびにカノンの眉間の皺が深くなっていく。シュラもアイオリアも、一緒にいるのはサガなのではないかとつい錯覚するほどだ。
交わされる会話も、どんどん無遠慮になっていく。何の尋問かと疑いたくなる質問すらある。それでも の態度は変わらなかった。
「――ではまだ学生でいらっしゃるのですか?」
「ええ」
「キャンパスライフはいかがです? 親しいご学友もいらっしゃるのでしょうな。実に羨ましい」
「毎日充実しておりますわ。良い友人にも恵まれて、本当に楽しいです」
「ご卒業された後は、やはりグラード財団の方へ? それとも、既に他のご予定が? もしもそうなら、私には何の希望もないのでしょうか?」
「お恥ずかしい話、進路はまだ決めてはおりませんの。そのまま家業を継ぐのもいいのですが、大学院へ進んでもう少し学びたいような気も致しますし。それとも社会勉強のためにも財団とは無関係な方へ進むべきかしらとか、まだ悩んでいるところです」
のこういう場での回避手腕は決して悪くはなかった。むしろ耐久試験をされているのは護衛の聖闘士達かもしれない。
「それでは選択肢のひとつに是非、私のところへ永久就職など、加えてはみませんか?」
どさくさに紛れてとんでもないことを口にし始める輩が出るに至って、ついにアイオリアの堪忍袋の緒が切れた。
(これは無理にでもこの場から連れ出した方がいいだろうか?)
仲間に念話で語りかけたが、意外にも反応が返ってきたのはシュラだけだった。先程から険しい表情がデフォルトになってしまっているカノンはどういうわけか無反応。しかし、そのシュラの耐久力は、なんとアイオリアよりも早いうちに底を突いていたようだ。
(……問題は、どうやって血路を開くか、だ)
(け……血路?)
(馬鹿げたことを言っている奴だけを排除するか)
(排除!?)
(それとも全員まとめて聖剣の錆に――)
(ちょ……待て! 落ち着け!)
それなりに必死のやり取りが無言で行われる中、 の周りでも低俗な自己主張の張り合いがヒートアップしていた。
「いやいや、彼のところよりも僕のところの方が」
「是非とも当家も候補に入れていただきたい。決して損はさせませんよ」
「それなら私も――」
シュラの手刀がついに振り上げられることがなかったのはアイオリアの懸命な制止のお陰だろうか。それとも が普段からは想像もつかないような軽やかな笑い声を上げたからだろうか。
あらあらうふふ、と笑う顔に、護衛組の聖闘士全員が度肝を抜かれた。これまで誰も見たことがない表情。あっけに取られる聖闘士たちの前で、更に はこんなことまで言ってのけた。
「こんなに大勢の方からそんなふうにおっしゃっていただけて光栄ですわ。皆様が本気なら、わたくし、どうしようか迷ってしまいます」
さらに口許に手を当て、くすりと微笑む。
「でも皆様、いろんな方に同じ事をおっしゃっていっらっしゃるのでしょう? それにわたくしがもしも城戸の者でなかったら、きっとこんなふうに口説いてはいただけないのでしょうね」
少々寂しげな口調と表情に、そんなことはないと言いかけた面々は次の瞬間、薙ぐような流し目での視線を受けて何も言えなくなった。それに、と続ける言葉をなぜか生唾を飲み込みつつ聞き入る。
「あまり経験はないのですけれど、それでもわたくし、嫉妬深いほうですの。沢山楽しんでこられた方にはきっと重たくて、扱いづらいのではないかしら。それを承知で、さらに城戸の名の重圧にも耐えてくださる覚悟のある方が、この中にいらっしゃって? ――私だけを見て、愛してくださる方にならどこまででも着いて行く覚悟は、わたくしにはあるのですけれど」
空いた口が塞がらないとはこのことだと、アイオリアは思った。これだけ口が回るのならば、いつもの無口さは一体何なのか。これが女の怖さか真髄か。どちらなのかは恐ろしくてあまり追求する気にはなれなかった。
多分シュラも同じ感想を持ったに違いない。その証拠に、先程の不穏な気配が綺麗さっぱり消えている。
しかし恐らく、誰もがその言い草に呆れただけではないのだろう。アイオリアは周囲を改めて見回した。 に向かう視線の中に、明らかに先程までとは違った熱を持ったものが複数ある。やはり早々にこの場から を引き離した方がいいだろうと、ついに彼も血路を求め始めた。
その時だ。
誰もがまだ口を開けないでいる丁度その間隙を突いて、それまでどんな状況でも何の反応も見せなかったカノンが動いた。スーツの内ポケットから携帯電話を取り出し一瞥すると、素早く に近寄り何事かを耳打ちする。
はっとしたようにカノンを見上げ、頷くと、 は自身を取り囲む男達に優雅に礼をしてみせた。
「お話の途中で大変申し訳ないのですが、失礼させていただきます」
にこやかに言い切って、くるりと踵を返す。
後には呆然としたままの集団が残ることとなった。
***
先程の場所から少し離れたのを確認してから、 はほぼ真横を歩いているカノンを見上げた、小声でささやく。
「助かったわ、カノン。ありがとう」
どう切り上げようかと考え始めた時に、絶妙のタイミングで一芝居打ってくれたことに対して礼を言ったのに、カノンは横目でじとりと を睨んだだけだった。相当機嫌が悪い。どういうわけか歩く速度を上げるので、 も小走り気味についていくことになった。
そんな を一顧だにせず、真っ直ぐに歩きながらカノンは口を開く。
「馬鹿が。あんな挑発まがいのことを口にして。火に油を注いでどうする」
責める口調だった。しかし理由がわからない。はなはだ心外だ。 は反論の声を上げる。
「挑発なんてしてないわ。牽制したつもりなのだけど。あそこまで言われれば、人目もあるし、そうそう食い下がってくるとは思えないでしょう?」
だがカノンは反撃をものともしなかった。急に立ち止まる。
「甘い」
ホールの隅、人気のない場所へ辿り付いたのをいいことに、 のまん前に立ちふさがった。
「第一、今日のお前はあくまで城戸沙綾嬢の身代わりだ。あんなに目だってどうする?」
いつのまにか背を壁に、目の前を長身のカノンに挟まれ、先程よりは余程尋問を受けているような心地のする である。
「まあ、お前が目立ってしまうのは仕方がない。そればかりは身代わりのネームバリューとおまえ自身の素質の相乗効果だからな。しかし、あの受け答えはなんだ」
「なんだ、って……」
「ああいう態度では、むしろ逆効果だと言っている」
「どうして? あれだけ嫌味を言われれば……」
「嫌味どころかあれではいい刺激にしかなっていない。男の狩猟本能をあえてくすぐってどうする」
もはや には反駁の余地はなかった。と言っても言葉を失ったわけではない。単に理解が追いつかないだけだ。
恐ろしく難しい顔をして困り果てている を見て、カノンは大仰に溜息をつかざるを得なかった。
「男心のわからん奴め」
なにそれ、とか、わかるもんですかと毒づく世にも珍しい の姿を、アイオリアとシュラは脇から生温かく見守っていた。
二人ともカノンの意見には大賛成だったのだから。
すっかり機嫌を損ねてしまった は、それでもまだ――だからこそ、なのかもしれないが――人前に戻ると言って聞かなかった。
「言いたいことはなんとなくわかったわ。今度はもっと上手く躱すようにします。大丈夫だから、戻りましょう?」
しかしカノンは頑として応じない。
「駄目だ。何度言ったらわかるんだ」
「だって、このままでは女神様の依頼をまともに遂行できないわ」
「アテナも、あそこまでの事態は予測されていなかったんだ。このまま『沙綾』に人気が集中すれば、本物の沙綾嬢にも悪影響が出る可能性を考えろ」
いつもの ならば、カノンに言われなくともそのくらいのことは察するはずだ。何故今日に限って、こんなくだらないことで食い下がるのかわからない。
訝しげに随分低い位置にある顔を見下ろした。するとルージュを引いた唇をきゅっと引き締め、ぷいと顔を背けてしまった。たいそう悔しそうだ。
それでようやく気づいた。自分の仕事ぶりにけちをつけられて、意地になってしまっている。こういった場での振る舞いにはある程度慣れていた様子があったので、自信があったのだろう。
そしてカノンもまた、ふと自分を省みた。 とは逆に慣れない環境で苛立っていた。そして見慣れない様子の を見て、驚いてしまったのだ。
アイオリアやシュラにしたってそうだ。予想以上の盛況で少々混乱しているように見受けられる。
ふうと息を吐いた。これは少し、ヒートダウンする必要があるだろう。
「少し休もう」
普段どおりの落ち着いた声で言えたと思う。
証拠に、あらぬところを睨みつけていた がカノンを見上げた。窺うようにカノンの目を見つめることしばし、軽く肩をすくめて頷いてくれた。
シュラとアイオリアも大きく頷き、賛成の意を示している。あまりにも清々した様子にカノンは笑った。
「何か飲み物でも持ってくる。お前達はテラスにでも行っていてくれ」
大人しく外へと向かう一行をほっとした気分で眺め、カノンはまた人ごみへ向かった。
トレイを手にした給仕に近づき、アルコールの入っていないドリンクを頼む。かしこまりましたと護衛姿のカノンにすら丁寧に頭を下げて一旦引っ込んだ給仕だが、戻ってきたときには別人だった。ぞんざいな手つきでトレイを突き出される。それだけではない。
「お待たせ致しました、イサク隊長」
驚くのを通り越してぎょっとした。――なぜ知っている?
反射的に睨みつけたいかついヒゲ面が笑っていた。
「やっぱり隊長だ。お久しぶりです。やっぱり生きてたんですね」
「お前……バースィルか」
思い出した。カノンは眉を顰める。
5~6年前のことだ。まだポセイドンもジュリアン・ソロの中で睡み、海闘士達も集結していなかったころ。暇を持て余したのと食い扶持を求めて民間軍事会社に潜り込んでいたことがあった。
実際は必要がないとはいえ、一通りの武器の扱いはそこで徹底的に覚えた。そうでなければ仕事が出来ない。そうして出た戦場では、カノンは当然敵なしだった。いつのまにか小隊をひとつ任されるまでになっていた。
その時の部下が、今カノンの目の前に立っている。ひげが整えられ、服装も記憶とは全く違うのですぐにはわからなかった。
「なぜこんなところで傭兵がウエイターの真似事をしている?」
いやあ、とまた笑って、バースィルは頭を掻いた。
「そういうイサク隊長こそ、今は金持ちの護衛をやってるんですか」
「まあな」
「そんなにおいしい仕事なんですか?」
「……まあな」
カノンはへらりと笑う元部下を見つめる。
バースィルは根っからの兵士だった。自国の兵役が終わった後に、確実に戦場に出たいからという理由であえて軍に入りなおさず、即戦力を要求される民間軍事会社に入った男だ。要するに戦闘マニアだ。それがなんでこんなところにいるのか。
「自分も、まあ、護衛みたいなもんですよ」
カノンの視線に含まれる険に気付いたのか、バースィルは笑いを納めた。声を潜める。
「おいしい仕事が見つかったんで、転職です。面白いもんも使わせてもらえるし、給料もいい」
言い終わると、再びにやりと笑った。
「イサク隊長も、どうです? ただの護衛なんかより、ずっと面白いですよ」
「いや。俺は別に今の仕事に不満もないんでな」
にべもない返答に、バースィルは残念そうに肩を落とした。
「そうですか……また一緒に仕事したいなと思ってたんですがね……」
ああ、でも、とバースィルはまたすぐに笑みを顔に貼り付けた。
「良かったですよ」
「……何がだ?」
「いきなり退社しちまって、それ以降どこの戦場でも見かけないし、噂も聞かない。もしかして死んじまったんじゃないかって心配してたんですよ。でも生きてらしたんで、良かった」
カノンは曖昧に笑って見せた。まさか本当に死んでたんだとはさすがに言えない。
「それにさっき護衛してたのって、アレでしょう? 今回の目玉。世界のグラード財団の隠し玉」
「隠し玉、か」
そんなたいそうなもんじゃなくて偽者だ、とも言うわけにもいかない。
「結構仲良さそうでしたね。やっぱ、アレですか。戦場よりも楽しい仕事ってヤツ。骨抜きにされちまってるんじゃないでしょうね」
「……バカを言うな」
再び硬化したカノンの態度に、バースィルは引き際を悟ったらしい。未だ手にしていたドリンクのトレイを今度こそカノンに渡した。軽く敬礼し、背を向ける。
「ま、もし気が変わったら、声をかけてくださいよ。隊長ほどの方なら、大歓迎されると思いますから」
「お前の連絡先など知らん」
手を振りながら離れていく背中に言い放ち、それで断ったつもりなのだが、バースィルはわざわざ立ち止まって振り返った。
「もしかしたら、すぐに気が変わるかもしれませんよ」
最後にもう一度、にやりと笑って彼は去って行った。
Party Night 03 END
後書きという名の言い訳です。
これは当初、書く予定のない話でした。
でも章を書き上げてみると、パーティナイトと銘打っているわりにはパーティらしい場面があまりにも少ないので慌てて挿入(笑)
なので実は章の中では一番後になって書いた部分です。
文章力がないのであえて解説を入れますが、冒頭部分のモノローグはまだ未登場人物のもの。
最後に出てきたオリキャラは、文中くどくど書いてしまったとおり。それ以上でも以下でもありません。
名前の通りアラブ系なのでヒゲは別に不精しているわけではないです。生やして当然。
イサクとはカノンが昔使っていた偽名。Issac。英語風に読めばアイザック。ちなみに海将軍の一人とは無関係。
ギリシャでは誕生日ではなく名前の日の方を祝う習慣があることをご存知の方も多いでしょうが、
単純にそれを逆引きしてみました。つまり5/30の名前です。
本当はIsaakiosなんですけど、読みがよくわからなかったので英語風表記→聖書風に。
多分カノンも、そんなに凝った名前を考える方じゃないはず。だって、思いつきでシードラゴンて名乗るくらいだし(笑)
捏造過去については本当に捏造ですので、ツッコミはなしでお願いします。
ただ、まさか13年も海の底にいたとは考えにくいし、だったら生きていくのに先立つものは必要だろうし
かといって彼がまともに外の世界で職に就けるわけもないし、でも戦うだけならジャンルは違ってもプロなわけだし
それなら小悪党な犯罪者になるよりは傭兵とかやってそう、とか思いついただけです。
実際、海底神殿に海闘士が集結し始めたのって、早くても決起の1~2年前って程度じゃないかと思うのですよ。
それまでは、たまに確認に行ってたくらい。一年に二回程度?
で、まだ誰も来てねーやって、また陸に上がっちゃってたんじゃないかなぁと想像。いや、妄想。
あらあらうふふ、はなんとなく言わせてみたかっただけ。アリシアさんを思い浮かべた方、正解です(笑)