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Party Night 09
ムウが静かに口を閉ざした頃には、バイアンの怒りも幾分か削げていた。少しばかり決まり悪く頭に手をやりかける。ふとアフロディーテに目が留まった。
裏切り者・カノンについて、何も言及しなかった聖闘士。――何故だろう。気になった。
しばらくまじまじと見つめてしまった。恐らくは不躾であろう視線を、彼は咎めるでもなく受け止める。バイアンが何かを言うよりも早く、自分から申告した。苦笑と呼ぶには、あまりにも切なげに微笑みながら。
『……私は、カノンについて何かを言える立場ではないんだ』
バイアンだけではなく、他の二人の海闘士の注目が一気にアフロディーテに集まる。その中で言いにくいだろう自らの所業を、臆することなく吐露した。
『私は、君達が聖域と戦う前に、アテナに反逆した挙句に死んだ男だからね。カノンの罪業についてどうこう言える立場ではないんだ。以前の彼のことは知らないしね』
さすがに押し黙った海界勢に、アフロディーテは悠然と微笑んで見せた。
『先程君達は、聖域はめでたい奴らの集まりかと言ったね。だが、こんな私だからこそ思うことがある。言えることもある』
いまだ歓談を続けている神々に向けて、アフロディーテは胸に拳を当てる。敬礼するかのように。
『聖域は――アテナは、罪を認め、償う覚悟のあるものにはどこまでも寛大だ。しかし許されたと同時に、試され続けてもいるんだ。だから私達裏切り者は、今でも罰を受け続けている。そしてそれによって、救われているんだ――ただ許されただけでは感じるだろう、良心の呵責という名の重責からね』
アフロディーテは海闘士達に目を向けた。ひたと見据える。
『それは、君達の神にしても同じではないのかな』
アフロディーテの言葉につられ、戦士達はそれぞれの主神へと眼差しを向けた。
年若い人間の姿と、あまりにも偉大で強大な力を併せ持つ、彼らが尊崇してやまない現人神。
彼らは時として見た姿そのままの短気さを持ち、あまりにも意外かつ性急と思える行動を見せることもある。だがそれは、力も知識も経験さえも、彼らには遠く及ばない人間にはそのように映るだけなのだ。
それほど彼らの叡智は深遠で、所詮ただの人間には計り知れない。人間達が捨てきれないでいる怒りや憎しみなど、とうに見抜いて、超越したところに神々はいるのだろう。
『そうかもしれないな。だが――』
すっかり黙ってしまったバイアンに代わり、クリシュナが最後にひとつ、つぶやいた。
『だが、そうとわかっていてもやはり、完全に納得することなど、多分我らには永遠にできないのだろう』
海闘士達はその言葉に頷く。
そして聖闘士たちもまた、頷いた。
***
「そうそう、ジュリアン。被災地域への活動の方はいかがですかな? 救済キャンプも、もう大きいところはほとんど回りつくしたのではないですか? 最近は小規模のキャンプでも、ちらほらお姿を見かけるという噂を聞きました」
沙織とポセイドンと3人での会話が一区切りした頃、バルツァーが尋ねた。ポセイドン――ジュリアン・ソロに被災地の情報を提供しているだけあって、彼の動向はあらかた把握しているようだ。
「さすがニコラウス、お耳が早い。おっしゃるとおりです。大規模なキャンプは物資、設備とも充実し始めたようですので、まだまだ手の行き届いていない、中から小規模の被災地への支援を検討しているところなのです」
ポセイドンですらはっきりとはわからない疑惑の種が確実にあることをカーサに確認させた後であっても、これまでの信頼を全く損なっていないかのようなさわやかな笑顔で、彼は答えた。
それに対しバルツァーは、なぜかわずかに愁いの表情を浮かべる。
「そうですか……」
「なにか、気になることでも?」
笑みを引っ込めて、ポセイドンは表情を改める。気になることがあるのは、むしろこちらだ。
逡巡するように視線を巡らせ、バルツァーはテラスへの扉にふと目を留めた。数瞬の間の後、ひとつ頷き、意を決したように口を開いた。
「私も、そしてあなたも、これまでにもう随分と援助を行ってきました。ですがそれだけで――これからもこのままで、果たして良いのだろうかとしばしば疑問に思うのです」
自問しているかのような口ぶりだ。だが問いの答えをポセイドンに求めているのが明らかだった。どう答えようかと考えあぐねたのはほんのわずかの間だったはずだが、隣で話を聞いていた沙織は彼の困惑を敏感に感じ取っていた。
「……と、おっしゃいますと?」
いかにも何の話かわからないといった風情で、可愛らしく小首をかしげた沙織がバルツァーに問うた。勿論、ポセイドンがバルツァーに対してなにがしかの疑念を抱いていることを理解したうえでの介入だ。
あなたには関係のない話だと、はぐらかされる可能性の方が大きいと考えていた。バルツァーがポセイドンに対して何か腹に含むところがあるのであれば。だからむしろ噛んで含めるような丁寧な返答が返ってきて、沙織は後ほど自らの失敗を悟ることとなる。
「ジュリアンも、そして私も、あの大洪水の後、被災地や被災者の方々の為に様々な援助を行ってまいりました。その甲斐あってかあれから一年ほどしか経っていないにもかかわらず、完全な復旧とは行かないまでも、とりあえずは今後の見通しが立つ程度の状態にはなってきたと感じております。そして、そうなったからこそ思うようになりました。――本当にこのまま、以前に近い状態に戻ることが、果たして正しいことなのだろうかと」
バルツァーの口調には深い懸念がにじみ出ていた。簡単に受け流すことなどできないと、女神アテナにすらそう思わせるほどの。
「……それは、どういう意味でしょう?」
「失礼ながらなぜ、あの大洪水が起きたのかと、考えたことはおありですか?」
質問に質問で返されて、沙織は返答に窮してしまった。
「それは……」
「天災に、理由などもとめても……」
言いさして、ポセイドンも口ごもる。もしかしたら助け舟のつもりだったのかもしれないが、あまり用を足しはしなかった。説得力がないのだから当たり前だ。
理由なら、あるのだから。
本当はただの天災などではないことはこの世の誰よりもよく知っている。なぜならあの脅威を起こした張本人は、今まさにここにいる自分なのだ。――決して、後悔しているわけではないけれど。
それでも無駄に犠牲になった人間はあまりにも多かった。”ジュリアン”はただ純粋に彼らに深い憐憫の情を示し、”ポセイドン”は自らの理想の犠牲になった者たちへ、せめてもの手向けを考えただけなのだ。
事情を深く知るからこそ答えあぐねている二柱の神をよそに、バルツァーは続ける。
「そして、あの洪水のように目に見える被害が無かったが故に人々の記憶にはあまり留まる事のなかった、不可思議な日食のことを、覚えていらっしゃいますか?」
アテナにもポセイドンにも、もはや返す言葉など無かった。まさに当事者である彼らに、一体何が言えると言うのか。
「あの日食は、むしろ洪水以上に不可思議なものでした。観測技術がこれほど発達した現代、世界中のどこを探しても事前の予見がなされなかったなど、普通ではありえません。しかも――」
「しかも……?」
こちらの方はポセイドンよりもむしろアテナである沙織のほうが深く関わっている出来事だ。つい話の先が気になってしまったこの時点で、沙織はまんまとバルツァーの巧みな話術に引き込まれたことを悟るべきだった。
「日食が起こっている間中、世界各国のすべての観測機器が異常をきたし、全くデータが残っていないのです。太陽の異常による大量の電磁波妨害によるもの、と一応の説明はなされていますが、信じている研究者など一人もいませんよ。どういうわけか電子機器によるものではないアナログの、人的観測による報告がまるっきり無視されているのですから」
そこまで知っているのか。沙織は驚きを禁じえなかった。バルツァーが語っている通りになるよう、あらゆる手段を行使したのは他でもない、沙織なのだ。正確には、沙織が命じ、聖域がそれを為した。
聖域は、俗世と全く関わり合いを持っていないわけではない。むしろその逆だ。世界中の国家の中枢、団体、要人等、一般社会を礎にしながらもどこかかけ離れた世界と、陰ながら密接な関係を持ち続けている。彼らが守るべき『世界の平和』を乱す者の出現をいち早く察知するには、そういった世界を利用するのが最も合理的だからだ。
邪な野望を持ち、それを実現させるべく、この世ならざる脅威の力を利用しようとするもの。そのような浅慮を遠謀深慮と勘違いした愚かな人間を足がかりに、現世に介入しようと謀る人外のもの。――それら邪悪が現れやすく、また、だからこそ関知も容易な人間の上位社会。
人でありながら、人を凌駕する力を持った存在を擁する聖域は、そのような世界の陰に食い込みながらも決してどこにも属さず、情報を得る対価とばかりに、歴史の裏で時折その力を貸してきた。そう在ることによって、聖域は遥かな過去から存在し、活動し続けることができているのだ。
だから聖域の存在は、世界のごく一部の者にとって公然の秘密でありながら不可侵の――それこそ”聖域”。歴史の真実の裏側には聖域の影が少なからず存在する。
恐らく――沙織の私見でしかないが――今日、この会場に集う人々のほとんどは、聖域の存在を知る立場にある。中には聖域の使者にアクセスできるものもいるだろう。
そこまで思い至るにあたってようやく、沙織はバルツァーに対して奇妙な薄気味悪さを覚えた。一体バルツァーがなにをどこまで知っているのか――諸々の事態の隠蔽工作に聖域が関わっていることを掴まれてしまってはいないかどうか――気になってしまったのは、当事者として無理からぬことだろう。
「……それは、どういうことでしょう?」
「つまり、見たままの現象がすべて公式の記録として取り上げられないのですよ。観測者の主観による言葉のみでの報告はもとより、一定時間ごとの詳細なスケッチが取られているものもあります。ですがそれらはどういうわけか、客観的なデータの添付がないという理由で、全く相手にされていないのです。観測機器が使えなかったからこそ、そういう形での観測だったというのに、これでは本末転倒です」
――良かった。
沙織は知らないうちに詰めてしまっていた息を吐く。
どうとでも取れる質問だった。だが、沙織が危惧したとおりなら、もう少し別の答えが返ってきただろう。何者かによる情報操作を疑っているのかどうかはわからないまでも、聖域がこの件に関係していることはどうやらバルツァーにはどうやら知られていないようだ。
そう思ったとたん、話の内容の前後を冷静に考えられる自分に戻る。そうだ。自分は彼の語る事象に深く関与はしているが、常識的に考えて、それは余人が与り知るところではないはずなのだ。
憤っているかのような内容の割には淡々と語るバルツアーに、沙織は困惑の眼差しを向けた。
「あの……それと、洪水による被害と、一体どういう関係が……?」
本心から出た言葉だった。
しかし沙織は――アテナは、もっとよく考えるべきだった。二つの事象の関連性について、彼女は知っているのだから。勿論、誰よりもよく知っている。
そして、だからこそ彼女はそれらの詳細をただの人間が知るわけがないと、高をくくってしまった。
そんな心の隙に、あまりにも核心を突いた言葉が唐突に投げかけられる。
「――神罰なのです」