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Party Night 11
「結局……どういうことなのだろうか」
上質のソファにゆったりと身を沈め、ポセイドンは朗々たる声で問いかけた。それだけで、いくら高価であってもソファでしかないものがまるで玉座であるかのように見え、豪華ではあるが、だからこそ俗世の香りに満ちたゲストルームがたちまち神域の気配を帯びる。
「……私にも、よくは……」
釈然としない表情でポセイドンの向かいに腰掛けた女神の存在もまた、この部屋を特別な空間と成している一因だ。
そもそも今ここにはポセイドンと沙織の二人しかいない。互いの護衛はあくまで護衛である以上、ジュリアン・ソロに与えられたこのプライベートルームにまで入ってくる権限は非常時を除いてはない。しかもこの部屋には現在、簡単なものとはいえ結界が引いてある。ポセイドンのみならずアテナの神力も加わったものだ。つまり部屋は今、聖別されている。
それはすなわち外野からの一切の干渉を拒む二柱の意思の顕れ。――会話の内容ですら、忠実な戦士達からも秘匿しようというのだから、今の二人は神話の時代からの神そのものであると言ってもいい。
この稀なる環境下にある部屋はパーティ会場となったバルツァーの屋敷の一角にある。二柱の神がここまでするのは、屋敷の主に強い警戒感を抱いたからに他ならない。
原因は勿論、先程まで聞かされていた話の内容だ。
バルツァーはあれから、そう長い時間をかけずにひとしきり持論を展開した。後は特に聴衆からの意見を受け付けるでもなく、ただ一言残して去っていった。『まぁ、このような考え方をする者もいるのだと、お二方には是非知っておいていただきたかったのです』と。
「あれはつまり、彼がこだわっていた『神』と我々の間に、少なくとも何か関係があると踏んでいたということではないかと、私は思うのだが……アテナ、君はどう考える?」
鋭くはないものの真摯な視線に晒されて、沙織は難しい顔で俯いた。そのまま答えもせず、顔も上げない。ただ考え込んでいるだけなのかもしれないが、ポセイドンの目には少々気落ちした様子に映った。だがそこにさらに追い討ちをかけなければならない必要が彼にはある。胸が少しばかり痛んだがそれでも告げた。
「どちらかというと、私ではなく君の方が、彼の目当てだったのだろうとは思うが」
「……どういうことです?」
怪訝な面持ちで顔を上げた沙織に、ポセイドンは肩をすくめて見せる。
「以前、ニコラウスと話したことがあるんだ。――2年ほど前にグラード財団主催で開催された『銀河戦争(ギャラクシアンウオーズ)』についてね」
はっとしたように目を見開いた沙織は、そのままポセイドンをまじまじと見つめる。話の続きを待っていた。
「彼はあのイベントに、いまだに相当の興味を抱いているようだった。そしてその主催者・グラード財団総帥である、君にもね。今日ここに招待されている客ならばほとんどが知っているだろう公然の秘密――聖闘士の存在を、君は公にしてしまったのだから。――古くから、余程のことがない限り口に上らせることさえタブーとされていた秘密を、君はあのような形で大々的に広めてしまった。つまり君は聖域とかなり深いコネクションを持っていると、あのときに自ら宣伝してしまっていたんだ。――たとえ当時はそんなつもりではなかったのだとしてもね」
沙織は唇をかみ締めた。ポセイドンの指摘したことは、女神アテナとしての意識がはっきりとしてくるまでは、実は深く考えたことはなかったのだ。しかし女神として覚醒すればするほど、事を急ぐあまりにとんでもない愚行を犯してしまった己を悔いることとなった。たとえそれが恩人であり養祖父である城戸光政の遺志であったとしても、だ。
「つまり――もしかしたらポセイドン、あなたは彼に利用されていた可能性があるというのですね? ジュリアン・ソロと私との親交を知っていた彼に」
こぶしをきゅっと握り締めた沙織とは対照的に、ポセイドンは足を組んで背もたれに頭を預けて目を閉じた。リラックスしているようにも見えるが、声を聞けばそうではないことが窺い知れる。
「それだけが目的だったわけではなさそうだがね、これまでの言動から察するに。だが少なくとも私を通じて、聖闘士を擁する聖域と深く関わっていそうな君ともつながりを持とうとしていたようなのは確かではないかと思う。――ただ、その目的がわからない」
「目的?」
沙織は知らないうちに伏せてしまっていた目を上げた。ポセイドンもまた瞳を開き、シャンデリアが撒き散らす光の欠片に彩られた天井を見つめる。それはまるで暗示のようだ。ポセイドンは思う。――きらきらと弾ける光にばかり目が行くが、それは影があるからこその美なのだ。
「あれだけ『神』について滔々と語っておきながら、彼は聖闘士とも聖域とも口にしなかった。私にはそれが意外でね」
「まだ初対面に近いわけですし、そこまで性急に踏み込むのはやめておいただけでは?」
「そうとも取れる。しかし――やはり腑に落ちないんだ。そもそも今日、君も私も各々最高の戦士達を引き連れてきた理由を覚えているかい?」
「……テロの予告……でしたね」
怪訝そうに答える沙織に頷いて、ポセイドンは背凭れから身を起こす。今度は前屈み気味の姿勢を取った。沙織と目線を合わせる。
「そう。そして私は、予告自体は実は眉唾じゃないかと踏んでいる」
視線だけを沙織に据えたまま、口元だけでポセイドンは不敵な笑みを作る。
彼の真意を推し量ろうとした沙織の脳裏に、不意に夕暮れのテラスが浮かんだ。
「―― さんたちの見ていた、あの小島……?」
うまく言えない。だが何かある。一見関係がないかのような数々の事象が見えない糸で繋がっていたことを、ようやく沙織は悟った。
同時に、ポセイドンがここまで懇切丁寧に解説をしてくれている理由もわかってしまった。
「ポセイドン……あなたは……」
懼れているのかと。問いかけることは適わなかった。
「アテナ。君も憶えているのだろう?」
先を越された。沙織は改めて戦慄を覚える。今、彼女の目の前にいるのは、確かに海皇ポセイドンだったのだ。女神アテナの伯父にして、栄光あるオリュンポス十二神の一柱。その威厳は伊達ではない。弁明も説明も、沙織はなにひとつ行う隙を与えられなかった。
「――栄華の時代(とき)の終焉を。それをもたらした者を」
言葉の一つ一つが絶対的な重みを持つ。
「憶えているのなら、わかっているはずだ。――繰り返すわけにはいかないと」
それらはずしりと沙織の心にのしかかる。
勿論、わかっている。遥かな女神の遠い記憶。憶えている。あの時の想いは、確かに今に通じている。繰り返させてはならない。わかっている。言われなくてもそのつもりだと、はねのける自信はあるつもりだった。しかし改めて問いかけられて、それが空虚な思い込みではないと言い切れない自分がいることに気づいた。
そんな彼女を、海皇は容赦なく叱咤する。
「わかっているな? ――地上の守護を謳う女神よ」
かつて地上の覇を競った海皇からの呼びかけ。それは彼女に抗う力を与えた。
そうだ。決してあのときのようなことを繰り返させてはならない。
神話の時代は終わってしまった。だから次はもう、終わらせるわけにはいかない。
***
「本当にあの二人、ちゃんとコミュニケーション取れていたんだな……」
聞こえるか聞こえないかというくらい小さな声でのつぶやきだった。聞き取れたのは、部屋があまりにも静かだったからだ。
シュラは頭まで凭れさせていたソファから少しだけ首を起こした。目を開ける。見れば、アイオリアがガラス扉の続きにある窓から夜景を眺めていた。窓に軽く背を預け、腕を組んで顔だけ横を向いている。
あえて注視しないよう気を遣っているのは明らかだ。実際、シュラだってそうなのだ。わざわざソファに座り込んで目まで閉じてしまったくらいだ。
なぜだか外へ出て行ってしまった と、彼女を追っていったカノン。――どうしてだか、いつしか手を取り合ってダンスなど始めてしまった。
アイオリアを眺めれば、その視線の先にいる とカノンの姿も目に入る。じろじろ見ては失礼だろうと目を逸らしていたシュラだったが、いちど目に入ってしまえば視線はすっかり釘付けになってしまった。
何をやっているんだか、とは、あまり思わないのが我ながら不思議だった。そういった類の言葉を発しなかったところを見ると、アイオリアもそうは感じなかったのだろう。だが、言葉の意味はわからなかった。訊く。
「コミュニケーション? どういう意味だ?」
独り言に質問が来るとは思っていなかったのだろう。アイオリアは瞳を一瞬ぱちくりさせてシュラを見返す。すぐにまた窓の外に目を遣り、今度は普通の声で返答した。
「 は――それに、オレとしては以外だったんだがカノンも、あまり饒舌な方でもないだろう? まともに会話が成り立ってるのかと少し心配していたんだ」
言われてみれば確かに、シュラもそんな風に思っていなかったわけでもない。しかし目線の先の二人はごく自然に会話をしているようだし、それが不自然だとも感じられなかった。
「あれだけ一緒にいるんだ、そりゃあいい加減、気心も知れるだろうさ」
「ああ……さっきアフロディーテもそう言っていたのだが、この目で見るまではどうも信じられなくてな」
なんでここにアフロディーテが出てくるんだ。それこそ、あまり会話をする仲ではなかっただろうに。
それもシュラにはよくわからなかった。アフロディーテにしてもシュラにしても、過去を思えばアイオリアにとってはあまり話をしたい相手でもないだろう。
「アフロディーテが?」
だから、彼を信じられなかったのかと訊こうとしたのだが。
「ああ。前に、奴とそんな話をしたことがあったんだ。そうしたら今日、教えてくれた。出発前の打ち合わせの、その前のことだと思うんだが――」
大して言葉を交わさなくても互いに分かり合っているようなフシがあったり、口を開けば余人が入り込めない雰囲気になるわで少しばかりあてつけられたような気がしたよと、アフロディーテがアイオリアに語ったと言う。
シュラはかなり驚いた。話の内容もさることながら、この二人がそんな気軽な会話をするのかという、そのことに驚いた。
「似たもの同士で気が合ったんじゃないかな、なんてアフロディーテは分析していたんだが、確かにそんな感じかもしれないな……どうした、シュラ?」
オレはなんか変なことを言っただろうか。切れ長の鋭い目にポカンと見つめられているのに気がついて、アイオリアは気味悪げに尋ねる。
「……ああ、いや」
さっと目を逸らして、シュラはきまり悪そうに戸外を眺めなおした。
「カノンと はともかく、お前とアフロディーテが会話しているところというのもあまり想像がつかなくてな……」
「そうか?」
正直にそんなことを口にするシュラを、アイオリアはからりと笑い飛ばした。
「別に、普通に話しているだけだが? 昔はとっつきにくい奴だと思っていたんだが、話してみると意外と気さくでいい奴だな。昔はあまり顔を合わせる機会もなかったから知らなかった」
「……お前……」
言いたいことが沢山ありすぎて、言葉にならなかった。シュラは口ごもる。
かつてシュラはサガのことを知りながら黙りとおし、アイオリアにも辛い思いをさせてきた。しかも当初は真実を知らなかったとはいえ、彼の兄を直接手にかけたのも彼だ。そのシュラとも今、こうして何事もなかったような顔をして向き合っている。
またシュラほどでないにしても、アフロディーテもそういった立場にあった。それを「あまり顔を合わせる機会もなかった」で済ませ、何のわだかまりもないかのように振舞うアイオリアに、シュラは初めて畏敬の念を抱いた。
何も考えていないわけがない。何も思うところがないわけでは、絶対にないはずだ。あの13年もの間にはどこか鬱屈した風のアイオリアも見てきたし、どこか殺伐とした風情を漂わせていた頃だってあったのをシュラは知っている。
ならば、彼は何もかもを乗り越えたのだ。恐るべき胆力だ。年下とはいえ、見習うべき強さ。
シュラは笑った。こんなにも強い同僚と、共にいられることが嬉しかった。
「……大物だよ、お前は」
心の底からの賛辞を送る。
どう考えても唐突な言葉だったろう。アイオリアは目を白黒させた。なんともいえない顔だった。
それをまた笑って、シュラは夜の中で踊る二人に目を戻す。
「あいつらにも、色々あったんだろうな」
アイオリアもまた二人を眺めた。
「そうだな。気心が知れる程度には、いろいろあったんだろうな――ああ、確かにアフロディーテの言ったとおりだ。似たもの同士といわれれば、そんな気もする。どっちも、一見完璧そうに見えて、なにか足りない感じが似ているかもしれん」
最後にはぶつぶつと一人ごち、アイオリアはやがてにやりと笑った。
「――なかなか、いい組み合わせだ。そうは思わないか?」
「まったくだ」
シュラも笑い返してやった。
一人きりでは足りないものがあるから、人間はそれを補完できる相手を求める。例えば友人。一人では無理なら仲間。戦友だとか、信ずる神を持つのだっていい。恋人とか、人生の伴侶だって、結局は足りない何かを補うために必要なのだ。
そういった人の繋がり、心の繋がり。すべてを結びつける絆。――シュラにだって断ち切ることはできない唯一のもの。
そんなものを守るのも悪くない。見守るだけでもいいだろう。
大事にしよう。なにもかも。
シュラは思い、月光の下で踊る二人にも何らかの絆が生まれていることを願わずにはいられなかった。