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カノンが部屋から出て行ってしまうと、 もまた外へ出て行ってしまった。カノンとは反対に、外へだが。
先程カノンと踊ったデッキへと一人で出て床に座り込み、通信機能の死んでいるはずの端末をいじり続けている。時折、考え込むように夜空を見上げては、端末に目を戻したりするのを繰り返す。開いた端末を指先で何度も叩いては、ページ状のディスプレイをめくったり戻したり。まるっきり目の前のことしか頭にないのは一目瞭然だ。一見落ち着いているようだが、忙しないことこの上ない。
それに引き換えアイオリアとシュラはといえば後を頼まれたとはいえ、これでは何もすることがない。 を追って外へ出てはみたものの、いい加減手持ち無沙汰になったシュラがたまりかねて声をかけた。
「通信が出来ないのだろう? なのに何をしているんだ?」
背後から手元を覗き込まれて、ようやく は我に返ったように顔を上げた。シュラを見上げた瞳が翳っている。
「電波がどこまで届くのか、試しているんです。逆に辿れば妨害元がわかります」
「で、わかったのか?」
いえ、と小さくかぶりを振って、 はまた外へ目を向けた。つぶやく。
「01があれば、もっと迅速に割り出せるんですが……」
「今回はさすがに手ぶらだものな」
アイオリアも寄って来て、 の手にある端末を興味深げに眺めた。指を差して訊く。
「これ、なんなんだ?」
は困ったように笑って、ノート状のそれを閉じてしまった。
「すみません……オーバーテクノロジーのマシンだとしか」
しかしアイオリアは別段気を悪くした風もなかった。むしろ恐縮したように手を引っ込める。
「ああ、すまん。いわゆるトップシークレットというやつか」
「いえ、そう言うわけでもないんですが……」
言いにくそうに口ごもる の様子が、シュラにはどうしても解せない。常々思っていた疑問をようやく口に上らせる機会を得たと、そう思った。単刀直入に尋ねる。
「基本的に は、モビルスーツのことにしても他の事にしても、どう考えても任務外だろうと思うようなことでもあまり口外しないな。それはどうしてなのか、聞いてもいいか?」
詰問しているわけではないのはわかるが、真っ直ぐに向けられた眼差しはあまりにも真剣だった。 は思わず居住まいを正す。これ以上訊かれないようにする為には、答えないわけにはいかない。前にもこんな場面があったような気がする。あのときは、どう答えたのだったか。
が記憶を探り出す前に、アイオリアが助け舟を出した。
「そういえば結構前に、そんな話をしたことがあったっけな。……確か は、あのときこう言った――知恵の実を口にしてしまった人間は、神の怒りに触れて楽園(エデン)を追い出された、と」
そうだった。 は思い出す。場所柄どうかと思いつつ、旧約聖書に例えたのだった。そうしたらカノンが、うまくギリシャ神話に例えなおしてくれた。
「……そうです。人間に火を与えてしまったプロメテウスは、確かゼウスから罰を与えられたんですよね」
シュラは腕を組んだ。少し考えながら、例え話を噛み砕く。
「つまりお前は、人間に『火』を与えたくないと、そういうことか」
「多分、そういうことなんだと思います」
少しばかり違うような感じがする。首をかしげながら、 はそれでも肯定した。しかしシュラは片眉を上げる。納得できなかったらしい。
「随分はっきりしないな」
暗に明確な返答を要求されて、 は少し考える。手元の端末を見つめた。
「――自分で『火』を見つけるのは、構わないと思うんです。むしろそれは人間として正しいことでしょう。でもただ『与えられる』のは、いけないような気がするんです」
言いながら、あまりに抽象的に過ぎることは自覚していた。シュラを見上げれば、案の定、黙って を見据えたままだ。
「……過ぎた力は毒にしかならない、だったか」
アイオリアが言って、シュラの視線がようやく から離れた。今度はアイオリアが を見つめる。
「つまり『火』というのが過ぎた力で、それがイコール『知恵の実』ってことだろう?」
はい、と頷く の手元にシュラは目を遣る。
「要するにその『知恵の実』というのが、さっきお前の言っていたオーバーテクノロジーというやつか」
「そうです」
は端末をもう一度開く。開閉で電源がオンオフする仕組みだ。開いたそれは淡く発光し、素早く起動する。ものの数秒ですぐに使用できる状態になった。
「この程度でも、今のこの世界では驚異的な技術ではないでしょうか。ディスプレイの仕組みやOS、内部に使用されている様々な部品……どれをとっても、ひとつでも解析できれば巨万の富を手に入れられると思います」
せっかく起動した端末をすぐにパタンと閉じて、 は二人を交互に見つめた。
「それだけなら、まだいいでしょう。でも――考えてみてください。例えば、もし私のモビルスーツが奪取され、解析され、万が一にも量産されてしまったとしたら?」
シュラの顔がいっそう険しさを増し、アイオリアがきつく眉をしかめた。
「それだけではありません。私にとっては当たり前すぎて脅威と思えないようなものでも、人によってはそこから驚くような着想を得てしまう可能性だってあります。私は、そんな火種はまきたくない――だって私は、プリベンターの一員なんですから」
どこか誇らしげにも聞える最後の一言に、アイオリアとシュラは揃って首を傾げた。そんな二人に、 は教える。
「preventor――『火消し』です。私の所属機関の通称なんです」
「――でも、君自身は大きな篝火だ。どんなに隠れても、その輝きを隠せない。やがて飛び散った火の粉から大火も上がる」
唐突に暗闇の向こうから声がした。
シュラとアイオリアがさっと の前へ出る。身構えた。
「何者だ」
抑えた声音でアイオリアが誰何する。決して油断していたつもりはないのだが、声がかかるまで気付かなかった。――何と言う失態だ。
すぐにでも聖剣を振り下ろせるよう突き出されたシュラの手の先は、館の中心部から続く庭の木々へと向けられている。黒々とした木々の陰から出てくる人影をシュラは注視した。わずかでも不審な動きがあれば、当然斬るつもりだった。
「すごい警戒だね。殺気だけで殺されそうだ」
内容の割には呑気さすら感じさせる声とともに現れたのは、線の細い若い男だった。
月灯りに照らされてしまえば、薄い色の金髪のせいでいっそ弱々しげにすら見える。長めの前髪の間からのぞく水色の瞳も優しげで、黄金聖闘士が二人がかりで相対しなければならないような人物には到底思えない。
しかし彼はこんなに肉薄するまで、黄金聖闘士にも気配を悟らせなかったのだ。警戒を解いていい人物であるはずがなかった。
「何者だと聞いている」
重ねてシュラが問いただした。殺気がどうのと言いながら、手刀の先に何の恐れもなく歩み寄ってくる。見た目をまるっきり裏切った豪胆さだ。
緊張が高まる中、アイオリアとシュラは不意に後ろの気配がこわばるのを感じた。衣擦れの音がする。座り込んでいた が立ち上がる。
二人の間を呆然としたように歩み出ようとするのを、アイオリアが止める。そのことにも気付かぬように、 は眼前の男を凝視していた。ゆっくりと、唇が動く。
「……アルバー……」
シュラの手刀の手前、ほんの数十cmのところで歩みを止めた男――アルバーは、はんなりと微笑した。
「久しぶりだね、 」
聞いた途端、アイオリアとシュラが弾かれたように を顧みた。
「 ……!?」
「知っているのか!?」
は答えない。無視したわけでは、決してない。ただ驚愕していた。
短くはない沈黙が場を支配する。誰も言葉を発しない。緊張も解けない。
やがてゆっくりと、 は何もかもを諒解した。
一度瞳を閉じて、開く。振り切ったのは涙か。それとも感傷か。
もう一度呼びかけた。
「アルバー」
名を呼ばれた彼も、もう一度微笑を返す。
それはとても嬉しげで――寂しげだと、その男へ聖剣の切っ先を向けたままのシュラは思った。