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ようやく事態の輪郭がおぼろげながら見えてきて、カノンは焦っていた。
このままではいけない。そう思うのに、何をしたらいいのかわからない。何ができるのか、わからない。見えているのにつかめない。漠然とした不安だけが確実に彼の手にあって、あまりの重さに投げ出したくなるのにその方法さえもわからない。
出てきたはいいが、どこへ向かえばいいのだろう。足はついに止まってしまった。
部屋へ戻っても はいないのだ。例の小島へ向かってもいいが、侵入はできても闇雲に進むだけでは を見つけることはできないだろう。
鍵は だ。
話を総合する限り、 というピースが揃ってはいけないのだ。それだけで事象の意義が減衰するはずだ。防げはしなくても、犠牲は減らなくても、その意味は大きい。
そのためには彼女を見つけ、連れ出さなくてはならない。
カノンにしてみればそれが唯一最良の方策だとしか思えないのに、 は恐らく自分では逃げ出すことなど思いつきもしないのだろう。
勿論カノンは の内心を知っているわけではない。もう半年以上は共に行動しているから、そう察することができるだけだ。分析だってできる。
カノンが知る限り、 は頑固で意固地な完璧主義者だ。基本的に視野は広いのに、こと自分については極端に狭くなる。自分という存在を軽んじたいからだ。それなのに欲張りで、だからしばしば始末に負えない。
そしてどこまでも貪欲に完璧を求める は――カノンが思うに――止めるつもりなのだ。なにもかもを。確実に進行している事態を止めて、悲劇が起こる前に未然に食い止めようとしている。
そのためには当然、自分を省みたりはしないはずなのだ。そうすることで、何もかもを止めさせることができると、恐らく は信じている。それはもう、かたくなに。
――ピースクラフトの名を突きつけられてしまった以上は、なおのこと。
それは間違いだと、カノンは に言いたい。完璧な方法など、ありはしないのだと。
そんな方法では、何も守れないし防げはしない。世界というやつは、そんなに取っ付きやすいものではない。少なくともカノンはそう学んでいる。意外と脆く不安定なわりには、簡単にそのかたちを変えるほど柔でもない。たった一人の人間の存在が途轍もなく大きく感じられても、終わってみると要因のひとつでしかなかったのだと思い知らされるだけだ。
カノンが経験したことからも、 の知識を鑑みても、それは普遍的な真実で、世界の差異は関係ない。
そういったことを、 はわかっていないのだ。それを教えたい。伝えたい。――そうしなければならない。
だからカノンは を探す。
檻に囚われている者がいくら内から叩いてみても、外殻を壊すことなどできはしない。いくら外が眩しく見えようが、算出されるだけの未来に目を奪われるなと、警告する為に。
――時には諦めることも、必要なのだと。
再び歩みだす。あのきらびやかだったホールへと向かった。
間に合えばいいがとカノンは思い、無理そうだから焦っているのだと自覚した。
***
カノンが去ってしまった後の部屋はどことなく空虚だった。たとえ神々とその戦士達が類を見ないほどの頭数を揃えてしまっていてもだ。
今、何かが起こっている。起ころうとしている。だがそれに直接関わることのできる者が、この場にいない。事態への接点がない、傍観者の立場。流されることしかできない。そういった無力感がそのように感じさせる要因であろうことは、誰もが理解していた。
たっぷりと一分は経ってからだろうか。ぽかんとやり取りを聞いているだけだった海将軍達がようやく動き始めた。その様はまるでなにかの呪縛が解けたかのようだ。
「……なんだったんだ? どういうことだ?」
先陣切ってつぶやいたのは、バイアンだった。アルバーの姿を解いたカーサが主をちらちらと伺う。遠慮がちに口を開いた。
「ポセイドン様……これは、一体……」
沈黙を保ったままのクリシュナもポセイドンの答えを待っている。
聖闘士達に、いやそれよりも女神アテナに、本当は問いただしたい。現在、カノンが属しているのは聖域なのだ。だが――だからこそ、さすがにそれは憚られた。
無言の期待に堪えかねたのか、ポセイドンは肩をひとつすくめてアテナに向き直る。
「アテナ。あなたのの連れてきた に関しては、なんとなくわかった。だが、問題はカノンだ。彼は神々(私達)ですら察知し得ないことに随分精通しているようだ。――それがなぜかと聞くことが内部干渉に該当すると、あなたは考えるだろうか?」
譲歩を感じさせる物言いをするのは、先の聖戦において海皇は敗者であったからだ。和平協定を結んでいるとはいえ、無視できない事実。決してアテナが驕っているとは思わないが、それでもそれが敗者たる態度だ。逆にこの姿勢を保っていればこそ、本来なら躊躇われるようなことも口にできるというものだ。
果たしてアテナはそれほどに傲慢な姪ではなかった。ゆるゆると頭を振る。
「いいえ。少なくともポセイドン、あなたには早いうちにお話しなければと思っていました。事態の推移次第では、他の神々にも説明をしておく必要があるでしょう」
「私には、ね。優遇してもらっているようだが、それはどうして?」
少なくはない揶揄が含まれていた。まだなにか、自分ではわからない明確ではない部分があるのだ。アテナは察した。毅然とポセイドンと向かい合う。わかってもらいたかった。同じく旧い記憶を持つ、今は敵ではない神には。
「彼等が起こせる変化は、大きいとはいえ、この地上のみへの影響でしょう。昔とは違います。万が一――あの時と同じようなことになったとしても、もはや神々には関係のない話。違いますか?」
見上げるアテナから、ポセイドンは肩をすくめて目を逸らした。
「違わないね。むしろ、喜ぶ者とているだろう。自らの手を汚さずに、手っ取り早く粛清されるかもしれないわけだからね」
皮肉な物言いは、つまり。
「でもあなたは、もうそれを望んではいない。そうでしょう?」
口を噤んだのがいい証拠だ。ポセイドンはもはや彼女の敵たり得ない。
「ならば、無駄に心を痛める前に、お知らせしておかなくてはと思っていました」
だがポセイドンにはまだ問いただしたい部分があるようだった。いくら知恵をもつかさどる神でも、わからないことなどたくさんある。
「まあそれはいい。それよりも、質問に答えていないよ、アテナ。なぜカノンがあれほど『あちら』と関わっている? 先程私は粛清と言ったのだ。よもや聞き漏らしてはいないだろうね」
厳しい言葉。冷や水を浴びせられたような心地だ。
「まさか、まだカノンをお疑いなのですか? 彼が、それを望んでいると」
「あれの想いは相当なものだった。その一念によって君の封印を解かれた私が保証する。むしろ信じられないのは現状だよ。もう少し骨のある男かと思っていたのだがね」
褒めているのか警戒しているのかまるでわからない。だからこそポセイドンはこだわるのだと、やっとわかった。
笑んで見せる。力強く。
「彼にはまだ、あなたにそう思わせる要素が残っているのですね。――でも、ポセイドン。このままカノンに任せてうまくいけば、あなたのその疑念をも払拭する結果になると私は考えているのです」
真っ直ぐにポセイドンを見つめた。
「彼が世界を拒絶した理由が、少なくともひとつくらいは解消するかもしれませんよ」
心の中までで見透かすようにじっくりと瞳を見つめられて、ポセイドンは苦笑する。両手を挙げた。
「降参だ、アテナ。そこまで言質が取れれば、充分だ。そこまであなたに信用されているカノンが肩入れしているくらいだ。あの という人間は、今のところ本当に我らを害するものではないらしい。……その確証が欲しかった」
カノンが去って行った扉に目をやり、ポセイドンはどこか愉しそうに言い放つ。
「そうでなくては、カノンに無償で情報提供してやった意味がない。どうやら私は利用されたとのことだし、その借りは返してもらっても構わないだろう? 今、私を謀る者に、かつて私を唆した者をぶつける。我ながら合理的な意趣返しだと思うよ。どうだい、アテナ。面白い趣向だろう?」
「……少々、悪趣味ですが。合理的と言う点は認めましょう」
ふうと溜息をついて、アテナは肩の力を抜いた。ふと変化のない映像を映し続けているTVが目に入る。音もなく、静かだった。――今はまだ。
「今、私達にできることはないのでしょうね……」
ブリュッセルで何かが起こることだけはわかっているが、現状では対応のしようはない。ポセイドンもその意見に賛同する。
「ことが起これば、できることもあるだろうが。様子を見るしかないだろうね。つまり、もう少し詳しく話を聞く時間があるということだ」
もったいぶった言い方にアテナは苦笑する。自ら身を引いて、先程出てきたばかりの部屋へと向かう。
「では、事の始めからご説明いたしましょう、ポセイドン」
立ち尽くす戦士達にも声をかけた。
「あなた達も、しばらくは寛いでいると良いでしょう。海将軍の皆さんとも交流できる、良い機会ですよ」
女神の言葉に、聖闘士達はあからさまにうろたえた。一体どう交流しろというのか。
対する海闘士達も釘を刺されていた。
「聞きたいことがあるのなら、彼らに聞いたほうがお前達も聞きやすいだろう。それと、何を話そうが好きにするといい。当分の間、共闘することになるのだろうからな」
ポセイドンにまでそう言われてしまえば、戦士達は膝を詰めて話し合う他に選択肢がない。
「まあ……なんだ。とりあえず自己紹介と情報交換からいこうか。俺は――」
人生のほとんどを普通の人間として過ごしてきた海将軍の方が順応性が高かった。
こうして前代未聞の豪華な座談会が厳戒態勢の中、平和的に行われることとなった。