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Side-S:12章 Las Fallas 05


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 すっかり人気のなくなったホールを横切り、カノンはスタッフルームへと向かった。
 通り過ぎた会場は全く片づけがされていない。当然だ。それどころではないのだろうから。
 厨房らしきところを過ぎれば、それまで過剰といえるほどに装飾的だった室内が急に無機質な壁ばかりになる。さらに進めばロッカールームだろうか、細長い箱がひたすら壁を占拠する狭い部屋が続く。
 そのうちのひとつでカノンは足を止めた。人の気配がする。
 いかにも無防備にカノンはドアを開け放つ。その手には銃も何もない。人が見れば奇異だろうが、カノンは聖闘士だ。どんな防弾服よりも確かで、どんな銃よりも己を守れる術を身につけている。
 堂々と押し入った侵入者は、しかし大した驚きをもって迎えられはしなかった。
「やっぱりおいでになりましたね、隊長」
 整えられたひげはやはりカノンが覚えているよりも小奇麗ではあったが、その身なりは記憶と寸分違わなかった。迷彩柄ではないものの、くすんだ砂色の戦闘服は先程見たお仕着せのボーイ姿よりはよほど似合っている。
 カノンは全く悪びれることはなく、彼に声をかける。
「どんな仕事を紹介してくれるんだ? バースィル」
 かつての部下は、いかにも面白そうににやりと笑った。


 かなり地下深くまで潜ったことはわかった。
 何度も違うエレベーターに乗り換えさせられ、そのたびに軽い浮遊感に見舞われた。
「後は歩いてもらいます」
 その言葉を最後に、しばらく歩かせられた。体感時間で10分程度だろうか。もしかしたらもっと短かったかもしれない。だが目隠しをされていたので本当のところはわからなかった。
 歩みを止めるよう指示されて、そこが目的地かと思ったらまたエレベーターに乗せられた。今度はわずかに体が重くなる。上昇しているのだと、それで知れた。
「せっかく来てくださったのに、こんな扱いですみませんね。なにしろ非常時なもので」
 バースィルは何度かそう口にした。本当にそう思っているのか、それともカノンを警戒しているのか。口調から推し量ることはできなかった。
 だからカノンは自ら水を向ける。
「非常時とは、先程のブリュッセルがどうのと言うことだろう? 何が始まるんだ?」
 エレベーターが停止し、外へと出たところだった。声が反響する。広い空間にいるらしい。カノンは普段瞳を閉ざしている同僚をふと思い出す。彼の行動にようやく得心がいった。成る程、これは随分感覚が研ぎ澄まされる。
 だからバースィルが不意に距離をとったのを感じることができた。
「放送で言っていたでしょう? 炎のイリュージョンですよ」
 五感が冴え渡る。空間と遮蔽物。人間の息遣い。わずかな緊張。動く空気。――把握した。
 たたらを踏む複数の足音を、カノンは空中で聞いた。後ろ手の戒めを難なく破壊する。目隠しも破り取る。
 バースィルを中心に、八方から走り出てきた男達が銃を手に周囲を見回していた。標的が消えて、さぞや驚いたことだろう。
 重力に従って落下する。床に足が着く前に、一人の頭に蹴りを入れ、一人の脳天に拳を叩き込んだ。降り立った後は一人ひとり潰すような丁寧な真似はしない。それでもカノンの聖闘士としての技を繰り出すまでもなく、音速程度で突き出した拳とそのインパルスによってバースィル以外の全員が一度に倒れた。
「……どういうマジックです?」
 額に掌を押し当てられ、バースィルが呻く。この状況を目の当たりにして、まだまともに喋れるのだから大したものだ。
「イリュージョンさ。お前らにとってはな」
 バースィルの頭を鷲掴みにするような格好を崩さず、カノンは長身をかがめる。屈辱と、わずかに怯えを滲ませている目を覗き込んだ。至近距離から睨みつけられて、わずかにバースィルの顔から血の気が引く。
「昔のよしみだ。一応聞いてやる。ブリュッセルにモビルスーツ部隊を送り込んで、陥落する計画だな? だがあんなところ、落としても大した意味はない。狙いは何だ?」
 バースィルは目を見開いた。
「なぜ――それを!」
「俺が誰の護衛をしていたか、知っているのにそれを聞くのか?」
「……なんのことです?」
 嘘を言っているようにはとても見えなかった。カノンは眉を顰める。では、こいつは知らないのか。
「わからないならそれでいい。ではなぜ、俺を襲った?」
「……城戸の護衛は興味深いから、機会があれば生きて捕らえろと……」
 随分と命知らずな命令があったものだ。カノンは今や自らの手の内にその生死を握っているにもかかわらず、かつての部下に憐憫の情を覚えずにはいられない。
「それはどこから言われた? バルツァーか?」
 答えはなかった。ただ、ぎりりと睨みつける目が肯定を示している。
「城戸沙織の護衛に興味を示すとは、目の付け所は良かったがやり方は最悪だったな。相手の内情をろくに調べもせずに突撃をかけるとは。お前、焼きが回ったのではないか」
「反対意見もありましたが、命令は撤回されなかった。命令には粛々と従う。それが俺の仕事です」
 ふんとカノンは鼻で嗤った。大層な職業意識だ。部下だった頃は、だから重宝した。敵に回るとやりにくい。
「反対したのは、アルバーとかいう奴か。アルバー・ウィナー」
 アイオリアとシュラを聖闘士だと見抜いたという話だった。そもそも変わった男だと、 の知識が告げている。だからそう聞いたのだが。
「ウィナー? アルバーなんて同志は一人しかいませんよ。それならカタロニア、ですが……」
 もはや黙っていても意味はないと悟ったのだろう。バースィルの口が若干軽くなった。
「……そちらを名乗るとは、そういうつもりなわけだ――なるほどな」
 独りごち、暗い笑みを浮かべたカノンにバースィルは尋ねる。
「隊長、一体あなたは、何者なんです? ――うっ」
 鈍い音がして、バースィルの片手が動かなくなった。カノンが骨を砕いたのだ。
「やっぱり焼きが回っているようだな。明らかに適わない相手に向かって、こんな見え見えの手を使うとは」
 カノンの左手は変わらずバースィルの頭をつかみ、右手には数瞬前までバースィルの背後に潜んでいた銃が握られている。
「両手ともやられたくないなら、これ以上バカな真似はするな。俺だって知り合いに無体をしたいわけじゃない。……ああ」
 カノンはにやりと笑った。
「俺が何者かと聞いていたな。教えてやろう。俺は聖闘士だ。聞いたことはあるだろう?」
 バースィルの表情が固まった。目は見開かれたまま、カノンをじっと凝視する。向けられる視線に含まれるのは驚きか、恐怖か。――もしかしたら、羨望であったのかもしれない。
「素手で空を裂き、地を割るっていう、あれだ。ちなみにそいつは過小評価だな。聖闘士にはもっと多彩な力がある。それから――」
 つかみっぱなしだった頭を解放してやった。知りたいことはあらかた聞いた。もう反撃の意思はないだろうとも思うし、歯向かわれたとしても、カノンには何の痛痒も与えないのはわかりきっている。
「今の俺は、 ・ユイ・ピースクラフトの特定協力者だ」
「ピースクラフト……!?」
 身を引き、折られた片腕を庇いながらバースィルは叫んだ。
「ならばなぜ、邪魔をするんです! ピースクラフトの理想を、あなたは知っているのでしょう!?」
 先程、カノンと共にいる『城戸沙綾』を見ているくせにそれが誰だか見抜いてはいなかったバースィルが、ピースクラフトの名だけは知っている。それは畢竟、その名に象徴されるものが彼らにとっては重大な旗印であることを意味していた。勿論それは、良いように解釈された上辺だけの思想であることは疑いようがない。
「どんな詭弁を聞かされているのかは知らんが、少なくともあいつはお前達が目指しているようなことを望んではいないはずだ」
「あいつ……ですか。随分、親しいような口ぶりですね。もしかして、本当に骨抜きにされていたんじゃあ……ないでしょうね……でもプリベンターに潜りこめるくらいなら、そんなこともないのかな……」
 相当痛むのだろう。額には脂汗が浮き、口調にも覇気がなくなってきた。最後の言葉などほとんどうわごとだ。
 下ろした左手をもう一度かかげ、カノンはバースィルと相対する。
「アルバーとやらはどこにいる?」
 単刀直入に聞いた。答えが得られない場合、カノンには幻朧魔皇拳がある。いつでも技を放てるよう、小宇宙を高めた。
「……奥へ進むと、さらに地下へ向かうエレベーターがあります。最下層のaブロック、格納庫eの№1。多分、そこに――」
 嘘かもしれないとは、不思議と思わなかった。
「隊長……自分は本当に、もう一度隊長と組んで仕事がしたかったんですよ……」
 最後にこんなことを言われたからかもしれない。
 床に倒れたバースィルを、カノンは振り返らなかった。棲む世界が違うのだ。もう、二度と会うことはないだろう。
 ただ一言、答えておいた。
「お前は、いい部下だったよ」

 ***

 教えられたとおり、奥の突き当たりにエレベーターがあった。無骨な鋼の色もそのままで、いかにも軍事用といった風情だ。
 2基とも最上階であるこの階には停止していない。表示を見る限り、階はここより下に5層ある。それぞれアルファベットで区分され、カノンの今いるここはfとなっている。最下層は教えられたとおり、aと表示されている。
 エレベーターを使うのはさすがに躊躇われた。見ている者がいればだが、カノンの動きが筒抜けになってしまう。非常階段もあるのだろうが、わざわざ探すのも手間だった。カノンは最下層aで停止している方の扉をこじ開ける。頑丈なワイヤーと電線が暗闇の中、遙か下へと伸びている。地下深くからとは思えないほど乾燥した冷たい風が上がってきて、カノンの髪を揺らした。完璧な空調管理がされている。
 足を踏み入れようとした、そのときだった。
 ビープ音のような無機質な警報が鳴り響いた。5回ほど鳴ると唐突に終わる。次に起こったのは振動だ。カノンのいる位置からは離れた場所だろうが、確かな衝撃が足に伝わってきた。
 続いて断続的な金属質の衝撃音。数え切れないほど続いた。『イリュージョン』が始まってしまったことをカノンは悟る。
 人工の奈落への入り口へと足をかけ、カノンはもう一度下を覗き込む。
 迷わず、その身を躍らせた。

 ***

 闇の静寂を切り裂くように、耳障りな電子音が鳴り響く。
 間を置かずに、対岸にある小島が真昼のように明るくなった。同時に各部屋備え付けのTV画面にその映像が映し出される。
 まるで歌劇か歌舞伎の一幕のようだった。舞台装置が稼働し、瞬く間に場面が変わる。
 広大な庭と見えた部分が緑のヴェールを剥ぎ取られ、徐々に滑走路の様相と呈していく。そこへ胴体のやたらと太い飛行機が地面からせり上がってきた。斜め上方に機首を向け、すでにエンジンは点火されている。
 地上から離れられるのだろうかと疑いたくなるような巨体は、青白い炎と轟音に後押しされて宙へとその翼を舞わせた。いかにも重そうな機体だったが、動き始めれば早い。通常の飛行場の滑走路に比べても格段に短い距離で空へと駆け上がった。空母から飛び立つ艦載機にも似ているが、大きさがまるで違う。素人目にも既存の飛行機との技術差が明らかだ。
 やがて夜がその姿を隠しはしても、それらの軌跡は明確だった。重力の呪縛に打ち勝つための轟音が夜闇の向こうへと消えていく。
 一機が飛び立つと、また新たな一機が現れる。いったいどれほどの戦力を、あの島は隠していたというのか。
「始まったようだ」
 背を預けていたソファからゆったりと身を起こし、ポセイドンは窓の外を見遣る。向かいに座っていたアテナは立ち上がり、窓辺へと身を寄せた。
「そのようです」
 しばし禍々しい炎を見つめ、やがてゆっくりとうつむいて首を振る。
「不安かい?」
 ポセイドンの問いに、アテナはもう一度首を振って見せた。
「いいえ。ただ――」
「ただ?」
「あれを止めようとするのは、ずいぶんと骨が折れそうだと思ったのです。彼女はそれでも、きっと――」
 途中で口を噤み、アテナは禍々しい炎を見上げる。
「心配なんだね?」
 ポセイドンも立ち上がり、アテナの隣に立った。すぐ隣から聞こえてきた声に、アテナは夜空から視線を外す。静かな目を見つめた。
「つらいのです。彼女はきっと、つらい思いをする。そのことが、私もつらい」
「なぜそこまであの人間に肩入れするのか――私にはわからないよ、アテナ」
 声にはいたわりの色が強かった。それを感じて、アテナはこれまで誰にも打ち明けていなかった秘密を、ついに漏らす決意をした。
「……彼女が今、ここに在るのは、私のせいだからです。きっと彼女も、それを知っています。勿論、間違ったことをしたとはちっとも思っていません。でも……彼女はどう思っているのか……」
 ついに両手で顔を覆ってしまった姪を、ポセイドンは痛ましい思いで見つめる。彼が聞きたかったのは、そういうことではないのだ。なぜそんなにつらい思いをするほど人間に関わるのかと、そう問いたかった。神である彼らと人間とでは、所詮種が違うのだ。その存在のありようがそもそも違う。なのにそのように関わるから、いらぬ感傷にとらわれる。
 常々そう思ってきた。だがそうせずにはいられないこともまた、今のポセイドンには理解できる。
「――不憫なことだ」
 だから、そう声をかけることしかできなかった。
 また響いてきた轟音にかき消され、言葉がアテナの耳に届いたのかどうかはわからなかった。

Las Fallas 05 END



言い訳&補足です。
11章で出てきたオリキャラをまた出してしまいました。
というか、一応伏線だったんです。案内役が必要だろうと思いまして。
それから乱闘シーンを自分なりにちょっと頑張ってみました。
むしろ対一般人のほうがやりにくいかも、です。
なんでいっぱんじん、すぐしんでしまうん?てな感じです。
ちなみに火/垂/る/の/墓は個人的には超一級のトラウマアニメに分類されてます(←誰も聞いてない)
それからオリキャラさんの説明していた、ここの構造について。
いつものことですがつたない文章だけではわかりにくいはずなので、簡単な図など描いてみました。


↓断面図



↓平面図


簡単ですね(笑)
一応、こんなイメージ図を描いて、それを見ながら文章を書きました。
よろしければご参考まで。

2010/02/08


※誤字脱字等のご連絡、その他ご用の際はお手数ですが拍手コメントか右のメッセージフォームからお願い致します。