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「文面を見る限り、こちらが知らせるまでもなく冥界側では既に異変を察知していたということか……」
アテナから手渡された回答書に目を通し、サガは苦々しげに漏らした。
「しかも最近、罪多き死者の数が増え対応に追われていたところに、ますますその数が増えることが見込まれる上は戦力の供出はできかねる――とはな。うまく逃げたものだ」
「彼らの領土はあくまで冥界。その冥界でやるべき事が山積している以上、現世に手を出す方がそれこそ協定違反というものですよ、サガ。……実際、大変なようですし」
険しい表情のサガをアテナは諭す。事前にハーデスと直接対話をした彼女は、そのときの冥王の苦々しげな様子が演技でなかったことを知っている。
「罪状の調べられない死者が少なからず存在し、処遇に手間取っているようです。――異世界の死者では、いかに冥王とてそう簡単に対処できるものではないのだそうです。元々こちらの魂ではないのですから、ハーデスの治める冥界で何とかしようとすれば、それなりの手続きが必要なのだとか。……例えて言えば、国籍のない者を自国の死者として扱おうとするならば、まず国民として登録するところから始めなければならない、と言ったところでしょうか。そうでなければ、冥界では扱いようがないのだそうです。既に存在する以上、面倒だからと追い出すわけにもいかない。間違いなく、適正な処理をする事が冥界の本分。そちらを確実にやってもらわなければ、地上は本来存在し得ない者が彷徨い出て混乱してしまうでしょう。そうならないようにしてくれることこそが最上の力添えというもの……。むしろ異変を感じてから今まで、それほど煩雑な業務をこなしながらこちらになにも苦情を寄せなかったのも、おそらくは自らの役割をわきまえ、そして地上の守護を掲げる私の立場を案じてのこと。聖域は彼らに感謝こそすれ、文句を言える立場ではないのですよ」
女神による強い調子のフォローがあっては、サガもそれ以上なにも言えなかった。こほんと一つ咳払いをしてから、既に開封されているもう一通の書状を手に取る。
「……海界。こちらは意外なほどあっさりと協力を快く受け入れてくれましたね。かえって気味が悪いような気も致しますが」
「パーティの時の海皇の様子では、海界でも既に異変を察知していたようだったからな。あの会場にしても海底神殿への地上口に近い。それで調べていたらしい。別に叛意があったわけではなかろう。実際、あの規模の基地を近くに作られていたんだ。むしろその程度では正当防衛にもならん」
弟から擁護要素の強い追加情報を今になって聞かされて、サガは更に眉を寄せる。同じく法衣を纏ったシオンが涼しげな貌を崩さないのとは対照的だった。
「そう勘ぐるな、サガ。……気持ちはわからんでもないがな」
シオンにまで取りなされて、ついにサガは不承不承といった様子で口を噤んだ。その様子をかすかに笑い、シオンはふてぶてしく告げる。
「知っていたというのであれば、やはり正式に話を通して正解だったということだ。これで勝手に行動を起こしていたら、こちらが協定違反の誹りを受けるところだった。しかも知っていたのならば話が早い。むしろ助かるというもの」
あっけらかんと言ってのけた教皇に、アテナは苦笑を隠さない。
「シオン。あなたも、このような回答が来ることを想定していたようですね?」
「御意。これまでの の活動によって既に人死にが出ております。死者達に裁きを下す冥界なれば、地上で異変が起きていることなどそれで知れましょう。そもそも疑問に思っておりました。 の世界のものがこちらで死んだ場合、彼らはどこへ逝くのかと。答えが知れて、かえってすっきりいたしましたぞ」
それから、とシオンは続ける。
「海界は地上に何かあれば最も影響を受けやすい。よって、場合によっては聖域が動かずともなにか行動を起こす可能性も考えておりました。実際、海闘士達が動いているという情報もないわけではございませんでした」
「そうだったのですか?」
初耳だった。アテナは少しばかり驚いたが、これまでシオンが口を噤んでいたのならばそれは問題のあるような動きではなかったのだろうと安心している。それよりも、間諜を放っていた事実の方がより女神を驚かせた。ぬかりはないということか。
「では、今後の計画も既にある程度考えがあるのでしょうか」
「御意にございます、アテナ。もっとも――」
シオンはちらりと を見る。
「詳細については、もたらされる情報次第ではありますが」
「それは勿論、用意して参りました」
部屋の明かりを少し落とすように要請してから、 は持ってきた3Dプロジェクターをオンにする。卓の上に置かれたそれは淡い光ながらもくっきりとした映像を空中に投影させる。
「地球……」
シオンは浮かび上がった青い惑星の姿に目を細めた。この美しさ。この雑多なものを詰め込んでなお青い色彩。それらは到底言葉では言い表せないほどに深い感動をシオンにもたらす。
現代でこそこんな姿を目にする機会は多々あるが、かつては己の立つこの大地がこのような姿をしているなどとは全く知らなかった。自分がどんなものを守っているのか、その全容を知らなかった。これを初めて目にしたときの気持ちは、どう表現したらいいのだろう。
誇り? 自慢――安堵。満足……どれも当てはまるような気がするし、どれもが微妙にずれているようにも思える。なんにせよ、一言で表現できる言葉をシオンは持たない。それほど、この惑星は複雑なもので満ち満ちている。
それを悠久の昔から彼らは守ってきた。その事実を思うだけで、シオンは何とも言えない気持ちになる。――この感慨は、恐らくこの場にいる若人にはまだ理解できないだろう。
しかし美しいはずの惑星には、穿たれたような赤い痕が点在している。痛々しかった。他にも様々な色の光点が大なり小なりいくつも張り付いていた。
の白い指が、そのいくつかを指し示す。
「この光点は現時点で判明している敵拠点とおぼしき箇所です。大きさと色で推定される規模のランク付けをしてありますが、実際のところ、正確さにおいては確実性に欠けます。ですが赤で示されている場所だけは間違いなく大拠点です。いくつかありますが、その中でも最重要目標はここです」
一番強く表示されている光点を指し示し、 は静かに断言した。
「これを完全に破壊すれば、恐らく当面の脅威は回避できるはずです」
手元のプロジェクターを軽く指先で叩いて操作すると、赤い光点の上に衛星写真とおぼしき映像が拡大投影された。
「これは軍事衛星から入手した映像です。解像度が低くてわかりにくいですが、それでもかなり大がかりな施設が既に完成していることがわかります。そのことからここが、敵組織のこちらの地球における本拠地ではないかと推測します」
「本拠地……か。その大がかりな施設、とはなんだ?」
サガの質問に、 は荒い映像を更に拡大して、指で問題箇所を指摘する。
「この、道のようなものが見えますか? 実際にこの衛星を所有している国の情報部では、単なる道路としてしか認識していなかったようですが」
「道路でなければなんだというのだ?」
「マスドライバーではないかと考えます」
簡潔な答えは、明瞭ではあったが肝心の意味がわからなかった。女神と法衣の二人はそろって首をかしげ、カノンだけが眉間に皺を寄せた。
「――宇宙港が完成していると?」
「既に稼働しているのではないかと、私は考えているのだけれど」
淡々と交わされるやりとりにシオンが口を挟む。
「すまないが、詳しい説明を頼む。お前達だけわかっていても仕方なかろう」
「……すみません」
は小さく肩をすくめる。
「マスドライバーとは、宇宙に大量の物資を輸送するための装置のことです。規模の大きいカタパルト(射出機)のようなものです。こちらでは現在、そういった目的にはロケットエンジン搭載の打ち上げ型の機材を使用するのが基本のようですが、私の世界ではこのマスドライバーが主に使用されます。要するに、ロケットエンジンに代わる打ち上げ機構です。このマスドライバーを使って機体を射出することで、大量のロケット燃料を使用せずに大気圏離脱のための必要な初速を得ることができます。この方法ならロケットに比べて遙かにローコストですし、大量の物資の輸送が可能になります」
「……それほど便利なものならば、なぜこの世界ではロケットしか実用化されていないのだろうか」
怪訝そうなサガの問いに、 は淀みなく答える。
「マスドライバーを稼働させるには、大量の電力が必要です。こちらにも既に存在している原子炉を使用するなら数基は必要でしょう。ですが核分裂式である以上、環境問題や燃料の扱いに対する政治的な問題もあるようですから、技術力云々以前にこちらの世界では実現が難しいのだと思います」
「それなのに、それをそのマスドライバーであると断定する理由はなんだ?」
今度はカノンが質問する。 は再び映像の一部を指さした。
「この映像では、マスドライバーと考えられる施設の傍に、核融合炉と思われる施設も5基ほど併設されているの。形状や大きさから見ても間違いないと思うわ。これだけの数があれば、マスドライバーを稼働させることは十分に可能です。核融合炉は既存の核分裂炉と違って燃料が放射性物質ではないから、大々的に建設したところで政治的な監視網には引っかからなかったのでしょうね。その上、核融合炉はこちらではまだ実用化には至っていないらしいし、これを見ただけでそうだとわかるのは私の世界の人間だけでしょう」
映像上で指を滑らせ、 の声が次第に固くなる。
「その上、ここには海がある――海上に張り出しているこれは海水の採取設備でしょう。恐らく海水から重水素を取り出して核融合炉の燃料にしているものと考えられる。……条件が揃いすぎていて、これをマスドライバーでないと考える方が無理があるような気がするのだけれど」
ちらりとカノンを見上げるようにして、今度は が聞き返した。
「……この世界の人は、こんな推論を聞いたらどう思うのかしら?」
名指しで質問されて、カノンは腕を組んで目を伏せる。しばらく考えて、顔を上げた。
「俺が今のように色々知っていなければ、馬鹿げていると切り捨てるところだ。しかし……お前がそこまで推測するからには、この映像だけを根拠にしているわけではないのだろう? なぜ稼働しているとまで思うのか、その理由を聞きたい」
「昨日、話したでしょう? こちらから資源や人間まで私の世界に来ているようだ、って。このマスドライバーが稼働しているのなら、この推測も成り立つの」
成る程、とカノンは唸り、今度は顔を仰向ける。瞑目して、しばらく黙った。
やがて溜息をつく。頷いた。
「まあ、矛盾はないようだ。……で、そこはいつ叩くつもりだ?」
考え込んでいた割には、何気ない口調だった。でもこんなときのカノンは、少なからずなにかを腹に溜め込んでいると はこれまでの経験で知っている。若干緊張した。なにか失言でもしただろうか。
「それは今、ここで相談するつもりだけれど、でも――」
なにかを勘ぐられているようで口に出しにくかった。思わず口ごもったら、先を促される。
「でも、なんだ?」
「そこは、できれば最後にするべきだと考えているわ。これまでの方針を崩さずに、外郭から埋めた方がいいと思うの。重要な拠点であれば守備も固いでしょうし、先に攻撃を仕掛けても他の拠点から積極的な増援が来るでしょう。そうでなくても、相当苦戦するはず。ならばせめて増援を出せる拠点を封じて丸裸にしてから、一気に叩くしかない。……だから、協力をお願いしたのです」
最後の言葉はアテナ、そしてシオンに向けられたものだった。
「先日の敵勢力の様子を見る限り、全世界に向けての宣戦布告はそう遠くない未来に行われると考えられます。恐らくあの晩、失敗に終わったブリュッセル攻撃ミッションは予告の意味合いがあった程度でしょう。一斉蜂起までに残された時間は、多分もうそんなにありません。それを阻止するためには、実動部隊も配備されているはずの、これらの数が多い小から中規模の拠点の早期陥落は必須です」
「カウントダウンは既に始まっているというわけか……」
サガのつぶやきは、ただでさえ重く沈む空気の底に落ちた。その淀んだ気配を肯定するかのように、シオンが厳かに質す。声には諦観の色が強い。
「ではこの列挙された場所を、聖域と海界が分担して制圧に当たれというのだな? それもほぼ同時期に、一斉に――迅速に」
「……はい」
思い詰めたように首肯する の表情には、この段になってもなお躊躇いが見て取れた。シオンは嘆息する。
「 。我らの力を求めることに、それほど負い目を感じる必要はないのだぞ」
「ですが……」
なおも後ろめたそうな の言葉を、シオンはぴしゃりとはねつけた。
「そもそも我らの存在意義は、この地上の平和を守ることにある。むしろ――今更言っても詮無いことだが――もっと早くに事の詳細をつまびらかにし、頼るべきだった。これはどう聞いてもお前の世界だけの問題ではない。良心の呵責を感じるのなら、その点のみを悔いるが良い」
「……すみません……」
サガが項垂れる の肩をたたいた。
「 よ。すこし頑張りすぎたな。――気負いはわかる。だが時には、自分の非力さを認めるのもまた『強さ』なのではないだろうか」
「――はい」
素直に頷く にサガは安堵する。しかし次いで目に入った弟の表情はわずかに強ばっているような気がして、眉をひそめた。
「では、 の要望に応えるべく作戦を立てるとしよう。――アテナ。そういうことでよろしいでしょうか?」
シオンが場を仕切り直す。じっと3D映像を見つめていたアテナに声をかけた。
「結構です」
ずっと黙っていたアテナは静かに頷く。神が相手でない以上、戦女神ではあっても戦闘のプロではない彼女が口を出せることなど、なにひとつなかったのだ。――ただ一つのことを除いては。
「その前に、 さん。少しだけ、よろしいかしら?」
「なんでしょう?」
さっと居住まいを正した に、アテナは強ばった顔を向ける。
「この……マスドライバーのある場所のことなのですが……」
すべてを聞かないうちに、 ははっとしたように表情を曇らせる。
「北アフリカです――その……」
言葉を濁されて、それで聡い少女はわかってしまった。
「写真を見たことがあります……。これは、グラード財団が提携している企業の関連施設ですね……」
膝の上で両手を握りしめ、城戸沙織は秀麗な貌を歪めた。
「 さんと初めて会ったときに指摘を受けた企業とかなり強い繋がりがあるところです。調べさせてはいたのですが、なかなか報告が上がってこなくて、気になってはいました。……そこまでの重要拠点だったのなら、当然ですね……」
悄然とうつむく沙織に、 がかけられる言葉はそう多くはない。
「女神アテナ。あなたの過失ではありません。どうぞお気になさいませんよう」
気休めにもならないと、言いながらわかっている。だが事実だ。城戸沙織に――グラード財団に落ち度はない。相手が狡猾だっただけだ。事業計画などを審査していたとしても、この世界の人間の知らない脅威が対象では疑いようがないのだから。
「でも、知らなかったとはいえ……荷担していたなんて……」
自責の念に駆られてしまっている少女に、口先だけの慰めを言うのはやめた。淡々と事実だけを告げることにする。厳しい要求もしなければならない。それを受け入れてもらえるかどうかも、 にとっては懸案だった。
「グラード財団の関係者がいるのならば、できるだけ速やかに退避させた方がいいと進言いたします。ですが――大変申し上げにくいのですが、あからさまな撤退等は、できればやめていただきたく存じます」
「……敵に、気取られたくないというのですね?」
良心の呵責に苛まれる少女は、それでもやはり戦女神だった。 を見返すまなざしには怜悧な光もまた見て取れる。二つの心の間で揺れるそれを、女神は一度閉ざしてしまった。
しかしそれが再び開かれたとき、城戸沙織はきっぱりと言ってのけたのだった。
「わかりました。グラード財団は、この件に関してなにも聞き及んではおりません。そこがじきに何者かの襲撃を受けるであろう事など、関知してはいません――今は」
些かいさぎの良すぎる決断に は釘を刺す。
「通達は、攻撃の直前――良くて2~3時間前にしかできないと思いますが」
「結構です。正直な話、財団関係者の中に内通者がいないとも限りません。――確実な勝利を目指すのなら、本当は彼らの存在は考慮すべきではないのでしょう」
が言葉の裏に隠した懸念を、沙織は自ら暴いて見せた。むしろ驚いたのは の方だ。
「それはいけません。自分から言っておいたくせにこんなことを言うのは変ですけど……全く無関係の人間を巻き込むことは本当に本意ではないのです。しかも、よりにもよってあなたが――女神アテナが、そんなことをおっしゃってはぜったいに駄目です」
強い調子でいさめる の言葉に、聖闘士達が頷くことで同調していた。全員から咎める視線を向けられて、沙織は肩身が狭そうにうつむく。
「どんな状況になっていても、必ず事前にお知らせするとお約束します。――信じてください。必ず、です」
心からの言葉だった。
人道的なものを踏みにじらせる要求をしてしまったのだから、せめてこのくらいは誠心誠意、決して違えるわけにはいかない。固く心に決めた。
「わかりました。信じましょう。最後まで諦めない――そうでしたね?」
アテナがようやく笑みを浮かべた。
は頷く。そう。諦めない。最善を尽くす。決めたのだから。
最後まで、戦うと。
Burst into flames 7 END
前回に引き続き説明臭くて済みません。
冥界の事情に関しては当ブログで捏造された勝手設定ですのでツッコミはご容赦下さい。
連載開始当初から気になっていた事情なので、自分で自分を納得させるための説明文というのが本当のところですw
マスドライバーについては、あまり一般的ではない用語かもしれないと思いまして解説を入れました。
ちなみにこの方法だけで人間はさすがに打ち上げられないそうですので、そのうちにその辺の弁明はするつもりです。本筋に全く関係ないので誰も望んでいないと思いますけどw
それから核融合炉の燃料については諸説あるわけですが、かわいそうな脳みそしか持っていないので調べても調べてもよく理解できず、表現的にはDT反応炉ともDD反応炉とも取れる曖昧な書き方で終わらせておきましたw
そういうわけですので、詳しい方がいらっしゃって「?」とか「!?」と思われても、その感想はそっと胸の中にしまって置いていただければ幸いです。
SF的な要素は大好きなのですが、書けば書くほど墓穴を掘っているような気がしますorz
ちなみに墓穴の大きさは『w』が文末に付くほど深くなっているようですw(←あ)