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その日は嘘のような晴天だった。
いくらギリシャの秋に雨が多いとはいえ、晴れた日が珍しいというわけではない。
だが真っ青に澄み切った空とまぶしい陽の光は、今の にはまるで虚構のもののように感じられる。まったく、嘘くさいといったらなかった。
しかし作戦を行ううえでは好都合だ。
モビルスーツで出撃する はともかくとして、生身で作戦行動を行わなければならない戦士たちにとっては、この上なくよい気象条件だろう。
ギリシャだけではなく、気象情報を見る限り、予定されている作戦地域でも概ね晴れのようだ。 がどう思おうと、これは幸いだった。
「これならぬかるみやなんかに邪魔されず、思う存分暴れられるな」
満足げに空を見上げるカノンがそう言っているのだから間違いない。
そのカノンにも、今日ばかりは監視ではなく実力による援護を依頼してある。
これまで に同行するためだけにカノンが使用していたモビルスーツ・トーラスも、今日は が使用する手筈になっている。リモートコントロールができるように少しばかり改造を加え、既にテストと調整は終えてある。
後はこの日のために敵基地攻撃のたびになんとか接収してきていた武装や爆薬等を可能な限り積み込むだけだ。 は今トーラスのコクピットでその作業に専念していた。それもじき終わる。
時刻を確認するために は手を止めた。
「予定通りなら、そろそろ海界勢が敵勢力とのエンカウンターを迎える時刻ね」
「推定ではその24分後に、今度は聖域勢の交戦開始予定時刻か」
少しばかり暇そうに のいるコクピットの近くに腰掛けていたカノンも腕時計を見た。ついでのように握った左手のこぶしを、開いた右手に包み込むようにぶつける。重なり合った己の手を見つめ、しばし躊躇ったカノンはやがてぽつりとつぶやいた。
「本当にうまくいくと思うか?」
何かの聞き間違いだろうか。
はほとんどぽかんとカノンを見遣った。間違いではなかったらしい。憂いの凝った瞳が に向けられている。――いまさら、何を。少なからず、衝撃を受けた。
よりにもよって、カノンがこんなことを言うなんて。
「……いくらモビルスーツ部隊が相手でも、これまでの実戦で対処法はほぼ確立していると、カノンだって聞いたでしょう? 私だってこの目で戦果を見るまでは信じられなかったけれど、あれなら大丈夫だと安心したわ。だいたい、彼らの実力はカノンの方がよく知っているのではなくて?」
「そういうことではない」
ぴしゃりと の言葉を撥ね付けて、カノンの表情がいっそう険しくなる。
「あいつらのことを心配しているのではない。俺が言っているのは、お前のことだ―― 」
「!」
反射的にカノンを睨め付けて、 は立ち上がる。
「いまさらだわ。やってみなければわからないって、何度も――」
「ああ。何度も聞いた。だから不安だ」
に負けない厳しいまなざしで、カノンは を睨みつける。
「お前がそこまで不確実な言葉を吐くなんて、これまでにはなかったからな。それに俺も何度も言っている。この作戦の成否にはこの世界の今後かかかっている。先日の会合でアイザックやカミュが言っていたとおりだ。あえてお前だけが向かわなくとも、増援を待ってから乗り込む方がよほど現実的だ」
あの全体会合の後にも何度も交わした議論。結論は既に出ているはずだった。勿論、カノンが納得していないことはわかっている。それでも。
――なにもこんな土壇場になって蒸し返さなくてもいいじゃない。
カノンを睨みつけていたはずの目は、幾分恨みがましいものになっているに違いない。深く溜息をつかれたのがその証拠だ。
「ここには誰もいない。いい加減、真意を聞かせてはくれないか。俺達を排除して、何をするつもりだ」
不意打ちを食らった。――動揺は、そのまま顔に出ただろう。
「それだけの爆薬を積み込んで、最重要破壊目標から俺を遠ざけて、何をするつもりだ? 巻き添えを食わせたくないというのは、確かにその通りなんだろう。だがそれだけではないはずだ。違うか?」
は目を逸らす。ダメだと思っても、そうせずにはいられなかった。
すべてを、カノンにすら話していない。それを気づかれるとは思わなかった。そのために、嘘はつかないでおいたのに。
本当に隠したいことがあるのなら、初めから嘘をついてはいけない。それは鉄則だ。99%の真実の中に紛れ込ませた1%の嘘。それなら絶対にばれないと思っていたのに。
「……私が行っても行かなくても、絶対にエピオンが出てくるわ」
真実が足りないのかもしれない。なら、もっとたくさんの本当で、嘘を薄めなければ。
「あのシステムは本当に特殊よ。あの一機だけで、一体どれだけの被害が出るか計り知れない」
唇をかみ締めた。本当のことだから、悔しい。
「システムだけじゃない。機体性能だって凄まじいわ。あのパーティの夜に、見たでしょう? 初めての機体で戸惑いながら動かしただけの私でも、あれだけのことができたわ。……それに」
その名を出すと、カノンが決まって苦虫を噛み潰したような顔をすることは知っている。だから、あえて言う。
「パイロットは、絶対に彼なの。――アルバー・ウィナー・カタロニア」
ほら、やっぱり。カノンの様子に は心の中だけで苦笑する。
あの晩、二人の間でどんな会話が交わされたのかは知らないけれど、カノンはアルバーのことを相当嫌っている。カノンにこんな顔をさせるのはいったいどんな理由なんだろう。聞いてみたかったが、できるわけもなかった。
「アルバーは優れたパイロットよ。……同じスペックの機体で勝負しても、彼に勝てる自信は正直……ないわ」
カノンの表情が本格的に険しくなった。
「ならばなおさら、お前が出る意味などないだろう!」
「意味ならあるわ」
激昂しかけたカノンは、落ち着き払った の態度に面食らう。
「馬鹿なことを……!」
「意味はあるのよ、カノン。――彼が今、あんなところにいるのは、きっと私のせいだから。だからせめて、私が相手をするべきだと思うの」
「それでやられてしまったら、どうするつもりだ? それとも、やつはお前は殺せないとでも……」
そこまで言って、カノンははっと息を呑んだ。 は微笑む。
「私はきっと、殺されないわ。アルバーの上にはバルツァー氏がいる。パーティのときの目的をまだ忘れていないのなら、私を殺したりはしないはずよ」
正念場だ。これで、この話はおしまいにする。
――いつもの私なら、ここでどんな顔をする? どんな言葉を紡げば、カノンはこれ以上気づかない?
は慎重に言葉を選ぶ。ただただ忠実に、額面どおりに任務を遂行することだけを考えていた、この世界に来たばかりのころの自分を再現する。
「その後の対処は状況によって変わるでしょう。でも、これだけは言えるわ。目標だけは達成できると。それを最終的にやるのは私かもしれないし、カノン、あなたかもしれない。後から増援が来てくれるというなら、彼らかもしれないわ。結果的に誰がやろうと、この世界のためにはそんなことはどうでもいいはず。ただ確実に目的を果たせる道程を、私はこうすることでつけられるの。だからカノン――」
この話は、これでやめにしましょう。そう言おうとしていたのに、幕引きはカノンがしてくれた。
「わかった」
たった一言。あれだけ食い下がっていたカノンが、それだけであっさりと引いたことに は呆気にとられる。
しかし呆けていたのも束の間。すぐに真顔に戻る。良かった――わかってくれた。
軽く息をついた の様子には気づかなかったように、くるりと背を向けたカノンは空を見上げる。
「――――――――」
小さく声が聞こえて、 は首をかしげた。
「え? なに? 聞こえなかったのだけれど」
聞き返したが、答えてはもらえなかった。――どうやら本当にわかってくれたわけではないのかもしれない。そう感じた。
しかし蒸し返すことももうできなかった。それを望まなかったのは、 自身なのだから。
「時間だ」
腕時計に目を遣り、カノンがそう宣告する。
もう二度と、その話題を口にすることが適わなくなった瞬間だった。
***
圧倒的な物量。
普段こうしたものを見慣れている人間ですら、恐らくそう評価したに違いない。
ましてや常日頃からこうした近代的な環境とは距離を置いた場所に身を寄せる彼らには、それはもっと驚愕すべき光景だったはずなのだが、世の中、何が幸いするかわからないものである。
信じがたいまでに大規模のモビルスーツ部隊を見せつけられても、そうと認識しなければ、それほど恐れは抱かないものだ。
脅威を恐怖として感じない。それは力のない者にとっては命取りにしかならない。
だが彼らは違う。
人工的な動力と補給の必要な化学反応の結果である火力に頼ることのない、万有にして未知の力をふるう生身の戦士たち。
巨大な兵器と小さな人間。同じフィールドでの敵対行為など、とても成り立つようには見えない。
だが見方を変えれば、モビルスーツ部隊にとってこれほどやっかいな対戦相手もいないのだ。
そもそも対人兵器ではないモビルスーツが、ただの人間をターゲットとして補足するのは非常に難しい。その上、敵の中には音速や――数は少ないものの光速の動きすら持つ者までいる。一人や二人ならともかく、そんなスペックを持った者がそれなりの人数が揃っているとあっては、もはや戦闘など不可能だ。
またそれほどの驚異的な速度で繰り出される攻撃は、その速度自体がどんな火力や衝撃にも勝る。いかなる硬度を誇る合金であっても、攻撃を受け続ければ物理的に敗北するのは必至である。
「数だけ揃ってても、ダメなんだっての!」
「火力だけなら確かに恐るべき威力だ。だが、遅い! 当たらなければ意味はない!」
「噴射口を破壊しろ! 次は足だ! 落ちたところを叩け!」
「爆発に巻き込まれるなよ」
「武器の暴発にも注意しろ!」
まさかの苦戦に計画の一部を放棄し、本来の作戦に復帰し始める小隊が出るのに時間はそうかからなかった。
しかし、そうなることも彼らは事前に看破していた。
決して傍受されることのない意思の伝達手段によって、情報は早急に受け渡される。
『聖域の諸君に通達! 早速だが、逃亡を図る奴等が出てきた。よって作戦行動はA案第2段階に移行となる。こちらは打ち合わせ通り任務遂行中。次は諸君等の番だ。健闘を祈る!』
『了解。海界の諸君においては先発、ご苦労だった』
『なに。たいしたことはない。だが意外と数は多い。逃がすなよ』
『勿論だ。ところで、撤退に移行するのが予想よりも少し早いようだ。何かあるかもしれん。そちらもまだ気を抜くな』
『わかっている。……だろ? お前ら!』
応、と飛んでくる複数の思念。中には弱々しくなってきている者もあるが、負傷者が出るのもまた予測の範囲内。それほど問題はない。――こちらは。
迫り来るエンカウントの時を前に緊張が高まる聖域勢に向けて、海界側から唐突な質問が飛んできた。
『ところであの二人は、もう向かったのか? 連絡はあったか?』
『たった今、あった。出たそうだ』
『そうか……健闘してくれればいいが』
簡潔な返答に、質問者ではない者が反応する。似たような思念がいくつも追随して、事態の推移を海界勢の誰もが気にしていることが伺えた。
それを感じ取った聖域側の者からも同様の願いがいくつも上がった。――やはり、誰もが気にしている。
場の指揮に当たっている双子座のサガは心を決めた。
これから戦闘に臨む立場の者としては、気がかりなことをそのままにしておくのは避けたい。周囲の反応を勘案し、海界の指揮を執っている海魔女のソレントの思念を探す。
『そちらが完全に沈静化できたと判断し、まだ戦力が十分なようであれば、あちらの援護に向かってくれるとありがたい。――事態は今、重大な局面を迎えていると考える。やはりあの二人だけに任しておくのは……』
少しばかりくどくどと言い募ったサガに対して、ソレントの返答はにべもなかった。だが迅速で、力強い。
『言われなくともそのつもりだ。そうするよう通達してある。それこそ、そちらはどうするのだ』
聞き返されて、サガも今度は淀みなく思念を送る。
『作戦が終了し次第、速やかに援護に向かうよう指揮する。うまく進めば、そちらと合流の上で向かえるかもしれん』
作戦行動終了後の摺り合わせまではしていなかったにも関わらず、意志は同じ方向に向かっている。
そのことを互いに安堵する。信頼に足る相手だと、互いに認め合う。だから、互いに激励の言葉だって交わしあえる。
『――健闘を祈る。作戦の成功を願っている』
少々素っ気ないながらも、ソレントは心からの声援を送った。やりとりを聞いていた他の海将軍からも声が上がる。
『諸君らにも海皇ポセイドンのご加護があらんことを!』
それは聞きようによっては随分と危険極まりない言葉だった。だがこういう場だからこそわかる。それが誠心誠意の激励であることが。
サガはひっそりと笑みを浮かべた。心強さを感じるこの一体感に、なぜだか懐かしさを感じる。
なぜだろうと考えるまでもなく、サガの脳裏にはあの聖戦の最後の光景が浮かんだ。そうだ。この感覚は、あのときのものに似ている。
――サガを含む黄金聖闘士達にとっての聖戦の終の場所で、全員の心と小宇宙が一体化した、あの胸が震えるほどの喜びに。他者と心を通わし、一丸となって一つの目的へ邁進するときに感じる、満ち足りた心地。
まさか長年にわたり敵対してきた海界の者達とこの感覚を共有し会える日が来るとは、一体誰が考えたことだろう。
『協力に感謝する。諸君らにも、戦女神アテナの祝福があるよう心から願っている』
深く考えもせずに、ついするりと口から出た言葉だった。言ってしまってから、その重大さに気づく。現在は和平協定を結び、今こうして共闘している相手とはいえ、永きに渡り敵対してきた勢力に向かってなんてことを。サガは思わず周囲を見回してしまった。
だが誰もサガに責める目など向けてはいない。それどころか黄金聖闘士の数人から思念が放たれるのを感じた。
『終わったら、共に祝杯でも挙げようではないか』
言葉にばらつきはあるものの、概ねそのような内容だった。
対する海闘士達からも、すぐさま同意の意思が飛んでくる。
『それはいいな。盛大にやろう!』
笑い合う。――敵などではなかった。まるで同志だ。過去のしがらみなど、もはやない。共に同じものを目指す戦士達の、すがすがしいまでの潔さ。
今このとき、皆の想いは重なっている。
『海皇ポセイドン、そして戦女神アテナの祝福を共に分かち合えることを嬉しく思う!』
双方からの声、そのものが既にまるで福音のようだ。
己の信ずるもののために戦う。そういう意味では、彼らの想いはそもそも一致していたのだ。遙かな昔から、ずっと。
それは今やぴったりと重なりあい、共に同じところを目指している。
完全平和――神話の時代に、女神アテナが異世界から来た一人の人間の女から聞いたという理想。その行き着く先はおそらく、こういうことなのだろう。サガは思う。
これならば確かに、伝え、継がれていくべきものだ。このような人の心の交流が実現できるものであるならば。
アテナが平和を望む真の理由に、サガはようやく触れたのだ。
目の覚めた思いで、蒼穹を見上げる。この同じ空の向こうで、今、この志をずっと胸に抱いてきた が戦場に向かっているはずだ。
カノンが言っていた。これから始まるのは、 にとっての最後の戦いなのだと。
かつて見た星空が、青い空の向こうに透けて見える気がする。――業火を示す星を、サガは確かに見たのだ。
焦燥と絶望で目眩がしそうだった。見えているのに、手が届かない。これほど歯がゆいこともない。あまりのもどかしさに顔が歪むのがわかった。それで思い出した。出撃前に顔を合わせたカノンも、確かそんな顔をしていた。
恐らくなにかが起こるだろう。一筋縄ではいかないなにかが。
予感などではない。サガはそう星を読んだし、カノンもなにかに確実に焦り、あまつさえどこか途方に暮れている様子だった。
少し前に、教皇シオンはサガに言った。
『何か起こりそうだ。それだけでも、心の準備はできよう。全くの不意打ちでないのなら、刮目してそのときを待つしかない。問題は、そのときにどう対処できるかだ――あまり、思い詰めるな』
その通りだとは思う。今はサガにはなにもできない。できることは全てし尽くした。思い詰めてもどうしようもない。わかっている。
それでも、焦れたように祈ることを止められない。遠い空へ向かって、サガは願う。
この世界の神々の祝福が、 にももたらされるようにと。
「カノン……頼んだぞ」
二柱もの神に、経緯はどうあれ結果的には仕えた弟に望みを託す。――その身に受けた恩恵の一端でもいい。 にも分けてやって欲しい。
柄にもなくそんなことを考えた自分に、しかしサガは苦笑する時間はなかった。
「来たぞ!」
誰かが叫ぶ。
見上げれば、彼方に雲霞のごとく迫ってくる影が見える。ルートは間違っていないが、陸路を輸送用装甲車両で運搬という情報はやはりガセだった。
サガは薄く笑みを浮かべる。苦笑ではなく、不敵なそれを。
「総員、戦闘開始だ!」
声を張り上げ、サガは宣言した。それに応えて鬨(とき)の声が上がる。速やかに戦闘に突入していく。
サガの脳裏から先ほどの焦燥が消えていく。やるべきことだけを考える。没頭する。
今は、それしか為す術がないのだ。