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『こちらはNEOS・COSMOS。現在、全世界の全ての通信網を掌握している。繰り返す。こちらはNEOS・COSMOS。全世界中で我々と交戦中の、全ての愚かなる敵対勢力に告ぐ』
無機質な合成音声の、極めて威圧的な宣告。
その言葉の無感情さ故に、カノンはすぐにはその意味を理解できなかった。
『我々は地球上の都市へ、宇宙より攻撃を行う準備がある。爆弾やミサイルの類による攻撃ではない。よって、いかなる迎撃も不可能である。また宇宙空間からの攻撃につき、地球上であればいかなる場所あっても照準を定めることが可能だ』
ずいぶんな脅しだ。
カノンはふんと鼻で嗤う。その『地球上』から物資や兵力を搾取しようというのに、それを壊滅させようなどと愚の骨頂というもの。
だが次の瞬間、カノンは頭から冷水を浴びせられたような心地がした。
『これは脅しではない。その証拠として、これより地中海上の無人島へ軌道衛星兵器【カイラス・ギリ】による試射を行う。また見間違えようのない証拠としてこの様子は、該当宙域を飛行中の偵察衛星をハッキングし、その映像を配信する。この間、我々が何らかの攻撃を受けた場合、その者には第二射、第三射における標的となってもらう』
「いきなり撃つだと!? 馬鹿なことをする!」
地中海といえば、カノンが今見下ろしているのも地中海だ。現在地はアフリカ大陸北岸。地中海と一言で言っても広い。一体、どこを攻撃するというのか。彼らの拠点であるここには、まさか仕掛けることはないだろうが。
カノンは目を凝らす。今のカノンは受像器を持っていないので、配信されるという映像を見ることはできない。こうして水平線の彼方を見晴るかしても、見えるのはせいぜい4km程の先までだ。今は高所にいるのでもう少し先まで見えるのかも知れないが、どちらにしても肉眼では観測できない可能性の方が高い。そう思うと、無駄と思いつつも目をこらしてその瞬間を待たざるを得なかった。
***
「これはどこだ!?」
「この映像だけでは、さすがに場所の特定には時間がかかります!」
聖域の最奥、教皇宮の一室がにわかに騒然とし始めた。
遙かな神話の時代から連綿と続くこの聖域にあって、あまりにもそぐわない最新機器の数々がひしめく部屋で、それらの機器の提供者でもある現代に降臨した女神・アテナが柳眉をひそめている。
その視線の向かう先は、全て同じ映像が映ったディスプレイの一つ。全世界の通信網を掌握しているというNEOS COSMOSの主張は、成る程、ハッタリではなかったらしい。
「輸送ルート襲撃の部隊との連絡はとれますか? 通信網は本当にすべて彼らの手の内なのでしょうか? ……双子座(ジェミニ)のカノンと、 さんとの通信は……?」
座したまま固い声を放つアテナに問われても、すぐに返答できる者はいなかった。少しの間、かたかたとキーボードをたたく音だけが室内を占拠する。
しかし通信回線をなんとか他のものに切り替えようと必死に復旧を試みている者達の顔に諦めの色が浮かぶのにそう時間はかからなかった。
彼らは通常、教皇の手先として諜報の任に就いているためこうした現代的な情報機器の扱いにも長けている。中にはハッキング――むしろクラッキング――行為すら行うことの可能な者もいるが、それでも、いや、だからこそ主導権を取り返すことが不可能だと判断するのは早かった。
「全ての通信機器が乗っ取られています。復旧させるのはすぐには無理です」
「実は 殿の01へはずいぶん前から呼びかけ続けていたのですが、それもずっと回線が繋がらないままなのです。そちらへは現状では、全く連絡が取れない状態です」
取り付く島もない返答に、部屋中に苦渋の声が満ちた。そもそもこんな設備を整えたのは、 の01とデータのやり取りをするためだったというのに、これでは何の意味もない。
「こんなことになったということは、やはり拠点のほうで何かあったと見るべきだろうか」
「そういった状況について知りたいというのに、これでは……」
「せめてこの映像を、襲撃部隊にも伝えたいところだが」
「念話はできても、映像までは無理だ」
「一体、なにがどうなっているんだ!」
堂々巡りじみてきたやり取りを断ち切ったのは、女神の傍に控えていた童虎だった。
「連絡がつかないものは仕方あるまい。カノンほどのものがそうそうどうにかなるとも思えん。待てばじきに何らかの報告があろう。襲撃部隊の方へは、アテナのお力のこめられた水鏡を通せばここで見ているものを送ることは可能だ。受け取れる者も部隊にはいるだろう?」
聖闘士ではないものの、小宇宙を操る力持ち、そういった神事を司る神官が聖域には存在する。その中でも最上位の神官が従容と応えた。
「黄金聖闘士であれば大方問題はないはずでございます。現在任に当たられているのは、牡羊座様、双子座様、獅子座様、そして水瓶座様の4方。どなた宛でも構いませんが、お受けになる方によっては送り方を変える必要がございます」
「水瓶座(アクエリアス)のカミュあたりが適任ではないか? 氷の鏡を作らせるのだ」
次いで響いた教皇シオンの一声で、一斉に皆が動き始める。そこに、これまで黙ってことの推移を見守ってきた客人の声が初めて加わった。
「水を通すというのなら力添えをさせてもらおう。私なら映像だけでなく、音声も付加させることが可能だ。ついでに、わが僕たちにも同じものを送ってやってほしい」
機器の揃った聖域へ、まるで見物よろしくアテナを口説き倒して様子を見に来ていた海皇ポセイドンである。気楽を装ってはいたものの、アテナが承諾したくらいだ。実際は相当気を揉んでいるのだろう。
「畏まりまして」
アテナの目配せを受けたシオンは一礼して、海皇の意思に沿うよう指示を追加する。
その様を眺めるポセイドンの表情は険しい。いまだ変化の見受けられないディスプレイから目を逸らし、アテナは硬い横顔に話しかける。
「予想以上に、話が大きくなってしまいましたね」
「……予想の範囲内ではある。彼等ならば、このくらいのことはしでかすだろうと思ってはいた」
懸念を隠そうともせず、ポセイドンはアテナに問う。
「君も、予測はしていたのではないか? 彼女に会ったときから」
「予感はしていましたが、ですがポセイドン。これだけは誤解しないでいただきたいのです。決して彼女の―― さんのせいではないということを」
憂いを含んだまなざしに見つめられて、ポセイドンはわずかに表情を緩めた。
「それはわかっている。彼女は、止めようとした。それは評価しているよ。だが――」
静々と運ばれてきた清水で満たされた器に指を浸す。小宇宙を流し込みながら、ポセイドンは目を伏せた。
「我等はまた止められないのかと思うと、どうにも歯がゆくてね」
「まだ決まったわけではありません」
ポセイドンに続いて清水に指先を沈め、アテナは水面を覗き込む。
「……まだ希望は潰えていないと、私は信じています」
***
大気中の水分を凝縮させて、カミュは薄く輝く氷の鏡を作り上げた。
先に攻撃中止と一時撤退命令が下されていた。モビルスーツに比べれば小さな彼らは難なく後退して、森の中に作り出した空間の歪みの中に身を隠している。
「地中海上の無人島、か。我等に対する脅迫にしては、あまりにも世界への影響が大きすぎる……」
渋面を作ったサガが独りごちる。答えるものはいなかった。誰もが黙って固唾を呑みつつ、カミュの氷鏡を凝視する。
やがてぼんやりと光を放ち始めた氷の表面に、遙か上空の目が捉えた輝かしい海と美しい小島の風景が浮かび上がってきた。多少荒い画像ではあるものの、まばゆい陽光を反射してきらきらと弾ける波の様子までもが鮮明だ。
自ら作り出した鏡面を眺めてカミュが顔をしかめた。
「……これはどこだ?」
アイオリアが腕を組んで即答する。
「風景からして、エーゲ海のどこかだろうな。無人島と名指しするなら、その可能性が高い」
「もしそうならば、これは明らかに私達に対するあてつけということになりますね。しかも、直接地上に攻撃を行えば、衝撃を受けるのは我々だけでない。国際社会にも激震が走ることになる。……一挙両得とは、まさにこのこと」
唾棄するように言い放ったムウの言葉尻を捉えたのはサガだった。
「それだけではない。はるか遠く、宇宙空間から見ればほんの小さな一点にしか過ぎんだろう小島に見事攻撃を命中させることができれば、脅威だけでなくその精度すら見せ付けることができるのだ。奴らが地上の支配を狙っているのならば、人心を恐怖で縛る、まさに最大のチャンスとなる。ここまでくると、奴らはこの機会を狙っていたとしか思えん」
「……さすがに でも、こうなることまでは予測できなかったのか……」
呻くように漏らしたカミュの声はサガに、出撃前に会ったカノンのどこか思い詰めたような表情を思い出させた。それと満天の夜空に浮かんだ、破滅を示す星の輝きを。
「いや。もしかしたら、あるいは――」
は、これすら見越していたのかもしれない。口には上らせず、サガは思う。そしてその上で、 はなにかを行うつもりではないのか。カノンにも伝えていないなにかを。
もしもそうなら、その『なにか』はきっと恐ろしいことに違いなかった。
サガが夏の夜に星から読み取った『業火』の徴。それはこれから見せつけられるだろう、地中海の光景のことかもしれない。――むしろそう思いたかった。
だが、それは恐らく違うのだ。なぜかサガはそう感じている。どうしてかはわからない。
わからないから、不安になる。
それなのに、今のサガにはもはや為す術はなにもないのだ。
人の作り出した叡智の目が宇宙から捉え、神秘の力によって目の前に転送された映像を、ただ食い入るように見つめるしかできない。
こんなとき思い知る。自分はやはり、小さく無力な存在のだと。
***
「なんだ……あれ……!」
最初に声をあげたのは、同じ映像ばかりに占められたディスプレイに嫌気がさしていた少年だった。
なにか大事が起きているらしいと、その青銅聖闘士はわざわざ日本から聖域にやって来ていた。しかしまるでやることがないと知るやいなや、さんさんと陽の当たる窓際に陣取り、ことの成り行きを一緒にやってきた仲間たちと見物を決め込んでいたのだ。
勿論彼――天馬座(ペガサス)の星矢は、こんな光景をその目で見ることになろうとは夢にも思っていなかった。
星矢が上げた声につられて、室内の視線の半数は窓辺に向かい、残りの半数は各々手近のディスプレイへと向かう。
「なんてでっかい光の柱だ!」
「ビーム兵器とか、そういう類のものなのだろうか」
窓を開け、身を乗り出しながら驚く星矢と紫龍の声を、室内からのどよめきが掻き消した。
「なんてことだ……!」
「本当にやりおるとは!」
「一体どうなっているんだ!?」
慌てて頭を引っ込め、ディスプレイに目を戻した少年たちも、あまりの映像に言葉を失った。
ディスプレイは一斉にホワイトアウトと見紛うような白光を放っている。辛うじて画面の縁が先ほどまでの海の色を残していたが、それもじきに白く泡立ってしまった。
いつの間にか窓際まで歩み寄ってきていたポセイドンが星矢たちと入れ替わるように、窓の縁に手をかけて遥か彼方でいまだに消えない光の残滓を眺める。
「天から降る光の槍、か。……さしずめ、持つものに世界を征服せしめるという、伝説のロンギヌスの槍だな」
「海皇たるあなたが、まさかそんな俗なことをおっしゃるとは」
呆気に取られたような氷河に、ポセイドンはにやりと笑って見せた。
「今生の私は君らに比べれば、普通の人間社会に身を置いている時間が長いのでね。それに、ただの人間として振舞っている私は、敬虔な一キリスト教徒だ。このくらいの台詞は普通に吐くとも」
「むしろ敬虔な信者だったら、そんなこと言わないんじゃないのかな……」
こっそりつぶやいた瞬をやはり笑い含みの目で見た海皇の顔は、ディスプレイに目を戻すや否や厳しく引き締められる。
「これがもし大都市に向けられでもしたら、大変なことになる」
「宇宙からの攻撃では、いくら俺達でも手も足も出ないからな……」
図らずもポセイドンの隣に並んでしまった紫龍が暗澹とした面持ちでつぶやく。
そうしている間にディスプレイからは徐々に光が消え、被害の様相が露になってきた。
「衝撃の余波で津波が起きているのか!?」
「場所、特定できました。……周囲には人の居住している島もあります!」
「なんだと?」
「相当の被害が出るぞ!」
「まさか、こんな……」
悲鳴と怒号で瞬く間に室内が騒然となる。
そんな中、ディスプレイの半数がいきなりその映像を替えた。炎と煙を上げ続ける海とはまったく別の場所が映し出される。
「あれは……!」
「モビルスーツ同士が戦っている!」
「こんなことになっても、まだやっているのか!?」
喧騒が驚愕に取って代わられる。聖域の者には少なからず見覚えのある白い機体と、ほとんどの者が初見の赤い機体がいまだに激しく剣戟を交わしている。
その様子を苦々しげに見つめ、ポセイドンはやるせなく頭を振った。
「さて、今回はどう落とし前をつけてくれる……?」