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あれほど晴れ上がっていたのが嘘のような土砂降りだった。暗く立ち籠めた雨雲は、決して自然にわき上がったものではない。
一時は騒がしかった室内が、今はひっそりと静まりかえっているのと同じ理由で、雨は降っている。
苦々しい思いでポセイドンは溜息をつき、厚くかかる雲を眺めた。神たる力で、雨を止めることはできる。だがそんなことをする意味がない。だから傍観するに留めた。
島一つが消滅したことによって大量に巻き上げられた粉塵が核となり、水滴の形を成した雨は煤が混じって黒い。純粋でなくとも透明であるべき水の痛ましい色。このようなかたちで、改めて侵略を思い知らされるのは屈辱だった。
差し出した手を汚す黒い雨水を振り払い、ポセイドンはこの場で唯一、彼と同じ立場である少女に声をかける。
「襲撃部隊が戻ったら、そろそろお暇させてもらうよ、アテナ。これ以上長居をしては迷惑だろうからね」
「そんなことはありませんよ、ポセイドン。どうぞお気になさらず。――ですが、確かにこれ以上このようなところにあなたを留め置いていても、あまり意味はなさそうですね……」
すっかり途方にくれてしまっている。つい見返した女神の表情に驚いた。恐らく今の自分も同じような表情をしているのだろう。浮かびかけていた苦笑をなんとか引っ込める。
既にあれから――異世界から新たな介入者が現れ、その宣告と共に が自爆を行ってから――4時間近く経過していた。
あれ以降、通信網は徐々に復旧している。【カイラス・ギリ】とやらの第二射もなかった。目標としていた状態には至っている。
それをなさしめた決定的な要因がなんであれ、世界はとりあえずの平穏と取り戻しているかのように思える。
だがそれだけだ。
通信はあれきり途絶えてしまった。異世界の人間達との接触手段はすべて断たれた。もとより双方向のそれではなかったにしても、この状態では目隠しをされてしまったに等しい。
とにかく現状を知る術が全て絶たれていた。
なにより、彼等にとっての異世界の人間の筆頭である がどうなってしまっているかすらわからないのが一番の問題だった。01が自爆してしまった以上、通信機器などそもそもあてになどしていない。のっぴきならない事態に陥っているだろうことは想像に難くない。大体、共に行動していたカノンからですら連絡がないのは非常事態が起こったと考えざるを得ない根拠たり得る。
とりあえず襲撃部隊の内から数人を選んで問題の本拠地のある北アフリカまで偵察にやらせた。先ほど入った報告では、破壊し尽くされ、崩壊した敵施設の残骸があるのみとのことだった。敵がどうなったのか―― とカノンがどうなったのか。杳として知れないままである。現状はなにも変わらなかった。
顔を曇らせていたアテナとポセイドンが、不意に表情を引き締めた。
敏感にそれを感じ取ったのは、特にすることもないので、泰然と――あるいは手持ちぶさた気味に――構えていた神二柱の傍で、恐れ多くもたむろしていた青銅聖闘士達である。
「沙織さん? どうかしたのかい?」
星矢にまでそう聞かれるほど、アテナが顔を強ばらせていた。
眉をひそめ、氷河がポセイドンの顔をのぞき込む。
「ポセイドン、あなたまで……なにか、気になることでも?」
神々の代わりに答えたのは瞬だった。
「え? みんなはなにも感じなかった?」
「なにを感じたというのだ、瞬?」
紫龍が問えば、瞬は黙ったままの神々をちらりと見遣る。口を開きそうにもないのを確認して、嘆息した。
「ハーデスの小宇宙を感じたよ」
「なに!?」
鋭く反応したのは、青銅聖闘士の誰でもなかった。わらわらと入ってくる金色を初めとした複数の聖衣姿を認め、ひっそりとしていた室内がにわかに騒然となる。後に続いて海闘士達まで入ってくれば、場はいっそう沸き返った。歓待ぶりに、客人扱いの海闘士はもとより、聖闘士達ですら少々戸惑ったそぶりを見せた。
「あ、サガ。みんなも。お帰りなさい。お疲れ様でした。海闘士の皆さんもお久しぶりです」
のんびりと労いの言葉を掛ける瞬に向けてサガは軽く会釈を返す。声をかけられてしまった海闘士達も、初めは驚いたように、次いで軽く笑みを浮かべて応えて見せた。
瞬に続いて、青銅聖闘士達はまるで物怖じする様子もなく、黄金聖闘士や後に続く白銀聖闘士達にそれぞれ声を掛けていた。皆、多少疲れた気配はあるものの、たいした怪我もないようだった。
先頭を来たサガがつかつかと歩み寄ってくる。脇見もせずにアテナの前までやってくると、さっと膝をついた。その横では海闘士が同じように主神・ポセイドンに礼を執っていた。口々に帰還を告げる。
「アテナ。ただいま帰還致しました」
その声でようやく呪縛から解けたように、アテナがはんなりと微笑む。
「ご苦労でした。雑兵達はそれぞれ持ち場に戻ったのですね? 怪我人も出ていたようですが、もう治療院には向かわせたのですか?」
は、とサガはいっそう頭を下げた。
「帰還の報告もさせずに申し訳ございません。彼等に代わりまして私から全員の無事を報告させていただきます」
鷹揚に頷いて答えるアテナに、サガは険しい表情を崩さない。単刀直入に問いかけた。
「冥界から、なにか報せでも?」
ちらりと瞬を見上げる。鋭い視線は、別に瞬を責めているわけではない。だから瞬はにこりと笑って答えてやった。
「追い返した、って聞こえたような気がしました。……ですよね? 沙織さん」
神同士のやりとりを、かつてハーデスの依巫(よりまし)となった少年は聞いてしまったのだ。だがそもそもは人の身である。神の転生体や、今も依り憑いたままの存在ほど鋭敏に受け取れたわけではない。これ以上問い詰められても困るので、さっさとサガの詰問の標的から外れてみる。瞬だって詳しく知りたい。
実に愛らしい笑顔と共に話を振られてしまい、アテナは苦笑する。別に隠すつもりもなかった。了解の意を込めて瞬に頷き返す。ポセイドンに目をやれば、やはり笑顔を向けられてしまった。話すのは君が適任だと、実に雄弁に表情だけで語っている。ここは聖域なので、当然といえば当然だ。
アテナはサガに向き直る。部屋中に聞こえるように、声を張り上げた。
「たった今、冥王ハーデスより直々に伝言を受け取りました」
ひとつ間をおき、表情を崩さず伝えようと努力した。
「 さんに関しては先に私から特徴を伝え、万が一の場合には連絡が欲しいと要請をしてあったのですが……彼女らしき人物が、さきほど冥府の門を叩いたそうです」
聞き耳を立てていた人々の間に衝撃が走る。冥府の門を叩くということは、すなわち――
固唾を呑んで自らに向かう視線に含まれる声なき声に、アテナは重々しく頷くことで応えた。
「つまり自爆の際、 さんは生命にかかわる程の負傷をしたということです」
沈んでいた空気が、どよめきで揺れた。あくまで重く。そして沈鬱に。
だが面を伏せて聞いていたサガはそこで目を上げ、明瞭な声で質した。
「では、先程アンドロメダが言った『追い返した』とは、彼女のことなのですね?」
ようやく表情を和らげ、アテナは頷く。
「ええ」
「では、彼女は―― は、少なくとも命だけは助かっていると?」
「そういうことになりますね」
サガを含む、北アフリカから帰還してきたばかりの聖闘士達は、ようやく安堵の表情を見せた。
「ほとんど諦めていたのだが……良かった……」
「あの惨状では、かけらも残さず吹き飛んでしまったかと――」
「だがあんなところから、どうやって」
緊張が解けたのか、とたんに溢れ出した聖闘士達のつぶやきに、アテナは表情を曇らせた。
「そんなに酷い状態になっていたのですか? あのNEOS・COSMOSとやらの本拠地は」
口々に語られる言葉の真偽を量りかね、たまりかねた氷河が師に尋ねる。果たしてカミュは、普段あまり表情を崩さぬ彼にしては珍しいほどの渋面で弟子に応えた。
「ああ。実に惨憺たる有様だった。――以前、東欧で起こった紛争時の街へ赴いたことがあるのだが、あの光景に勝るとも劣らない惨状だったと思う。空爆後の様子に実に良く似ていた」
「そうですね。上空から爆撃を受けたような地点と市街戦が行われたかのような箇所が散見できました。前者が 、後者がカノンによる戦果なのだと思います」
共に現場を見てきたばかりのムウが補足する。さらにアイオリアが言い添えた。
「形を留めている建物の周辺や内部には、同じ制服を着た死体が相当数あったな。あれは状態から見て、カノンの仕業で間違いないだろう。それと、 の拘っていたマスドライバーとやら。あれもカノンが先端の一部を破壊していたようだ」
黙って聞いていたアテナが眉をひそめた。
「一部、ですか?」
はい、と肯定して見せたのはサガだった。
「海上に張り出しているレール部分は、一部だけでした。ですが、最早あれは使用不能でしょう」
なぜですか、とアテナが説明を求める前に、サガは詳細を述べる。
「おそらく基底部から破壊されている模様です。レールの根元付近の地面が広範囲にわたり、深く抉れておりました。……あの映像に映っていた、01の自爆現場こそがマスドライバーの根幹部分だったようです」
口元を押さえ、アテナは悲嘆の声が漏れそうになるのを懸命に堪える。だがあまりそれは成功したとは言えなかった。
「だから さんは、あんなことを……? 目的を確実に果たすために……」
目を伏せてしまったアテナに声を掛ける者はいなかった。ただサガだけが淡々と報告を続ける。
「 が何を考えてあのような行動を取ったのか、それは推測しかねます。ですが結果として、彼女が成そうとしていた目標を遂げたことは確実でしょう。もっとも、自爆だけで成し得たものではなさそうですが」
「どういうことです?」
「爆発跡地からカノンの小宇宙の残滓を感じました。さらに申し上げれば、ちょうどその頃合、カノンが聖衣を召還しました。あの惨状には、何らかのかたちでカノンが関わっていることは確実です」
いくばくかの非難が込められたかのような言葉に、アテナは首を傾げる。
「映像では、そのような様子は見受けられませんでしたが」
「はい。ですので、カノンが一体何をしたのか。それだけがどうにも腑に落ちません……未だに何の連絡も寄越さないのもどうわけなのか……」
言葉どおり、不審な表情を隠そうともしないサガは、まさか何かを誤解しているのではないか。アテナは眉をひそめた。
「マスドライバーを自爆という手段で破壊しようとした に、カノンが力を貸したのではないかと、よもや疑っているのではないでしょうね、サガ?」
さっとサガは頭を振る。強い口調で否定した。
「いえ。さすがにそのようことは思っておりません。ただ――」
「なんです?」
サガにしては珍しいほどの剣幕だったのだ。わずかに言い淀んだ理由を、アテナは追究する。聞きたかった。
「以前、カノンは申しておりました。 が危険を冒してまで任務を遂行しようとするのなら、場合によってはそれを妨害し、そして守ってみせるという意味合いのことを。……今回、むしろ私はそれを期待しておりました。なのにやつは結局止められなかった。――聖衣まで召還しておきながら、一体なにをやっていたのかと。そして今、なにをしているのかと、そう思うと……!」
心底憤っている。それでアテナは気づいた。本気で心配している。弟であるカノンのことも。そして のことまでも。女神の前では通常、そうそう感情をあらわにしないこのサガが。くっきりと、眉間に皺を刻むほど。
「サガ……」
アテナは腰を落とした。膝をつくサガの顔をのぞき込む。微笑んで見せた。
「そんなに思い詰めないで下さい。大丈夫。カノンは、ちゃんとやるべきことを為していますよ。たった今ハーデスからもたらされた報せも、それを示唆するものでした。 さんは、確かに重傷を負っているようです。ですが冥界で彼女を受け入れなかったのは、私からの要請があったからではないと、ハーデスは言っていました」
アテナの傍でその様子を見下ろしていたポセイドンが、ついに堪えきれないように笑い出した。
「いくらアテナの頼みでも、聖戦後のような無茶はもう二度と起こりはせぬよ。あれは世界の条理を曲げる。聖戦が、そもそも条理を曲げる行いであったからこそできた、でたらめな復活劇だ。今回は、あれだけの惨事の中で彼女が生き延びたというのなら、つまりそれはカノンの尽力の成果でしかないということであろうな」
「彼女は、黄金の小宇宙に守られていたそうです。あなたが感じたというカノンの小宇宙は、ここにいても微かではありますが感じました。今もまだ、どこかで さんを助けるために頑張っているに違いありません」
神二柱から直接慰められてしまった。それでようやくサガはほっと息をつく。その肩を、音もなく近寄ってきたシオンが労うように叩いた。占星の結果を聞いた彼だけは、サガがなにをそんなに気を揉んでいたのか知っている。
「だから申したであろう。取り越し苦労もほどほどにせよと。――良かったな。経過はどうあれ」
はい、とサガは頷く。頭を下げた。
しかしせっかく解けた空気を、どこかのんびりした声が再び緊張させることとなった。
「それにしてもさ、あの、 さんが自爆した直後じゃなくて、もうちょっと後にカノンの小宇宙がはじけただろ? ……なんか、すっごく覚えがあるんだよな。似たようなの、感じたことがあるんだけど……いつだったっけ?」
頭の後ろで両手を組んで、眉根を寄せた星矢が虚空を睨みつけている。
「なんだ、星矢。藪から棒に……」
たしなめようとした氷河を遮ったのは紫龍だった。
「いや、氷河。俺も同じことを思っていた。それこそ氷河よ、お前が瞬に助けられたときのことではないか」
「あ、そうそう! それだ!」
紫龍の一言でようやく思い出した星矢は、隣にいた瞬の肩をぺしんと叩く。
「氷河がさ、天秤宮で凍り漬けになっていたのを助け出した後、瞬が全小宇宙をかけて助けたんだよな。あのときはホント、びっくりしたぜ!」
「ああ。氷河が助かっても、瞬が死んでしまうのではないかと思うと、気が気ではなかったぞ」
口々に言われ、瞬は照れくさそうに頭を振った。
「だってあのときは、氷河を助けるにはあの方法しかなかったんだ。心臓だってもう動いているかどうかわからないくらいだったし、あのくらいやらないとダメだった。氷河が助かるより先に、僕の小宇宙が尽きてしまったらどうしようと焦ったけど、何とか間に合ってくれたから助かったよ」
なんの屈託もなく笑う瞬を、氷河は感慨深そうに目を細めて見遣る。
「瞬には本当に助けられた。命を救われたことだけではなく、瞬が自分を犠牲にしてまで俺を助けてくれようとしたその心意気に、俺は心の底から感動したのだ。あのときの瞬の気持ちは、確かに俺の胸にも届いていた。小宇宙と共にな。……お前の命が尽きる前に間に合って良かった」
いきなり熱い昔語りを始めてしまった青銅聖闘士達を笑う者などこの場にはいなかった。ただ、多かれ少なかれその件に関わった当事者がどことなく気まずげに目を逸らしているだけだ。
その『当事者』の中でも、最もいたたまれない気分を味わっているだろうサガがふとつぶやいた。
「瀕死の人間を癒すというのは、それほど消耗するものなのか……?」
瞬を見上げる。怪訝そうなそのまなざしに、瞬は首をかしげた。
「あなたほどの人が何でそんなことを? だって、当然でしょう? 攻撃とは違って、長時間均一に小宇宙を高めなければならないんですから。結構疲れますよ。というか、本当に自分の命を削る感じです。……もしかして、やったことないんですか?」
少々失礼な調子の物言いになったのは、驚いているかららしい。そんな様子の瞬に嫌な顔一つすることなくサガは頷く。
「怪我なら多少癒しはするが、瀕死の人間を救うなど、やったことはない。そんなに消耗するという話も、恥ずかしいが初めて聞いた」
「小宇宙とは、そもそも人を傷つけるためだけのものではありません。確かにそういう使い方も可能性としては考えていましたが……実際にそのようなことをした聖闘士を見たのは、瞬、あなたが初めてでしたよ」
サガだけではくムウにまでそう言われて、瞬は複雑な顔をした。褒められているというより、聖闘士としては異質だと言われたたように感じたのだろう。
「そうなんだ……」
「まあ、優しい瞬らしいよな。すごいよ。俺だったら、そんなふうに小宇宙を使おうとか、たぶん考えないし」
どこか困った風情の瞬の肩を、星矢がもう一度叩く。紫龍も軽く背を叩いて微笑みかけた。
「可能性がある、ではなく、実際に可能であることを証明して見せたというわけだな」
「サガ達が知らなくても、カノンはやったということか。人間、いざとなると同じようなことを考えるものなのかもしれんな。瞬とカノンが同じ考えに至ったというのが不思議な気がするが」
どこか感慨深そうな氷河に、瞬と星矢が力いっぱいうなずいていた。
「カノンのやつ、冥界では瞬にずいぶん厳しいこと言ってたもんな。そのカノンがね……。人間ってわかんないもんだな!」
それにしても、と瞬が顔を曇らせる。
「いくらカノンでも、大丈夫かな……」
「どういう意味だ、アンドロメダ?」
聞き咎めたサガが問いただした。瞬は心配そうに顔を歪める。
「ええと……僕がやったときは、氷河の体温を上げて、あとは氷河の体力次第ってところだったから僕のほうも助かったわけなんですけど。今の さんの場合、あの映像を見るかぎりでは怪我が酷そうじゃないですか。多分出血だってひどいんじゃないかと思うんです。でもそれじゃあ、どこまでやれば助かるのかって、きっとわからないですよね。だいたい、傷自体を治すとかなんて、擦り傷程度ならともかく、ほとんど無理じゃないですか? 少なくとも、僕にはできません。だとするとカノンが さんの命を繋ぎ止めているのって、どうやっているのかな、って……」
考えながら話す言葉は切れ切れであまり纏まってはいない。だが意味は十分に通じた。瞬の周りで話を聞いている人々の顔が徐々に強ばっていく。女神とて例外ではなかった。
「そういえばハーデスも、彼女は黄金の小宇宙によって守られ、いまだ地上に繋ぎ止められている、と言っていました。不思議な表現だとは思いましたが――」
アテナは憂色をいっそう濃くしながら言葉を途切らせた。彼女が言い淀んだ言葉を、瞬は補完する。
「うまく言えないんだけど――小宇宙と命って同義なところがありますよね。厳密には、同じではないんでしょうけど。でもわずかに残った命をなんとか奮い立たせようとするのと、小宇宙を極限まで高めるのは、僕にとっては同じことのように思えます。だからもしもその逆ができるのなら――小宇宙で、今にも消え去りそうな命の炎を代替できるのなら、カノンがやっているのはそれじゃないかと思うんです。もちろんカノンだったら僕よりも持久力はあるだろうけど。でもやっぱり相当きついんじゃないのかな……」
「一人で二人分の生命を支えるだなんて……いくらカノンでも、それは確かに荷が勝ちすぎるかもしれませんね」
深刻な面持ちのアテナと、サガの少々晴れた表情と声は対照的だった。
「それならば、何の連絡も寄越さないのも道理か。それどころではないのだろうからな」
険しかった眉間のしわを少し収めて、サガが息をついた。その言葉に、一瞬ぽかんとした星矢がすかさず突っ込む。
「そこ!? こんだけ話聞いといて、気にするのはそこかよ!」
ずっと黙っていた一輝がここで初めて口を開いた。
「一応どころかこれ以上ないくらいに兄弟だというのに、まさか心配もしないとはな。まぁ、心配したくなるような弟ではないのはわかるが……」
半ば感心したようにつぶやく一輝のものを筆頭に、自身に向けられる視線がどことなく白いのを察したサガは深く嘆息した。苦々しく告げる。
「心配などするものか。あれはそんなに弱い男ではない。しかも、相手は だ。一命さえ取り留めたというのならば、あとはなにがなんでも助けるだろう」
渋面から紡ぎ出されたにもかかわらず、どこか誇らしげにすら聞こえるその言葉は、サガに向けられていたまなざしから非難の色を消し去った。
「成る程。似ていないようで、やはり似ているということか」
微かに笑って一輝が言えば、瞬もやはり苦笑しながら便乗する。
「素直じゃないとことかね」
「ずいぶんと仲が悪そうだった割には、意外と評価はしていたのだな」
紫龍がぼそりとつぶやき、氷河が冷たい意見を述べた。
「同じくらいのスペックだという自覚があるなら、自慢にしか聞こえないような気がするんだが」
「まあ、信頼してないよりはいいんじゃね? ――でもさあ」
星矢がにやりとしながら、いまだ膝をついたままのサガの隣にしゃがみ込んだ。
「相手が さんだから、カノンが頑張っちゃうって、どういうこと? そういうこと?」
嫌そうに半眼で星矢を睨み、サガは立ち上がる。聞こえるか聞こえないかの声でつぶやいた。
「無粋な小僧だ」
そんなやりとりをひどくおかしそうに眺めていたポセイドンが、アテナに声をかける。
「さて。全員戻ってきたことだし、約束通り私達はこれで帰らせてもらうことにするよ、アテナ」
「ポセイドン。今回は、お力添えをどうもありがとうございました。――海闘士の皆さんにも、心からの感謝を」
主神以外の人ならぬ存在から直接の謝辞を送られ、海闘士達は驚いたようだった。一斉に気配をぴんと張り詰めさせ、一瞬後には揃って胸に手を当て、敬礼する。
その様は聖闘士達にも少なくはない感銘を与えた。彼等もまた自発的に、ポセイドンを初めとする海界勢に向けて、敬礼を返す。それを受け、踵を返しかけていたポセイドンが聖闘士達に向き直る。
「貴君らとの共闘、なかなか面白い経験だった。またの機会――などというものがあるのは好ましくはないが、もしもの場合には、またこのように協力し合えることもあろう。そのときのためにも、もう少し関係強化を図ることを考えるとしようか」
最後の一言と共にアテナの肩を叩き、ポセイドンは退出する。その後姿に、アテナは頭を下げた。